福岡県弁護士会 裁判員制度blog
2007年2月 5日
法廷用語の日常語化(その1)
日弁連では法廷用語を裁判員となる一般市民にいかに分かりやすく伝えるか、言語学者なども混じえてプロジェクトチームをつくって検討をすすめています。
その中間報告書は日弁連のホームページにアップされています。それにもとづいて、これから少しずつ紹介していきます。
公訴事実とは、検察官が裁判を求める事件の要点。裁判が始まった冒頭に、検察官が朗読する起訴状に書かれているもの。
事実という言葉をつかうと、すぐに「真実」だと誤解する人が出てくるので、公訴事実を犯罪事実と言い換えるのは良くない。
たとえ「検察官の主張する事実」だと言っても、やはり真実だと誤解する人が出てくる。したがって、事実という言葉は避けたい。
そこで、事件の要点としてみた。
このように解説されています。うーん、なかなか難しいですよね。(な)
2007年2月13日
法廷用語の日常語化(その2)
自白とは、自分が犯したことについて自ら話すこと。
自白の任意性とは、脅かされたり、だまされたりすることなく、自らの意志で自白すること。任意性のない自白は、証拠とすることができない。
裁判員に対しての説明として、自白に任意性があるかどうかが本件の争点と言って、任意性とは脅かされたり・・・と説明するより、検察官の提出する警察官がつくった調書は、○○刑事に・・・と脅かされて作られたものですから、証拠にはなりませんと説明したほうがよい。
自白の任意性という言葉をつかわずに内容を説明します。一般に自白というのは自分の意思でするものと思われており、自分の意志にもとづかない自白があるという考えそのものが理解されにくいのです。
任意になされていないものは一般に自白とは考えられないし、自白が信用できないという発想はなかなか受けいれられないものです。
また、犯人は自らすすんで犯したことを全部話すというイメージがあり、一部だけ自白するという概念は理解されにくいものです。
したがって、一部自白しているのを全部について自白しているかのように誤解されないため、一部自白については、認めている事実を必要に応じて厳密に特定して話す必要があります。
いずれにせよ、自白というのはまず任意性・信用性に疑いをもって見るものだという弁護人の発想は裁判員には通用しないことを十分に理解したうえで、自白という言葉をつかうべきなのです。
なるほど、犯人は自白するもの、自白したなら犯人だというのが世間の常識でしょう。でも、現実には真犯人が別にいた事件で、無実の人が「自白」したというケースはよく起きていることです。(な)
2007年2月19日
法廷用語の日常語化(その3)
反抗を抑圧する
普通の市民は、この言葉を聞いたとき、反抗ではなく、むしろ犯行を思い浮かべると考えられる。反抗というと、若者の反抗、国家や親への反抗というイメージであり、一般的には、やってはいけないこととという印象を与えてしまう。
抑圧というのも、市民の抑圧というように、良くないことというイメージがある。
こんな言葉が2つ並ぶため、何を意味しているのか、大変わかりにくい。また、マイナスのイメージの言葉が続いているので、全体としては反抗を抑圧するのは良いこと、プラスであるかのような印象を与えかねない。
そこで、反抗を抑圧するとは、暴行や脅迫によって、肉体的あるいは精神的に、抵抗できない状態にすること、これには被害者が抵抗したけれども最終的には抵抗を封じられた場合も含む、と説明する。
なるほど、このように語感のプラスまたはマイナスのイメージを大切にしながら、どうやって独特の用語の意味を裁判員に分かってもらえるかを工夫するわけですね。(な)