福岡県弁護士会コラム(弁護士会Blog)
2017年10月号 月報
第60回人権大会プレシンポジウム 監視社会で失われる市民の自由を考える ―公権力から丸裸にされ、批判を封じられる主権者でいいか― に参加して
月報記事
情報問題対策委員会 松本 敬介(68期)
1 はじめに
8月19日、福岡県弁護士会館3階にて、当委員会による企画のもと、第60回人権大会プレシンポジウムを開催いたしました。
特定秘密保護法、マイナンバー制度に続き、今年6月15日にはいわゆる共謀罪を盛り込んだ改正組織的犯罪処罰法が強行採決の末に成立しました。国民の表現の自由が脅かされるとともに、一方的に国民のプライバシーが吸い上げられ、国民が公権力の監視下に置かれる時代に突入しつつあります。
しかし、情報主権を巡る問題が風化しないうちに、このままでいいのか、主権者としての地位を奪われていいのかと、市民の皆様に問題意識を広く問う必要性があります。本年10月5日に大津市で開催される第60回人権擁護大会シンポジウムでも、第2分科会で「情報は誰のもの?~監視社会と情報公開を考える~」と題した企画が実施される予定ですが、情報主権を考える企画を多数発信し続けた当会では、よりタイムリーに市民の皆様と問題意識を共有するために、人権大会プレシンポジウムを企画いたしました。
今回は、ジャーナリストの斎藤貴男氏、大垣警察市民監視事件弁護団団長の山田秀樹弁護士、政治学を専門に研究していらっしゃる西南学院大学准教授の田村元彦氏をゲストにお呼びしました。
2 基調講演
まず斎藤氏から基調講演を行っていただきました。いわゆる共謀罪法の成立を受けて、未だに浸透していない同法の怖さを中心に講演していただきました。
講演の冒頭で、斎藤氏は、住基ネットが登場した際に、「俺が番号化するのか」と国民総背番号化の危機を感じたと述べました。住基ネットは、地方公共団体共同のシステムとして、国民一人ひとりに11桁の番号(住民基本コード)を割り振り、氏名、生年月日、性別、住所の「基本4情報」などが記載された各市町村の住民基本台帳をネットワーク化することで、これに関る事務を効率化するというものです。なお、12桁のマイナンバーは、この住民基本コードを基に組み立てられています。
斎藤氏は、思えばことあるごとに国家の国民総背番号化への野心が垣間見られたと回顧します。つまり、監視社会化の問題は今に始まったことではないということです。ジャーナリストとして数々の現場を取材してきた斎藤氏がこれから何を話すのか、参加者の期待が高まります。
まず、斎藤氏は、いわゆる共謀罪法の内容に言及します。
いわゆる共謀罪法の施行により、犯罪行為としては何も起こっていない計画の段階で犯罪捜査をすることが可能になるところ、どうやって捜査するかといえば、結局は会合にスパイを送り込んだり、盗聴することになると指摘します。
また、森林法違反や著作権法違反など、およそテロとは無関係の犯罪も捜査対象になることを指摘します。これでは、何でもテロと結び付けられ、単なる酒の席での冗談も捜査対象になり得ます。
結果的に検挙に至らないまでも、これでは市民が発言を自粛してしまいます。それは、捕まえようと思えば捕まえられる権限が捜査機関に付与されたこと、そういった脅威を背景にしていることを、斎藤氏は分かりやすく説明します。
「共謀罪の問題は共謀罪法の成立で終わることはない。」斎藤氏は、いわゆる共謀罪法が含む実質的な問題を考えるにあたり、国家が同時に進行させている制度全体を俯瞰することの重要性を示します。いわゆる共謀罪法の成立の他、通信傍受ができる対象犯罪の拡大化、GPS捜査の立法化など、捜査手法の高度化によって名実ともに国民監視を徹底する体制が整いつつあることを指摘します。
また国民監視のための技術も進歩しているとのことです。例えば、街中に設置されている監視カメラによって顔情報を取得・データベース化し、保有している顔写真と照合するという顔認証システムが構築されています。その他にも音声認証、果ては仕草認証というものが登場していると聞いたときには驚きました。
私達が気づかないところで、実に様々な情報が収集されているのです。
監視化の問題点は、何がいいことで悪いことかというのを各人ではなく、国家の価値基準で判断されていくことであると、斎藤氏は強調します。この判断のために情報が収集されているというわけです。
では、何故国家は監視社会化を進めていくのか、講演は佳境に入ります。
斎藤氏は、次の2つの理由があると推測します。1つは、新自由主義的な構造改革に拍車をかけて経済成長につなげるという経済戦略を採るにあたり、格差社会が更に拡大することが予想されるところ、生じた格差によって追い込まれた低所得層による反発を押さえ込むためであると推測します。
もう1つは、政府には戦時体制の構築の意図が垣間見られるが、それに反対する勢力を押さえ込むためであると推測します。
講演の最後に斎藤氏は、「国家は暴走するものだから歯止めをかける必要があるし、服従してはならないと思う。私は自分が与えられた人生を自分の意志で全うしたい」と語りました。物腰の柔らかい口調でしたが、強い信念を感じた一言でした。
3 パネルディスカッション
続いてパネルディスカッションでは、当委員会委員長の武藤弁護士がコーディネーターを務め、基調講演をしていただいた斎藤氏と、山田弁護士、田村氏にご登壇いただきました。
パネルディスカッションの最初に、山田弁護士から弁護団長を務めている大垣事件についてご紹介いただきました。
事件はいわゆる共謀罪法が施行される前の2014年に起きました。大垣警察署が、風力発電施設計画を進めている事業者を警察署に呼び出して、脱原発活動や平和運動をしていた大垣市民2人の氏名、学歴、職歴、病歴などの個人情報、地域の様々な運動の中心的役割を担っている法律事務所に関する情報を事業者に提供していたことが新聞報道により発覚しました。
これにより、大垣署が日常的に市民の個人情報を収集するとともに、住民運動・市民運動を警察が敵視していることが明らかになったわけですが、まさにいわゆる共謀罪法施行下における日本社会を先取りした事件といえます。
続いて田村氏からは、現在の日本社会について、自分の私生活から離れた問題に対して関心を寄せないことや、経済的な観点を偏重して物事の良し悪しを判断している傾向にあることについて問題提起をしていただきました。
また、社会で起きている事象について国民が関心を寄せないことが、監視社会を招き寄せているのではと見解を示されました。
田村氏が見解を示されたことに続いて、武藤委員長から、どうやったら目の前の社会問題を一般の方に伝えられるかとの議題が提起されました。斎藤氏からは、政府の関心が少子高齢化による国内マーケットの縮小を踏まえ、外需を拡大させることにあること、原発事業を始めとするインフラ輸出を外需拡大の基盤として戦略を練っているところ、海外への輸出にあたり武装集団による護衛がグローバルスタンダードで、日本もそれに合わせたいといった思惑があると指摘されました。そして、こういった仕組みについて理解すると、現在の日本が戦前のような軍事国家に逆戻りするおそれというのは、それほど絵空事ではないということが分かります。経済ジャーナリストとしても活躍された斎藤氏の指摘は明快で、様々な観点から世の中の仕組みについて知ることの大切さに気づかされます。
また、山田弁護士からは、社会問題化している事象について、自分の生活圏に生じる問題として学ぶことが大切であること、特にいわゆる共謀罪との関係では、自分達の行動を国が勝手に思想・信条と結びつけて意味付けをするので、自分とは関係のない問題と考えてはいけないことが、田村氏からも、個人の履歴から、第三者に勝手に人格を推察されることの危うさが指摘されました。
大垣事件を例にとると、養鶏場を営む原告の方は、風力発電所の設置の影響で鶏が卵を産まなくなるという経済的損失が生じるおそれがあるため、風力発電所の設置に反対していました。ところが、大垣署は、風力発電所の設置に反対しているという事実から、その原告の方を、自然に手を加えることは許さないという思想・信条を持った活動家であると決めつけて、監視の対象にしたとのことです。
4 おわりに
およそ3時間に亘る長丁場でしたが、参加された市民の方は集中力を切らさず聞き入っており、大変充実した内容のシンポジウムでした。
当委員会では、一人ひとりの個人が尊重される社会を目指すために、今後も市民の皆様と手を取り合って、監視社会化に立ち向かう取り組みを行っていきます。
転ばぬ先の杖(第35回) 自殺問題は今なお非常事態、ちょっとした知識と相談窓口としての頼れる弁護士会へ
月報記事
自死問題対策委員会委員 椛島 敏雅(31期)
弁護士会で自殺問題の法律相談や講演会等を実施
自殺、それは本人には取返しのつかないことであり、残された親族に対しても一生、その人生に深い傷を負わせるものです。福岡県弁護士会は、自殺は最大の人権侵害であり、本人や親族並びに社会に対して大きな災いをもたらすものとして、それを防ぐ立場から、自死問題対策委員会を設けて、自死問題支援者法律相談や自死遺族法律相談及び自死問題に関する研修会や講演会並びに専門職との交流会等の活動を行っています。
自殺対策の成果で自殺者は大幅な減少傾向にあるが、今なお非常事態は続いている
不名誉な自殺大国だった日本も、2006(平成18)年10月に自殺対策基本法が施行されて以降、個人の問題と認識されがちであった自殺問題について、2007(平成19)年6月、政府が内閣府(現在は厚労省所管)に自殺総合対策会議を設置して「誰も自殺に追い込まれることのない社会の実現を目指す」という観点から自殺総合対策大綱を策定しました。この官民挙げての総合的な自殺対策に取り組んだ結果、最も多かった2003(平成15)年の34,427人から、2016(平成28)年には21,897人まで減少しました。
福岡県も多い時は一時1,350人を超えていましたが、精神保健福祉センターが中心になって自殺対策に取組んだ結果、2015(平成27年)には937人まで減少しています。
しかしながら、今年7月に閣議決定された自殺総合対策大綱によると、「我が国の自殺死亡率は主要先進7か国の中で最も高く、年間自殺者数も2万人を超えている。かけがえのない多くの命が日々、自殺に追い込まれており、非常事態はいまだ続いている」と総括し、2026(平成38)年までに、10万人当りの自殺者数を現在の18.5から、先進7か国並みの13に減少させる目標を立てて対策に取り組む事にしています。
自殺問題の専門家によると自殺未遂者は既遂者の約10倍いて、自殺を考えた事のある自殺念慮者になると更に裾野が広がると言われています。以前、多重債務が大きな社会問題になった頃、全国クレジット・サラ金問題対策協議会でアンケート調査をしたところ、多重債務者の約4割近い人が自殺を考えたことがあるという結果が出て吃驚したことがありました。過労やパワハラ、ギャンブル依存症等でうつになって苦しんでいる人たちも同様で、自殺問題はそれだけ根深く裾野が広がっていると思います。自殺という大事に至らないため、私たちを含め、本人、その家族や友人知人の方がちょっとした知識や相談先を知っていることは大変重要なことだと思います。
自殺の背景とサイン
自殺は本人が多重債務や倒産、生活困窮、過労、パワハラ、セクハラ、いじめ、離婚問題や健康問題等の社会的要因によって追い込まれた末に生命がその人自身によって絶たれることです。また、ギャンブル依存症、アルコール依存症、統合失調症等のハイリスク者等による自殺も含めて、自殺者は自殺の前に何らかのサインを出していると言われています。早くからこの問題に取組んできたライフリンクの調査によると、自殺者の60%以上の人が自殺する1月前にいずこかに相談に行っているという結果が出ています。相談先は法律家も含まれています。追い込まれて相談に行っているのに、「それはあなたの責任です」とか、「そのくらいは仕方がないです」等と誤った「助言」をしたら、その人は自殺リスクを著しく高めてしまいます。私たちは国民の権利擁護を使命とするプロとして正しい知識を身に着け、自殺予防のゲートキーパーとしての役割を担う必要があると思います。
自死念慮が懸念される相談者への対応
相談者には「ストレスが多い時は、ゆっくり休むのがいいですよ」、「眠れていますか」、「食事はとれていますか」など聞き、眠れていないことが続いている時は精神科医や県、市の精神保健福祉センターの相談窓口に繋ぎ、TALKの原則で相談に乗ることが大切です。
(Tell 誠実な態度で話しかける Ask 自殺する意思についてはっきり尋ねる Listen 傾聴する Keep safe 安全を確保する相談原則)。「死にたい」と言われた時は、「あなたに死んでほしくありません。一緒に解決方法を考えて行きましょう」と寄り添って、精神保健福祉センター等の団体や専門職に繋ぐようにしましょう。(2017.09.13記)
あさかぜ基金だより ~卒業生の活動報告~
月報記事
豊前ひまわり基金法律事務所 所長 西村 幸太郎(66期)
1 はじめに
平成28年9月、あさかぜを卒業し、同10月、福岡県豊前市にて、豊前ひまわり基金法律事務所を開設しました。早くも1年が経ちます。皆様のご支援の賜物です。
あさかぜで学んだことを活かし、どのような1年を過ごすことができたか。これまでの弁護活動を、振り返ります。
2 弁護士赴任の意味
「先生がきてくれてよかった。」
相談者の言葉に、なんと元気づけられたことでしょう。
相談者曰く、「相談できる人が近くにいるというだけで、心強いのです。これまで、正しいかどうかわからず、不安な毎日を送ることもありました。話を聞いてくれる人、アドバイスをくれる人がいるということが、どれほど心強いことか。ぜひ、この地に根を張って、人々の力になってください。」とのこと。
私にとって豊前地域は新天地。地縁もなければ知人もおらず、ゼロからのスタートです。地域に受け入れてもらえるか、連れてきた妻とともに地域に馴染むことはできるか、食べていくことはできるか、地域住民に満足していただける質の高い法的サービスを提供できるか、不安もいっぱいでした。相談者による励ましは、そんな私を奮い立たせてくれるものでした。
弁護士赴任が意義高いものとなるよう、今後も精進を重ねていきます。
3 事件処理の工夫
地域の方(に限らないとは思いますが、相対的に。)は、円満解決、迅速解決を、強く望んでいるように思います。特に、後者の要請が強いと思います。もちろん、紛争は、人間の営みの中で生じるもので、うまくいかない場合も多いのですが、ニーズに応えるため、今まで以上に、事件処理の工夫を図ろうと努力しています。
受任時にできるだけ目安となる時間を伝えること(時間がかかる場合、その理由を伝えること)、事務局と連携しクイック・レスポンスを徹底すること、経過報告書を利用し処理経過を透明化するとともに、こまめな報告をすること、それでいて前向きにやれることからどんどん進めていくこと、などなど。当たり前のことを当たり前に、地道にやっていくことが、結局は、住民の信頼を得ていくことになるのではないかと思っています。
一方、円満解決の意向に関しては、悩ましいところがあります。住民は、地域柄、面目や風評などを強く意識する傾向にあります。法的には疑問を感じざるを得ない場合でも、訴訟を回避するなど様々な理由で、高額な支払いを余儀なくされるという事案も、珍しくありません。訴訟を望まない依頼者に、それでも訴訟を勧めるような説明をすべきか、悩ましいケースも多いです。争訟を好まない地域性に配慮しつつも、法的に適切な解決を目指す、そのバランスが難しいものです。
地域に法律という物差しに則った適切な解決を浸透させていくためには時間がかかりそうですが、私がその一助になれればと思います。
4 地域への浸透
赴任直後、ある先生から次のようなご助言をいただきました。
「弁護士は、地域に根を張り、行事にも参加して、その地域を肌で感じながら、地域に浸透し、事件処理にもあたっていかなければならない。君にそのような覚悟はあるか。」
独立前は、あまり意識していませんでしたが、様々な団体が、各地で、様々な活動をしています。こうした活動に触れることで、その地域の温かさを肌で感じることができ、人脈も広がっていくように思います。事件処理においても、その地域のことをよく知り対応することが、依頼者との信頼関係の醸成、事件の進行、相手方との折衝などにおいて、弁護活動の質の向上を支えるものではないかと思います。
「なにか困ったら、あの先生に相談すればいいよ。」と言ってもらえるよう、地域に浸透し、その信頼を勝ち取って、地域に根差した弁護活動をしていきたいと思います。
5 おわりに
本当は、思い出深いいくつかの事件の紹介も行いたいです。しかし、地域の特性上、事件が特定されやすく、守秘義務の要請が強く働くと思いますので、控えざるを得ません。
思いつくままに、この1年間のことを書き記してみましたが、法の支配の国民的浸透の一助となることを目指した、私の取組みは、まだまだ始まったばかりです。今後も、弛まぬ努力と精進を続け、1人でも多くの方々の力になっていきたいと思います。
今後とも、引き続き、変わらぬご指導・ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
憲法リレーエッセイ −日本国憲法公布70周年記念講演の報告−
月報記事
憲法委員会委員 天久 泰(59期)
今年は日本国憲法が施行公布されて70年目になります。これを記念して8月26日の午後、福岡県弁護士会主催(日弁連、九弁連共催)の講演会が開催されました。講師は對馬達雄秋田大学名誉教授で、テーマは「反ナチ脱走兵とドイツ司法」です。会場となった福岡市中央区天神の都久志会館には約250人の市民にお出でいただきました。この記念講演会についてご報告します。
對馬教授作成の資料の冒頭にはこう書かれています。
「自己の良心を支えに人種的、政治的迫害に反対し、ヒトラー・ドイツと異なる『もう一つのドイツ』を求めた反ナチ市民に仮託して、『市民的勇気』(ツィヴィル・クラージュ)とは何か、人間として自立的に生きるとはどういうことか考えて欲しい(中略)読書を捨て一面的なネット情報を鵜呑みにした、同調思考が増す現代日本の動静、とりわけメディアと政治の急速な劣化が、全体主義の再来を招くという危惧があるからです。」(引用終わり)講演の内容は前後半に大きく分かれ、「市民的勇気」を体現した2名の人物に焦点が当てられました。
その一人はフリッツ・バウアー。1903年にシュトゥットガルトのユダヤ人紡績商の子として生まれ、30年にドイツ最年少の裁判所判事に就任しましたが、33年に罷免されユダヤ人強制収容所生活に家族とともに送られます。35年にデンマーク、スウェーデンに長期亡命し、49年に西ドイツに帰国して判事に復帰、50年以降は検事となり、56年にはヘッセン州フランクフルト地裁検事長になります。
バウアーが検事として担当した「レーマー裁判」(52年)は、ヒトラー暗殺未遂事件(44年7月)に関与した元ドイツ兵たちについて、「外国から金をもらった売国奴で、国家反逆罪の罪人である」との演説をした極右運動家オットー・レーマーが名誉毀損罪に問われた裁判です。50年代の西ドイツでは1万5000人の判事・検事のうち66%から75%は元ナチ党員であったとされ、戦後も依然存在した極右勢力の影響下で、ナチ犯罪や戦争犯罪人に寛大な判決も多く、司法界にも色濃くナチズム期の体質が残っていました。
裁判の争点は、ナチ体制に対する抵抗が、国家反逆罪なのかという点でした。バウアーは事件が矮小化され、無罪判決が出るおそれを抱きつつ担当検事として全力を尽くしました。4日間の公開法廷の傍聴席は超満員で、審理の様子は逐一報道されました。最終論告で、バウアーは鑑定意見を踏まえ、ナチスドイツとは基本権を排除して毎日1万人単位の殺人を行う「不法国家」であり、この不法国家に対する正当防衛の権利は誰にもあること、その限りで抵抗の行動全てが合法的であること、不法国家に抵抗する権利即ち「抵抗権」は人間に付与されていることを述べました。バウアーは事件に関する報道が権威や権力に追従するドイツ人の目覚めるきっかけになることを願い、裁判を通じて国民に学んで欲しかったのです。
結果は有罪判決(禁固3ヶ月)。判決理由は、ナチ国家の実態がもはや法治国家ではなく「不法国家」であり、ヒトラー暗殺未遂事件における抵抗者達の行動は正当であるというものでした。バウアーの主張が受け入れられたのです。国内で大きな反響を呼ぶ判決でした。
ドイツは、戦後徹底的なナチズムの反省を行っていますが、その反省はバウアーの努力なくして実現しなかったといえます。
焦点が当てられたもう一人は、脱走兵であるルートヴィヒ・バウマン。バウマンは、1921年生まれ。20才のときにドイツ兵としてフランス・ボルドーの施設に派遣されましたが、間もなく脱走。すぐに軍に逮捕されて拷問を受け、40分ほどの裁判で国家反逆罪による死刑判決を宣告されます。収容施設で10ヶ月を過ごしたときに終戦を迎え、故郷ブレーメンに戻ります。帰郷したバウマンを待ち受けていたのは、脱走兵というレッテルを貼られ、日常的に「裏切り者」として罵倒される生活でした。彼は精神的に行き詰まり、アルコール依存症に陥りますが、51才のとき、脱走兵の名誉回復が自分の尊厳を得るための唯一の方法であると考え、名誉回復を求める市民運動を始めます。90年には、元脱走兵のための全国協会を立ち上げて広く賛同者を募り、その考えに共鳴する研究者を学術顧問に迎えるなどして政界と司法界に大きな影響を及ぼすようになりました。バウマンの運動を背景に、ドイツ連邦議会はナチズム体制下の法廷(人民法廷)は、ナチスの恣意的な支配のためのテロ組織であったとして、その判決は無効であるとの決議を行うに至りました。バウマンの名誉は回復されたのです。
バウマンはその活動の一環として、学生に向けた講話を多く行いました。ある講演録にはこうあります。「私には不安なことがあります。それはナチ時代の犯罪が徐々に相対化され、無害のものとされることです。そうならないように生徒たちの前で語っているのです。」バウマンの言葉は、人間の尊厳を守るため、忘却される歴史の流れに逆らいながら地道に声を上げ続けることの重要性を示しています。對馬教授の資料冒頭の言葉は、バウマンの言葉と重なります。
對馬教授には、全体主義に抗する「市民的勇気」の意義と重要性という貴重なご講演をいただきました。心より感謝申し上げます。日本国憲法は、去る大戦の背景にあった全体主義的な国家体制への反省に大きく根ざしています。この憲法が70年間にわたり私たち国民に与えてくれた「市民的勇気」とはどのようなものだったのかを振り返らずにはいられない機会となりました。これからも同様の機会を市民に向けて提供できるよう努力していきたいと思います。