福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)
2018年10月号 月報
LGBT研修報告 ~スカーレットヨハンソンと宇多田ヒカル~
月報記事
LGBT委員会 委員 石井 謙一(59期)
1 はじめに
去る2018(平成30)年8月1日、福岡県弁護士会館3階ホールにて、LGBTに関する研修会が開催されました。
3部構成で、第1部は久保井会員からLGBTに関する基礎知識について、第2部は入野田会員からLGBTに関する裁判例についての講演があり、最後に福岡市の人権推進課課長から、LGBTに関する福岡市の取り組みについてご紹介いただきました。
2 当事者がかかえる困難~社会は変えられるか~
久保井会員からは、いわゆる性的マイノリティであるLGBTに関する基礎知識と、当事者が抱える困難について、社会学の文献まで引用しながら非常に分かりやすくご説明いただきました。
LGBTに対する根深い社会的差別があるため、我が国ではそもそもいないものとされていること。ひとたび露見すれば強い差別や嫌悪にさらされる恐れがあり、当事者は時に自死にもつながる様々な困難を抱えていること。
どうにかしなければと思いつつ、社会を変えるなんてどうしたらいいんだと頭を抱えてしまいそうですが、久保井会員から希望を感じられるエピソードをご紹介いただきました。
3 スカーレットヨハンソンと宇多田ヒカル
それは、スカーレットヨハンソンをめぐる宇多田ヒカルとそのフォロアーのツイートに関するエピソードです。
映画を観る方なら、ヨハンソンのことはご存じだと思います。著明なハリウッド映画俳優ですが、生まれつき割り当てられた性別が女性で、自認する性も女性である、いわゆるストレートの女性です。その俳優が、トランスジェンダーの役で映画に出演することが決まったのですが、これについて批判を受け、結局その映画への出演を断るに至りました。
このときの批判は、トランスジェンダーの俳優はそもそも出演機会が限られているのに、トランスジェンダーの役をストレートの俳優が演じてしまうと、トランスジェンダーの俳優の貴重な出演機会が奪われる結果となり、少数者がより圧迫されてしまうという趣旨のものでした。そして、ヨハンソンが降板したのは、このような批判に共感したためでした。
これに対し、宇多田が、「ストレートがトランスを演じてはいけないと言うならば、トランスはストレートを演じてはいけないということにならないか」、という趣旨の英語によるツイートをしました。スカーレットヨハンソンに対する様々な批判について困惑してのものと思われます。
これに対し、その発言の間違いを指摘するツイートが多く寄せられました。ここで問題となっているのは「ストレート」(性的指向)ではなく、性自認であり、シスジェンダーであるヨハンソンがトランスを演じること、トランス俳優にはお笑い的な演技以外の活躍の場がない現状、だからこそトランスを扱った映画においてトランス俳優が起用されないことの問題などを指摘するものでした。
しかし、それらの指摘はいわゆる「炎上」というような、相手を非難したり罵倒したりするものではなく、相手の立場を尊重し、理性的に誤りを指摘するものだったそうです。ある投稿者の多少揶揄的な表現への批判について、当の投稿者が誠実に返答し、批判した者が改めてその返答に敬意を示すなど、それなりに「成熟した」会話が見られました。
こうして、宇多田の投稿から数時間内に、何千もの反応があり、それは概ねトランスに対する「正しい」理解の方向へと収束していきました。これを受け、宇多田自身も、性自認と性的指向を混同していたことについて率直に謝罪した上で、「問題の核心であるアイデンティティの問題を見失っていた」、「寛容と忍耐のみが不寛容と無知と闘う唯一の手段だ」というツイートをしました。
このように、意見が対立していた人達も、相手を尊重しつつ率直に意見を述べ、最後にはお互いに理解を深め、他方をリスペクトするという関係になっていきました。
事態は、関わる人達みんながLGBTに関する理解を深める方向で収束していったのです。
それは英語によるやりとりでしたが、炎上→沈静化という過程を辿り、何ら生産的でない言説が垂れ流されがちな我が国の現状と比較すると、なんと素晴らしいやり取りかと感動しました。
4 成熟した議論を
このような成熟した議論が積み重ねられるのであれば、どうでしょうか。LGBTに対する差別や偏見も、少しずつかもしれませんが無くなっていくと思えます。
そして、このような建設的な議論を展開することがそんなに難しいことなのかというと、真摯に学び続けようとする姿勢や態度さえあればできることなのではないでしょうか。
先入観や固定観念に縛られ、思考停止して他者の言説を否定していては何かを学ぶことなどできません。無知であることを認めないなどもっての他です。
真摯に学び続けようとするからこそ、他者の言説に耳を傾け、自らの誤りを認めることができる。手の届く努力で、社会を変えることができるかもしれません。
私自身が、学び続けようとする態度や姿勢を持てているのか、まずは見直してみようと考えさせられました。
5 裁判例に見る事件処理上の注意点
入野田会員からは、LGBTに関する裁判例をほぼ網羅する形で紹介していただきました。
印象に残ったのは、LGBTについて理解が不足していると指摘せざるを得ない裁判例が比較的多いとの指摘があったことです。
紙面の関係で多くはご紹介できませんが、例えば、生物学的な性が男性で、自認する性が女性であるトランスジェンダーの当事者が、会社に女性の服装、化粧等をして出勤したり、会社に対して女性としての取扱を求めたところ、それを理由として解雇された東京地判平成14年6月20日の事案では、結果として解雇が違法であるとしたことは妥当なのですが、理由の中で「女性の容姿をした債権者を就労させることが、債務者における企業秩序又は業務遂行において、著しい支障をきたすと認めるに足りる疎明はない。」とされており、仮に当事者の見た目が社会的には女性として受け入れられにくいものである場合にはどうなるのかと疑われる認定になっているとのことでした。
我々も、実際の事件を取り扱うときには、LGBT当事者を巡る法律関係を正確に理解し、LGBTであることについて言及する際には不正確な表現や誤った主張にならないよう、裁判所にも誤った認定をさせないよう、細心の注意を払う必要があると感じました。
6 福岡市の取り組み
福岡市のLGBTに関する取り組みについて、人権推進課の合屋四郎課長からご紹介いただきました。目玉となるのは、パートナーシップ宣誓制度を創設されたことです。既に20組を超える利用があるとのことでした。LGBT当事者のための交流会も定期的に開催しておられ、毎回多くの方が参加されているそうです。
行政が人権課題として取り組んでくれているのは心強い限りです。
当会とは電話相談を共同で実施していますが、今後も色々な面で連携していければと思います。
7 最後に
今回の研修は盛りだくさんでしたので、印象的なお話に絞ってご紹介させていただきました。
今後も充実した研修を企画する予定ですので、奮ってご参加ください。