福岡県弁護士会 裁判員制度blog

2008年6月 2日

メディアにどう対応するか

 刑事弁護人はマスコミにどう対応するべきか、『自由と正義』(08年5月号)にのっている議論は大変興味深いものがありました。そのエッセンスを紹介します。不正確かもしれませんので、ぜひ全文をお読みください。(な)

○ 国民から無作為で裁判員を選ぶ裁判員制度がまもなく導入される。連日報道される衝撃的な事件について、捜査機関からの情報だけで報道されれば、特定のイメージが作られて、裁判員に大きな予断を与えることは確実だ。そのとき、弁護側がノーコメントでは、弁護活動が機能しなくなる。弁護側もマスコミを無視できず、公判で効果的な弁護をするためにも、公判前から世論にアピールする手法が主流になるはずだ。

○ その見解には基本的に反対。捜査段階の記者の攻勢は、単にネタを取りに来ている。捜査段階ではとにかくネタを取って、面白おかしく書くというのが今のマスコミだ。
 裁判員裁判を意識するのであれば、公判段階、起訴された後に、弁護側が伝えたいことを、2時間でも3時間でも4時間でもかけて、弁護側の方針や言いたいことを十二分に伝える。それをやれば十分、そうすればとんでもない記事にはならない。

○ 裁判員だから予断を受けやすい、職業裁判官だからそうじゃないと区別して議論を展開するのはどうなのか。そういう区別はないし、むしろ、大きく報道された影響は、職業裁判官のほうが受けることがありうる。職業裁判官のほうが、大報道の事件の場合には、有罪に傾くのではないかと思う。

○ マスコミの報道によって裁判員が予断を持つ、これは正しい。しかし、そのために裁判員に対して裁判官と別途の対応が必要かというと、同じだと思う。
 むしろ職業裁判官のほうが、事件の報道については敏感で、記憶力もすぐれた人が多いから、その影響は同じか、大きい。普通の人は3ヶ月前の犯罪報道を覚えていない。裁判官は、理屈では分かっているけど、報道で概略は理解していると思っている。
 裁判員のほうが「あ、そうか」と思って、ちゃんと証拠に向き合ってくれることも、ありうる。

○ マスコミからの取材攻勢があるときは、まさしく刑事弁護とは何かを訴えるチャンスだ。だから、弁護人に逃げろとか、マスコミの前に顔をさらすなとは言わない。常に、なぜ今、接見内容について言えないのかと話している。
 裁判員裁判になれば、バラ色の裁判ができるとは決して思っていない。弁護人がしっかりしなければ、それは悲惨な裁判になると思っている。裁判員が抱く予断もあるだろう。だけど、原則は何かということを今、この激動の時代にもう一度考えるべきだと思う。

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2008年6月 9日

共同正犯・共謀共同正犯

『裁判員のための法廷用語ハンドブック』(三省堂)からの紹介です。実際のあてはめはかなり難しいことがあります。(な)

○ 共同正犯(きょうどうせいはん)
  2人以上で一緒になって犯罪を行った人たち。犯罪行為の一部しかやっていない人でも、全部について責任を問われる。

○ 共謀共同正犯(きょうぼうきょうどうせいはん)
  直接には手を下していない人でも、犯罪の計画に加わって重要な役割を果たしていれば、共同正犯となることがある。

○ 裁判の場面
  たとえば、検察官の冒頭陳述において、「被告人Aは、被害者Fの手をナイフで刺して全治10日間のケガをさせ、そのすきにBは、金を探し出し現金100万円を奪いました。AとBは、強盗致傷罪の共同正犯です」と主張する。
  また、弁護人の最終弁論のとき、「検察官は、Cが、AとBと一緒にこの強盗の計画を練ったとして、共謀共同正犯だと主張していますが、Cは単に、F宅に金がありそうだと教えただけで、正犯と評価できるものではありません」という。

○ 共同正犯とは
  Aが被害者Fをナイフで脅してケガをさせ、そのすきにBが金を探し出して現金  100万円を奪ったとき、AもBもどちらも同じく、強盗致傷罪の共同正犯となる。
  ケガをさせるだけなら傷害罪、金を盗っただけなら窃盗罪だが、このように共同して行った犯罪は全体を通じて一連の行動とみる。共同正犯となれば、Aはケガをさせたことだけでなく金を奪った責任も問われ、Bは金を奪ったことだけでなくケガをさせた責任も問われ、2人とも強盗致傷罪になる。
  一般に、主犯という言葉は「中心的な役割を果たした人」、共犯、共犯者は「従的な役割を果たした人」という意味で使われる。しかし、法律用語の共同正犯は、役割上の主従関係ではなく、強盗致傷罪という犯罪を一緒に行ったとして責任を問われることを意味する。
  A、Bそれぞれが果たした役割の軽重は、量刑で評価されることになる。

○ 共謀共同正犯とは
  Cが、AとBにこのような強盗を支持しただけで現場に行かず、ケガをさせたり金を奪ったりする行為にまったく加わっていなかった場合でも、共謀共同正犯として強盗致傷罪に問われることがある。
  裁判では、犯罪行為の現場にいなかった人が共謀共同正犯として起訴され、弁護側がそれには該当しないとして争うことがある。犯罪行為に直接加わっていない人を、実際に犯罪行為を行った人と同様に処罰することになるので、慎重な検討が必要になる。
  また、計画に加わっても、重要な役割を果たしたとは見られない場合には、教唆(きょうさはん)となることがある。

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2008年6月24日

最終弁論

 最新の判例タイムズ(1266号)に、わかりやすい弁論の工夫が紹介されています。大変参考になります。(な)

最終弁論
 最終弁論は、被告人側が冒頭陳述で予告したストーリーを証拠調べでいかに証明してみせたかを説き、裁判員に自らそのストーリーを受け入れる意思を持たせるための、口頭による最後のプレゼンテーションである。
 これは、その後に続く評議に効果をもたらす最後の機会であるから、最終弁論は単なる締めくくりではなく、それまでの手続すべてを踏まえた「総集編」でなければならない。それを意識して効果的に弁論をするためには、冒頭陳述から尋問までの成果と一貫した流れを持つ、それ自体も完結したストーリーを組み立てなければならない。
 構成を組み立てる際の留意点として、初頭効果と新近効果が意味をもつ。二番目に重要なことを「最初」に、一番重要なことを「最後」に配置する。
 最終弁論は口頭で行われるから、口頭で述べた場合に分かりやすい構成と内容でなければならない。
 最終弁論も、当然、「読む」弁論から「話す」弁論に変わる。朗読方式はすすめられない。朗読を始めただけで、マイナスイメージを持つ裁判員がいる確率は高い。
 公判が集中審理であれば、直前までの審理の成果を完璧な文章に盛り込むことは不可能である。「文書の文化」から「口頭の文化」への脱皮を目ざすべきである。
 口頭による弁論では、あれもこれも、ともかく網羅的に言っておく、という「文書の文化」の手法はそもそも不可能だし、できても裁判員には伝わらない。すなわち、重要な要素にしぼり、それらに集中して内容を配置する構成が望ましい。

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