福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

2024年8月号 月報

会員のひろば 穂積重遠と石田和外に14条

月報記事

会員 吉野 大輔(64期)

1 はじめに

御多分に洩れずハマっています、「虎に翼」。

「虎に翼」の魅力は、語るとキリがないです。まずは、魅力的なキャラクター造形。法曹にありがちな空気が読めず一言多い主人公の寅子、男装のよねさん、司法試験でお腹が痛くなる優三さんなど魅力的なキャラクターが次から次に出てきます。また、各所に散りばめられた法律関係のトリビア。分かる人にだけは分かるところが、法曹関係者のオタク心を掴んでいます。ちなみに、個人的には、寅子が受験勉強に使用していた憲法の基本書が上杉慎吉だったシーンがツボです(ⅰ)。

私にとって最も魅力的な点は、史実を組み込んだプロットです。この点で、私が注目しているのは、小林薫が演じる「穂高重親」と松山ケンイチが演じる「桂場等一郎」の動向です。私がこの記事の執筆を依頼された理由は、おそらく、私が、委員会の懇親会で、「虎に翼」を見る際に、この二人に注目すべきと一席ぶったからでしょう。

2 「虎に翼」のプロット

もともと、私は、NHKの朝ドラを熱心に見続けているわけではないのですが、「虎に翼」が、清水聡の「家庭裁判所物語」(ⅱ)を軸に、女性初の弁護士・裁判官である三淵嘉子を主人公にした物語と聞いていたので、久しぶりに見てみようかなくらいに思っていました。

「家庭裁判所物語」は、設立当初にあった家庭裁判所の理念型がどのようなものであったのかを描いた本です。家庭裁判所の理念型が、「虎に翼」のプロットの一つの軸になることは間違いないと思います。私の母は、家庭裁判所の調査官であり、内藤頼博(ライアンこと久藤頼安のモデル)や三淵嘉子(主人公のモデル)らの謦咳に直接触れた世代の調査官でした。そのため、私は、母から戦後の家庭裁判所の理念や雰囲気を聞かされていたこともあり、「虎に翼」が、失われつつある家庭裁判所の理念型を再確認するきっかけになればいいなと期待しています。

しかしながら、私は、「虎に翼」を見始めたところ、すぐに、「家庭裁判所物語」だけではなく、より野心的なプロットの存在に気づいてしまいました(妄想かもしれませんが)。それが、穂積重遠(穂高重親のモデル)と石田和外(桂場等一郎のモデル)の物語です。この二人の物語は、「虎に翼」のプロットの根幹を形成していると思います。この見立ては、現在のところかなり当たっているのではと密かに思っています(ちなみに、本記事の執筆時は、令和6年6月下旬です。)。

以降は、ネタバレ(主に歴史的事実ですが)を含むかもしれないので、歴史的事実なんか知らなくて、純粋にドラマだけを楽しみたいという方は、読むことを控えていただいたほうがいいかもしれません。

3 穂積重遠(ⅲ)

小林薫が演じる「穂高重親」には、モデルがいます。その名前から明らかですが、そのモデルは、民法学者の穂積重遠です。

穂積重遠は、1883年に、いわゆる「華麗なる一族」のメンバーとして生まれます。親族について少し触れておくと、父が民法を起草した民法学者穂積陳重、叔父が「民法出でて忠孝滅ぶ」で有名な憲法学者穂積八束です。加えて、母方の祖父が新一万円札の渋沢栄一です(ⅳ)。

穂積重遠は、旧制第一高等学校、東京帝国大学に進学し、卒業後、民法(特に家族法)の研究者として人生を歩んでいくことになります。同世代の民法学者は、末広厳太郎や末川博です(ⅴ)。その下の世代の民法学者が我妻栄や中川善之助と言えばイメージが湧きやすいでしょうか。

穂積重遠は、民法学者として学究に勤しむだけではありませんでした。祖父の渋沢栄一の影響もあり、社会教育や社会事業も「法」であるという信念の下、熱心に社会活動にも勤しみます。具体的には、明治大学女子部の創設、東京帝大セツルメントでの法律相談活動、関東大震災の被災者支援などの社会活動が有名です。これらの社会活動は、両性の平等、法教育、法律相談、災害対策など、現在の弁護士会の活動にも通じる社会活動です。

これらの業績を総体として見ると、穂積重遠は、大正デモクラシー期のリベラルな民法学者であったと評価することができると思います。

「虎に翼」では描かれませんでしたが、穂積重遠は、東宮大夫・東宮侍従長として仕えて、1945年8月15日を皇太子(現在の上皇)とともに迎えます。

そして、戦後、穂積重遠は、紆余曲折あり、1949年に最高裁判所裁判官に就任します。

石田和外(ⅵ)

松山ケンイチが演じる、甘い物好き(ⅶ)の「桂場等一郎」にも、モデルがいます。そのモデルは、名前だけからは分からないのですが、第5代最高裁判所長官の石田和外です。

石田和外は、1903年に福井市に生まれ、第一高等学校、東京帝国大学を経て、1928年に東京地方裁判所の予備判事に就き、判事として人生を送ることになります。

戦前、石田和外は、東京地裁の裁判官時代に、帝人事件(ⅷ)を左陪席として担当します。その際に、事件を「空中楼閣」と評して、「水中ニ月影ヲ掬スルガ如シ」という名文句で、被告人16名を無罪としたことで注目を浴びます。

戦後、石田和外は、司法省人事課長、最高裁人事課長、人事局長、事務次長、東京地裁所長、最高裁事務総長、東京高裁長官、最高裁判事といわゆるエリートコースを歩み、第5代最高裁長官まで上り詰めます。

石田和外は、ある世代の法律家からは、蛇蝎の如く嫌われている人物です。石田和外の最高裁判所長官時代には、青法協所属の司法修習生の任官を拒否する事件、宮本判事補の再任を拒否する事件などが起こります(ⅸ)。いわゆる、「司法の危機」、「ブルーパージ」などと呼ばれた時代です(ⅹ)。

また、石田和外は、最高裁判所長官時代に、リベラルな判決と評価されていた全逓東京中郵事件判決、いわゆる「二重の絞り」で有名な都教組事件判決及び全司法仙台事件判決について、全農林警職法事件を皮切りに、これらの判例変更を実現していきます(ⅺ)。

退官後は、英霊にこたえる会会長や元号法制化実現国民会議議長も務めました。

これらの業績を総体として見ると、石田和外は、いわゆる保守派の裁判官であったという評価は否めません。

5 日本国憲法14条

水と油で決して混じり合わないと思われる二人ですが、その架け橋になるのが、日本国憲法14条です。

「虎に翼」は、第1話の冒頭、日本国憲法14条の朗読から始まります。その朗読は、寅子が一度は諦めた法律家の道から復帰して、裁判官を目指すきっかけになります。そのほかにも、轟法律事務所の壁に日本国憲法14条の文言が書かれているなど、ドラマ内の各所に日本国憲法14条が散りばめられています。日本国憲法14条が、「虎に翼」のプロットの根幹であることは明らかです。

穂積重遠は、最高裁判所裁判官として、尊属殺規定の合憲性を争う事件に対峙します。

1950年10月、最高裁判所大法廷判決(刑集4巻10号2037頁、2126頁)は、旧刑法205条2項(尊属傷害致死)、同200条(尊属殺人)を憲法14条に違反しないと判断しました。しかしながら、穂積重遠は、多数意見に与することなく、反対意見として、これらの規定が憲法14条に違反するという論陣を張ります。穂積重遠は、上記判決から数ヶ月後の1951年7月29日、心臓変性症で逝去します。反対意見を遺言とするかのように。

ご存知の通り、それから23年後、旧刑法200条(尊属殺人)の合憲判決は、判例変更されます(最大判昭和48年4月4日刑集27巻3号265頁)。この判例変更により、日本国憲法下で初の法令違憲判決が誕生します。この法令違憲判決を主導したのが、当時、最高裁判所長官であった石田和外です。

ドラマの終盤で、桂場等一郎が大法廷の真ん中で法令違憲判決を朗読し、穂高重親の回想シーンが流れて、寅子が涙する姿が浮かびませんか。

6 さいごに

穂積重遠と石田和外の人生を軽く振り返ってみました。この二人の人生に日本国憲法14条を組み合わせることで、大きな物語が描けることが理解できたと思います。これだけ綿密なプロットを描いている「虎に翼」の脚本家やスタッフが、この構図に気づいていないはずがないと思います。

ここまで来れば、桂場の名が「等一郎」であることまで、意味深長に感じられるのではないでしょうか。

私の妄想はここまでです。はて、「虎に翼」の物語は、どうなるでしょうか。

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  • 意味がわからない方は調べてみてください。ヒントは、天皇機関説事件です。意味が分かると、「虎に翼」の脚本家やスタッフによる作り込みの本気度が伝わると思います。
  • 清水聡「家庭裁判所物語」(日本評論社、2018)は、失われつつある家庭裁判所の理念型を再確認する上でも読まれるべき本です。
  • 大村敦志「穂積重遠―社会教育と社会事業とを両翼としてー」(ミネルヴァ書房、2013)に依拠しています。名著です。是非、皆様に読んで欲しい本です。東宮大夫としての臣穂積重遠、天皇機関説事件時代の東京帝大法学部長穂積重遠、家庭人穂積重遠など、「虎に翼」では描かれない多様な穂積重遠像が描かれています。
  • そのほかに、親族には、日露戦争の総参謀長児玉源太郎、総理大臣寺内正毅、戦時中の内大臣木戸幸一、画家のレオナール・フジタこと藤田嗣治などがいます。大村敦志「穂積重遠」に穂積重遠の家系図が掲載されていますが圧巻です。
  • この世代の特徴として、概念法学を批判する自由法学の影響があります。「虎に翼」でも権利濫用で解決される民事事件が描かれましたが象徴的です。なお、伊藤孝夫「大正デモクラシー期の法と社会」(京都大学出版会、2000)(p12)によれば、「概念法学の凋落」をもたらした「自由法学乃至社会法学」の代表者の一人として穂積重遠が挙げられています。概念法学と自由法学については、「ブリッジブック憲法」(信山社、2002)の石川健治「第14講義」を参照。
  • 山本祐司「最高裁物語(上)・(下)」(講談社+α文庫、1997)と「憲法学から見た最高裁判所裁判官 70年の軌跡」(日本評論社、2017)の早瀬勝明「第6章 激流に立つ巌-石田和外」に依拠しています。「最高裁物語」は「虎に翼」の種本の一つです。
  • 「最高裁物語(下)」(p146)によると、沢村一樹演じるライアンこと「久藤頼安」のモデルである内藤頼博が、石田和外の「追想集」で、石田和外の思い出話として、「東京地裁の頃の石田さんは斗酒なお辞せず酔うと悪戯が激しかった。いきなり人の股ぐらに手を突っ込んで褌を引っ張り出す癖があった。また物を噛む癖があって、某貴族院議員のバッジを噛んで曲げてしまった。...おしまいには、やかんにじかに入れてお燗をした酒に小便を混ぜた。悪戯は徹底的に痛快であった。」と語っています。「桂場等一郎」の人物造形を考える上で興味深い文章です。
  • 「虎に翼」において、主人公の父が被告人となった「共亜事件」のモデルです。
  • 福岡県弁護士会会員である元裁判官の西理先生は、「司法行政について(上)」(判例時報2141号)において、同時代の自らの経験を記録として残しつつ、石田和外を含む当時の司法行政の為政者に対し、「これらの施策を推進した人たちが裁判所史上に遺した汚点の大きさとその責任の重大さを改めて心に刻むのである。しかし、これらの人たちの責任は歴史が審判するに違いにない。」(p4)と論じています。
  • 黒木亮「法服の王国(上)」(産經新聞出版社、2013)では、石田和外は、黒幕として実名で小説の登場人物となっています。
  • 全農林警職法判決については、憲法学者からは評判が悪いですが、再評価の機運もあります。例えば、千葉勝美「憲法判例と裁判官の視線」(有斐閣、2019)の「第2部Ⅲ 保革の政治的対立と公務員労働事件をめぐる司法部の立ち位置-横田喜三郎長官らと石田和外長官らが見ていた世界の相違」。
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