福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)
2022年4月号 月報
映画上映・講演会「望むのは死刑ですか オウム"大執行"と私」~監督長塚洋さんをお迎えして~
月報記事
死刑制度の廃止を求める決議推進室 室員 古賀 祥多(69期)
多くの皆様にご参加いただきました
去る2022年2月19日(土)、福岡県弁護士会において、「望むのは死刑ですか オウム"大執行"と私」の上映会および長塚洋監督の講演会を、日本弁護士連合会、九州弁護士会連合会との共催で、開催しました。昨今の新型コロナウイルスの流行状況にかんがみ、会場参加・オンライン参加でのハイブリット方式で実施しましたが、あいにくの悪天候の中、当日は、合計約40名の方が参加されました。
本上映会・講演会の趣旨等
日本では、現在もなお、死刑制度があり、その執行がなされていますが、日本では死刑執行に関する情報はほとんど公開されないままとなっています。
そのようななかで実施された内閣府の世論調査によれば、国民の8割が死刑を「やむを得ない」と述べています。他方で、世界的には死刑制度を廃止・停止している国が飛躍的に増大しており、国際的潮流としては、死刑制度を廃止する方向となっています。
福岡県弁護士会では、会内において議論を重ねた上、2020年9月18日、「死刑制度の廃止を求める決議」がなされました。
その後、2021年7月1日、米国連邦政府において、ガーランド司法長官が連邦レベルでの死刑執行のモラトリアム(一時停止)を司法省職員に指示する通知を公表しました。OECD参加国をみると、死刑制度を維持していたのは、日本のほかに米国連邦およびその一部州でしたが、そのようななかで、米国連邦政府が死刑執行のモラトリアムを宣言したのです。これを受けて、福岡県弁護士会は、同年8月25日に「米国における連邦レベルでの死刑の執行停止を受け、日本における死刑制度の廃止に向けて、死刑執行の停止を求める会長声明」を発出しました。
福岡県弁護士会は、過去に、同じく長塚洋監督の、「望むのは死刑ですか 考え悩む"世論"」のドキュメンタリー映画の上映会・講演会を実施しました。今回は、長塚洋監督より、続編である「望むのは死刑ですか オウム"大執行"と私」が完成したとの話を聞き、上映会・講演会を実施することとなりました。
見どころ説明
本映画は、2018年のオウム真理教幹部13名に対する一斉執行を受けて、死刑の加害者・被害者をはじめとする死刑執行と向き合った方のドキュメンタリーとなります。
上映に先立ち、長塚監督に本映画の見所を尋ねてみました。長塚監督は、見所を話すとネタバレになるということで、映画の内容には立ち入らず、本映画をどういう気持ちで見てもらいたいか、という点について触れられました。
長塚監督は、メインタイトルである「望むのは死刑ですか?」について触れ、我々は死刑制度を自分のこととして考えているのだろうか、死刑制度のことを本当に知っているのか、そのうえで、死刑制度について議論しているのだろうか、そういった問いかけを本映画のタイトルにつけたとのことでした。このような、タイトルに込められた意味・気持ちを明らかにしたうえで、そのような気持ちで映画を見てほしい、ということでした。
本映画の内容とオウム真理教の説明
本映画では、オウム真理教の教祖および信者を含む13人に対する死刑執行後、さまざまな立場でオウム真理教やその信者、および同信者が引き起こした事件に向き合ってきた方々へ行った、本執行に関するインタビュー、対談を内容とするものでした。
オウム真理教や同教による各事件は、日本の犯罪史上において特筆される事件であるため、既にご存知の方も多いかと思いますが、事件発生から30年近く経過していることもあり、同事件を知らない世代もいることから、改めて概略を説明します。
オウム真理教は、1980年代後半に設立された新興宗教でしたが、その教義により、「出家」や高額の布施を要求するなどして、信者の親族やその支援者と揉めることが多く、発足時から様々な問題を抱えていました。そのため、信者の親族などで構成される「オウム真理教被害者の会」(現在、「オウム真理教家族の会」。以下、「家族の会」とします。)が結成され、司法、行政、警察など関係官庁に対する訴えが繰り返されていました。ただ、家族の会の活動に対して、警察等はその訴えを取り上げることはありませんでした。
そうしたなか、オウム真理教の信者は、教義に反する者に対して、その生命・身体を狙った犯行を行い、1988年から1995年にかけて、坂本堤弁護士一家を全員殺害し、信者らへのリンチ、家族の拉致監禁殺害を繰り返したほか、松本サリン事件、地下鉄サリン事件など、数々の凶悪犯罪を引き起こしました。
これら事件については、教祖やその信者を含む13名に対して死刑判決が言い渡され、2018年7月に2回にわたり、一斉に死刑執行がなされました。
本映画で印象深かったエピソード
本稿で、映画の内容をすべて明らかにするとそれこそネタバレになりますので、その全てをつまびらかにすることはできませんが、私が印象に残ったところを少しかいつまんでお話しようと思います。
まず、家族の会の永岡英子さんは、2018年の一斉執行を受け、神奈川県警が、当初、自分たちの訴えについて取り合わなかったことへの怒りの気持ちを示し、最初から本格的に捜査をしていれば、このような重大犯罪が繰り返されることはなく、このような顛末にならなかったのではないか、といった無念の気持ちを示していました。家族の会にとって、オウム真理教に取り込まれた身内は、オウム真理教の「洗脳」の「被害者」であり、そうした被害者を救うべく努力を続けていました。しかし、そのようななか、オウム真理教に取り込まれた「被害者」が、最終的には、取り返しのつかない凶悪犯罪に手を染め、多くの命を奪った「加害者」となってしまいました。本件で死刑執行の対象となった信者の中にも、家族の会がオウム真理教から救おうとした「被害者」が含まれていました。永岡さんの言葉は、オウム真理教事件や死刑制度にかかる様々な側面を示すものとして、印象深いと思いました。
また、坂本堤弁護士の先輩であった岡田尚弁護士の話が印象に残りました。岡田弁護士は、坂本弁護士がオウム真理教から娘を取り戻したいという親の相談を担当することとなったことを目の当たりにし、その後、坂本弁護士一家全員が失踪し、さらに後日、殺害されたことを知り、以後、オウム真理教と対峙し続けることになりました。岡田弁護士は、死刑制度に対して反対意見であるとのことでしたが、坂本弁護士を殺害した信者の公判期日を傍聴した際、同僚を殺した人間を目の当たりにして、「このやろう」という気持ちが表れたことを率直に語りつつ、また他方で、「坂本は、自分を殺し、妻と子を殺した犯人であっても、果たして死刑を望んだだろうか、とも思うのです。」と述懐し、事件に対する憤りと死刑制度やその執行に対して気持ちが揺れ動く様子が映し出されていました。
さらに、滝本太郎弁護士と岡田尚弁護士の対談の際、オウム真理教幹部に対する死刑執行後に弁護士会において死刑の廃止等を求める決議を発出したことについて、滝本弁護士が、死刑判決確定後執行前に声明を発出しなかったなかで、執行後に声明等を発出することへの疑問を投げかけたところが、オウム事件を目の当たりにしたなかでの死刑制度を巡る複雑な思いが表れており、非常に衝撃的でした。
本映画では、他にも様々なことが盛り込まれていましたが、オウム事件、及び同事件にかかる死刑執行のリアルを知ることができました。
講演会・クロストーク
映画が終わった後の講演会において、長塚監督は、参加者に対し、本映画をどのように受け止めたのか尋ねられました。その中で同監督が強調されたのは、「自分は死刑制度に反対するためにこの映画を製作したのではない、死刑そのものについて知ろうとしてもらいたい、そして、死刑制度について考えてもらいたい、議論してもらいたい、そのきっかけになればと願ってこの映画に取り組んだのです」ということでした。
そして、長塚監督は、1作目の「望むのは死刑ですか 考え悩む"世論"」についても、内閣府の死刑制度に関する世論調査において、死刑制度は「やむを得ない」か、あるいは「反対」かの二者択一で質問がなされているが、このような問いかけをされれば、国民は何かしらの「回答」をするのではないかと思われるが、果たして、我々は本当に死刑制度について考えたうえで回答しているのだろうか、まず、考え悩むことが必要なのではないか、という疑問があって制作したと語られました。
ただ、1作目の映画では、これまで死刑制度について考えたことや悩んだことがなかった人に対して死刑制度について考えるきっかけを与えるものとなったものの、死刑制度にかかる「当事者」は1人しか登場しておらず、さらに深く考えてもらうには、多くの「当事者」の声を知る必要があると考えていたところ、オウム真理教幹部の大執行があり、本映画を作成することとしたということでした。
その後、黒原智宏会員を交えてお話が進みました。黒原会員は、実際に死刑求刑事件の弁護を担当し、その被告人について現に死刑判決が言い渡され、最高裁まで争ったものの、ついに死刑判決を覆すことができなかったという経験をお持ちです。そして、その後、今に至るまでその死刑確定者を支える活動をしておられる方ですが、長塚監督に問われて、それ以前は死刑制度が必要だと考えていたことを率直に認められました。その黒原会員が、上記事件を経験することにより、また、本映画を視聴したことで、死刑制度への疑問を語られ、死刑は、国家であればたやすく命を奪うことができるということを示すために、いわば国家権力を示す装置とされているのではないかとの意見を述べられたのは圧巻でした。
そして、講演は、諸外国の死刑制度をめぐる動きや法制度のことなど、様々な事柄に広がっていきました。たとえば、メディアは、死刑制度に関する報道や世論調査は十分とは言えません。頻繁に報道されることによって、世論が形成されるのですから、メディアが果たすべき役割は大きいと思われます。アメリカでは、死刑事件においてスーパーデュープロセスがとられ、通常の刑事事件とは別に特別な手続規定に従って審理がなされるなど、特別な刑罰として意識されているのも、メディアが死刑事件を取り上げ詳しく報道するからであること、それに対し、日本においては、メディアの報道不足と、これによる市民の情報不足があるということが指摘されました。
続いて、会場の参加者との間でディスカッションが行われましたが、私が印象的だったのは、オウム真理教事件を知る世代の人が、教祖以外の信者に対する死刑執行について否定的な見解を示しながら、教祖だけは別としていることについて、オウム事件を知らない若い世代の人から投げかけられた、「なぜ教祖だけ別なのか」という趣旨の質問でした。これにはその事件を知る世代の参加者も答えに窮するという場面もありました。
死刑制度について深く知ること、考えること、議論することの重要性
本上映会・講演会で考えさせられたことは、市民が死刑制度について考えること、世の中の在り方を考えること、そして、考えたことについて議論することが大事であるということだったと思います。
本映画は、オウム真理教幹部の一斉執行の直後の時期に撮影された、まさしくその時、その瞬間を切り取るドキュメンタリーでした。現在、オウムの大執行から3年経過し、歴史になりつつあるところ、オウム真理教事件の「当事者」である方々の肉声を記録した本映画は、大変貴重なものであると思います。
オウム真理教事件、及びその幹部に対する一斉執行については、我々に対して、「死刑制度」とは何か、ということを突きつける大きな出来事であり、我々としても、より具体的に事件や刑の執行について知り、考え、議論するきっかけとすべき出来事であり、決して風化させてはならないように思いました。
死刑を執行すれば、人の生命が国によって奪われます。オウム真理教幹部の一斉執行では、1ヶ月の間に13人の命が国によって奪われました。世間ではオウム真理教の凶悪性が報じられ、それを受けて、死刑執行の際には、立て続けに執行されたことが、リアルタイムで報道されました。しかし、その報道では、本来であれば伝えられるべき情報等が抜け落ち、何も知らされないままとなっているような気がします。たとえば、実際の死刑執行の方法や、執行に携わる刑務官のこと、死刑執行前後の死刑確定者の様子などは、まったく伏せられたままです。また、死刑執行により、もはや執行対象者から事件の真相等が語られる機会が永久に失われることとなりました。本講演会では触れられていませんが、ふと考えれば、死刑確定後、今日明日ともしれぬ死刑執行を前にして、死刑確定者がいかなる心境におかれたのか、執行間際の肉声も聞く機会はないことに気づきました。
死刑執行に直に触れ、考え、議論することが非常に大事だと思います。これからも、皆様とともに考え、議論を深めていきたいと思います。