福岡県弁護士会 裁判員制度blog

2008年2月 4日

難解な法律概念と裁判員裁判

 最新の判例タイムズ(1255号)に今崎幸彦判事が、各地の模擬裁判をふまえて興味深い指摘をしていますので紹介します(な)

 「難解な法律概念を分かりやすい言葉に置き換えるという作業」がすすめられています。しかし、「我が国の実体法の解釈は、膨大な量の裁判例に裏打ちされた難解かつ精緻なものであり、いかに分かりやすい言葉を用いようと、単純な言葉の言い換えでは、法律の専門家でない裁判員にその本質を過不足なく伝えることは不可能である」
 そして、分かりやすい言葉は、「裁判官が、評議において、裁判員に対し議論する事項を説明する際に用いられることはもちろんである。しかし、それに勝るとも劣らないほど重要なのは、それが、当事者の主張・立証においても用いられるべきものであるということである。なぜなら、仮りに新たな枠組みが見いだされたとしても、当事者がそれを利用せず、従来の難解な法律概念を用いて主張・立証したのでは、裁判員には理解されず、結局、裁判官が評議でその意味を説明しなければならなくなるからである」

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2008年2月 8日

裁判員裁判と判決書のあり方

 前回に続いて判決書のあり方についての今崎幸彦判事の指摘を紹介します(な)。

 「判決書の記載が委曲を尽くしたものであろうとすればするほど、判決文が長大となりがちであった。また、こうした詳細な判決書を支えてきたのは、証拠書類を立証の中心に据えた精密司法にあったわけであるが、裁判員制度の導入に伴い、当事者の主張が徹底的に絞り込まれ、証拠も厳選されて、簡潔で分かりやすい審理が実現することになれば、精密司法を前提にした判決書の作成はもはや不可能になる」
 「模擬裁判を実践した報告によれば、時間的な制約や裁判員の集中力の問題から、裁判官同士においてされているような細かな事柄まで議論するのは難しく、多くの場合、判決理由中のいわば骨格に当たる部分を議論するのが精一杯であり、ましてや、判決書の構成や表現まで裁判員と評議をする余裕などないというのが実情のようである」
 裁判員裁判における「判決書はよりコンパクトなものになっていくであろう」
 「これまで、合議事件では、ときには判決書の構成や表現まで含めた緻密な評議を行い、判決書完成までに比較的簡単な事件でも数日から1、2週刊、複雑困難な事件であれば数ヶ月単位の時間をとって書き上げていた。これに対し、裁判員裁判では、判決書作成作業は、より短期に集中して行われることになると思われる」
 「ただし、いかに時間的な限界や裁判員の集中力の問題があるとはいえ、安易な簡略化が許されないのはいうまでもない」
 「評議の結論を判決理由として明らかにすることが求められているという事情も看過できない」「判決書として必要な機能を果たしつつ、評議に忠実で、簡潔かつ分かりやすい判決書とは何かという観点からその具体像を追求していく作業が求められる」

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2008年2月15日

法廷で目で見て耳で聞いて分かる審理

 引き続き裁判員裁判の審理のあり方についての今 ?幸彦判事の指摘を紹介します。傾聴すべき意見です。(な)
 「裁判員裁判の審理に求められる理念は、『法廷で目で見て耳で聞いて分かる審理』という言葉に尽くされている。審理の改善をめざすすべての努力はまず、この審理の実現に向けられるべきである。
 全国各地で行われている模擬裁判の中には、依然として精密司法、調書裁判を前提としたとしか思えないような実践例を耳にする例すらないではない。施行をわずか1年半後に控えた今、早急に原因を明らかにし、在るべきプラクティスを定着させていく必要があると思われる」
 「いかに分かりやすく話すか、どのようにして裁判員から議論を引き出すか、円滑な議論を実現するためにどのような発言が適切か(適切でないか)といった問題であり、社会心理学やコミュニケーション能力を巡る様々な研究分野に関連する問題と思われる」
 「審理の結果を受けて、実質のある評議をどれだけ分かりやすく、合理的、効率的に進行させて結論に至るかの問題である。『法廷で目で見て耳で聞いて分かる審理』の成果を評議にいかに生かすかの問題といってもよい」

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2008年2月20日

裁判員の心を動かす情状弁護

 日弁連委員会ニュース(2月1日号)に、争いのない強盗殺人事件での裁判員模擬裁判において、裁判員の衝撃的な発言が紹介されています(鍛冶伸明弁護士)。
 長いあいだ法曹三者において常識としてきたことが通じないというのです。なるほどと思いましたので、紹介します。(な)

 「これまでの一般的な情状弁護にやり方では通用しないことが明らかになった。
 本事件の被告は、事件当時21歳であり、前科もありません。また、事件については深く反省している。この場合、弁護人としては、最終弁論で、『被告人は反省している。若年で、前科もない』と指摘する。裁判官が被告人に有利な事情として考慮してくれたはず。
 弁護人は、最終弁論において、これらの事情を酌量減軽すべき事情のひとつとして当然のように指摘した。評議では、裁判官もこの点を取上げて、『若いし、前科もないのだから、酌量減軽すべき』と述べていた。
 しかし、ある裁判員は、『前科がないのは当たり前。私のまわりには前科がある人などいない』と指摘し、前科がないことは被告人に有利な事情ではないという意見を述べた。
 また、他の裁判員は『何の罪もない人が1人殺されている。若いからといって許されるものではない』という意見を述べた。
 さらに、『たとえば同じ30年でも、20歳の人の30年と60歳の人の30年とでは重みが違う。60歳の人が30年としたら、20歳の人は50年、60年が上限でもよい』などと、『若い』ということが、むしろ不利な事情であるという指摘をする裁判員もいた。
 『反省』については、『反省するのは当たり前。もし反省していないのであれば、本当に情状酌量の余地がなくなるが、逆に、反省しているというだけでは、有利な事情にはならない』という意見もあった。
 被告人が反省していること、若年であること、前科がないことなどは、被告人に有利な事情であると当たり前のように考えていたが、それは、裁判員には通用しない。反省していること、若年であること、前科がないことなどが、なぜ被告人に有利な事情なのかを丁寧に説明する必要がある」

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