福岡県弁護士会 裁判員制度blog
2008年2月 8日
裁判員裁判と判決書のあり方
前回に続いて判決書のあり方についての今崎幸彦判事の指摘を紹介します(な)。
「判決書の記載が委曲を尽くしたものであろうとすればするほど、判決文が長大となりがちであった。また、こうした詳細な判決書を支えてきたのは、証拠書類を立証の中心に据えた精密司法にあったわけであるが、裁判員制度の導入に伴い、当事者の主張が徹底的に絞り込まれ、証拠も厳選されて、簡潔で分かりやすい審理が実現することになれば、精密司法を前提にした判決書の作成はもはや不可能になる」
「模擬裁判を実践した報告によれば、時間的な制約や裁判員の集中力の問題から、裁判官同士においてされているような細かな事柄まで議論するのは難しく、多くの場合、判決理由中のいわば骨格に当たる部分を議論するのが精一杯であり、ましてや、判決書の構成や表現まで裁判員と評議をする余裕などないというのが実情のようである」
裁判員裁判における「判決書はよりコンパクトなものになっていくであろう」
「これまで、合議事件では、ときには判決書の構成や表現まで含めた緻密な評議を行い、判決書完成までに比較的簡単な事件でも数日から1、2週刊、複雑困難な事件であれば数ヶ月単位の時間をとって書き上げていた。これに対し、裁判員裁判では、判決書作成作業は、より短期に集中して行われることになると思われる」
「ただし、いかに時間的な限界や裁判員の集中力の問題があるとはいえ、安易な簡略化が許されないのはいうまでもない」
「評議の結論を判決理由として明らかにすることが求められているという事情も看過できない」「判決書として必要な機能を果たしつつ、評議に忠実で、簡潔かつ分かりやすい判決書とは何かという観点からその具体像を追求していく作業が求められる」