福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)
2023年4月号 月報
アセクシュアルってなんなん?こまりごとの多様性を知る
月報記事
LGBT委員会 久保井 摂(41期)
昨年NHKの「よるドラ」で放送された『恋せぬふたり』、ご覧になりました?そういえば、村上春樹原作の映画『ドライブ・マイ・カー』で一躍注目を浴びた三浦透子が主演した映画『そばかす』(今年公開)もまた、アセクシュアルをテーマにしたものでした。なにげにアセクシュアルは今や踏み込んで知るべき課題になっていると言ってもよいかもしれません。
1 LGBT電話相談にて
福岡県弁護士会は福岡市・福岡県との共催で、月2回LGBT電話相談を行っています。私が担当したある日、「アセクシュアルなんですが」と打ち明ける相談がありました。20代の方で、大学に進学したものの、いわゆる「恋バナ」につきあうのが苦痛でならず、話を合わせることに耐えられず退学してしまい、アルバイト先でもその苦しみに変わりはなく、人と関わること自体が怖くて何年も自宅に引きこもっているという困りごとでした。
もろもろお話はしましたし、その頃刊行されていた『見えない性的指向 アセクシュアルのすべて―誰にも性的魅力を感じない私たちについて』(明石書店)もご紹介してみたのですが、書籍は既に購入して読んでいるとのことでした。社会のどこにも居場所のない、自身の存在が否定されているような苦しみは受話器越しでの会話でも切々と伝わり、しかして何ら適切な援助を示すことができずに終わったのでした。
その頃から、アセクシュアルについての研修会を持ちたい、という強い思いを持つようになりました。
しかし、委員会で企画を具体化しようとしていた頃コロナ禍が出来し、企画は頓挫、このほど3年越しの念願の開催となりました。
2 うれしい誤算・まさかの満員御礼(失礼)
研修会は2月5日(日)15時よりの開催となりました。日曜の午後やや遅い時間帯、しかもきわめてマイナーなテーマで、果たしてどれほどの方にお越しいただけるのか、企画側は不安を抱えつつ、委員会のメンバーはなるべく参加するようにとのお達しのもと、当日を迎えました。
ところがです。会館ホールがほぼ満員の大盛況。実は大いなる社会的関心がこのテーマに寄せられているのだと知らされることとなりました。
3 講師陣
今回、司会を務めていただいたのはLGBT委員会の設置を牽引していただいたアクティビストの五十嵐ゆりさん、多様な肩書を持ちLGBTQ+や社会に向けて情報を発信してこられています。講師には、Aro/Aceな方々をつなぐための活動を行っているAs Loopのメンバーで、アロマンティック・アセクシュアル、Xジェンダー当事者である中村健さんと、大阪大学大学院人間科学研究科の三宅大二郎さん。
既に耳慣れない単語がでてきましたね。まず、アセクシュアルの「ア」は否定を表す接頭辞で、アセクシュアルはセクシュアルでないことを意味します。英語圏では「性的に惹かれるという経験をしない人」のことを言うそうですが、日本では統一された定義はなく、個人や団体によりその内容は異なるそうです。
アロマンティックはロマンティックではない、つまり恋愛的に惹かれることがないことを意味します。また、他者と情緒的なつながりがある場合のみ性的に惹かれることがある人をデミセクシュアルと言い、恋愛的に惹かれるけれど、相手にその感情を返してほしいとは感じない人をリスロマンティックというなど、この辺になるともう頭が混乱してしまいます。
ともかくもこうした周辺領域を含み、広い意味(スペクトラム)で性的に惹かれないことをAce(エース)、恋愛的に惹かれないことをAro(エィロ、アロ)と呼び、包括した概念としてAro/Aceという言葉を用いているのです。
4 中村健(なかけん)さんのお話
基礎知識について解説いただいた後、なかけんさんが「アロマンティック・アセクシュアルを自認する私の体験」を語ってくださいました。中学生のとき、仲の良い「友達」から告白を受け、勘違いしたまま交際がスタートしたけれど、なにも(恋愛的・性的な)進展がないと不満を抱いた相手と徐々に疎遠になってしまい、大切な友達を失ったことにショックをうけたことなど、恋愛や性愛が分からないことによる疎外感についてお話しいただきました。その後、インターネットで「恋愛感情」、「わからない」、「おかしい」などの用語で検索しているうちに同じ思いの人たちの掲示板にたどりつき、アセクシュアル、アロマンティックという「言葉」に出会って、自分を説明する言葉ができた喜びを知り、今日の活動を開始するに至ったとのことです。
なかけんさんは、Aro/Aceの人たちは自分たち以外の方には理解されにくく、何気ないひと言で深く傷つけられるのだと教えてくださいました。満を持して打ち明けても、「本当の恋愛を体験したことがないからだよ」、「思い込みだよ」とスルーされたり、「運命の人に出会ってないだけじゃない」とかわされたり、そもそも恋愛感情や性的に惹かれることがないことを証明することは不可能なので、否定されても正面から反論できず、ないものとされる恐怖に常にさらされる状態にあり続けている実態を垣間見ることができました。
5 Aro/Ace調査
三宅さんからは、2022年6月にウェブ上のアンケートフォームを利用して行った調査結果についての紹介がありました。13歳以上のAro/Aceを自認する日本語の読み書きをする人が対象ですが、わずか1月の間に2331通もの回答が寄せられたということです。どれだけ多くのAro/Aceが私たちの周りにもいるのか、気づかせてくれる数字です。ちなみに、全人口の何パーセントかというと、2019年に行われたある調査では0.8%とされているそうです。
調査では、回答者のうち自分がAro/Aceであることを誰にも伝えていない人が最も多く(32.5%)、また、生きている中で不安を感じることについての回答では、周囲に自分のあり方が理解されていないことや、恋人/パートナーを持たない生き方をすること、病気やケガをしたときに助けてくれる人がいないこと、家族、親族との関係がうまくいかないことなど、常に生きづらさを抱えていることが明らかになりました。
また、恋愛感情というものが分からないまま人と接していると、性的な信号を読み取れず、相手の思い込みから性行為を強いられてしまう危険もあるとのこと。なるほど。
6 多様な関係性に思いを馳せる
休憩を挟んで、「親密な関係性とはなんだろう」とのテーマで、アンケートフォームにより来場者に募った「恋愛/性的関係の暗黙の了解」に関する意見を紹介しながら、「友達以上、恋人未満」というフレーズをどう考えるのか、恋人が上で友達はそれより下なの?恋愛や性的関係において「暗黙のルール」とされているものにどんなものがあるか、そのようなルールを押しつけていいのか(異性の部屋を訪ねたらそれは性的関係OKというサイン?など)、といった問いかけを受け、それぞれが自分ごととして考える時間を持ちました。
Aro/Aceの中には、恋愛関係ではないけれど、親密で感情的なつながりを持つパートナーのような関係の人がいる方もいて、そんな存在を表現する適切な言葉がないために、英語圏では「ズッキーニ」と呼んだりするそうです。クィアプラトニック関係とも言い、いわゆる恋愛関係ではないけれど、親密で感情的な絆が存在する関係、通常の友情よりも、もっと深くてもっと情熱的な関係、とハフポストの記事にはあります。
なんだか、平等対等ですてきな関係じゃありませんか。
7 多様な関係性を想像できる社会に
私たちはしらずしらず「異性愛規範」や「結婚出産規範」に絡め取られ、恋愛/性愛以外の関係のあり方があるなんてことを考えもしない、そういう状態にあるのかもしれません。
五十嵐さんが会場で発言された、LGBTQ+は、自ら自分の特性を明らかにしないかぎりその存在が気づかれない状況にあるという話は、いわゆる社会的マジョリティとマイノリティとの非対称性を明らかにするものです。
すべてのマイノリティが恐怖心を抱くことなく、背を伸ばしてゆったり歩き過ごすことのできる社会。それは誰にとっても住みよく、人権が尊重される社会です。そのための一歩として、ぜひAro/Aceのことを学んでみてください。
会の終了後、3人のゲストの前にはそれぞれ少しでも話を聞いてほしい方々が列をなし、熱心に講師陣と言葉を交わしていました。あぁ、切実な思いを持つAro/Aceが多数、この場に集ったのだ、この研修が開催できて本当によかったと、熱い思いがこみ上げてきました。