福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)
2015年6月 1日
◆憲法リレーエッセイ◆ 戦争法案って、ホントの話?
憲法リレーエッセイ
会 員 永 尾 廣 久(26期)
無用なレッテル貼り?
安倍首相は、戦争立法はやめてほしいと質問した国会議員に対して、事実に反するレッテル貼りをやめてほしいと答えたといいます。
歴代の自民党内閣は、集団的自衛権の行使容認は日本国憲法の下では認められないとしてきました。ところが、自民・公明を与党とする安倍政権は、積極的平和主義の名のもとで、政府解釈を一変させました。日本が攻撃されてもいないのに、一定の要件を満たせば他国の軍隊と一緒になって海外へ出かけて武力行使ができるというのです。
でも、昨年7月1日の閣議決定だけでは、自衛隊は海外へ戦争しに出ていくことはできません。それを可能にする法律の裏付けが必要です。それが現在、国会で審議中の安全保障法制関連法案です。
日本の平和と安全を守るためには、日本が攻められる前に、日本の自衛隊も武器を持って外国軍と一緒になって積極的に海外へ展開して行動する必要があるというのです。安倍首相は、武力行使によってしか平和は守れないとします。本当でしょうか。
武力行使とは戦争のことであり、たとえ小さく始まった戦争であっても、どんどんエスカレートしていって、私たち国民の人権とか生命・健康なんて二の次、三の次になってしまうのではないでしょうか。それよりも、紛争が戦争に発展しないように、お互いの親善交流をすすめるべきだと思いますし、そのためにこそ政治はがんばるべきではないでしょうか。
「戦争」映画をみて・・・
アメリカ映画「アメリカン・スナイパー」を見ました。イラク戦争でのアメリカ軍の実態を見た思いです。爆弾を抱えてアメリカ軍に自爆テロ攻撃を仕掛けようとするイラク人の子どもをアメリカ軍のスナイパーはきわどいところで射殺し、助かったアメリカの兵士から感謝されます。でも、これって、アメリカ軍はイラクの民衆全体を「敵」に回していたということじゃないの。私は、この映画を通してそう思いました。
たとえ一人のスナイパーが600人のイラク人を「敵」として殺しても、それで戦争に勝てるはずはありません。むしろ、「敵」が増えるだけではないでしょうか・・・。イラクの現実が、それを証明していると思います。
ヨーロッパ映画「あの日の声を探して」は、チェチェンに侵攻したロシア軍の残虐ぶりを浮き彫りにしています。主人公の9歳の男の子は、目の前で両親をロシア兵から殺され、そのショックで話せなくなってしまいました。この映画では、同時に、ギターを弾いて楽しんでいたロシア人の若者が、ひょんなことからロシア軍に兵士として取り込まれ、ついには殺人マシーンに変容していく状況も描かれています。アメリカによるベトナム侵略戦争を描いたアメリカ映画「フルメタル・ジャケット」にも同じような過程が紹介されていました。
つまり、自衛隊が外国の軍隊と同じ存在になったとき、それは災害救助に出動して人命を救うのではなく、人をいかに多く効率良く殺すかという人殺しを使命とする集団になってしまうのです。
戦記文学を読んで
戦記文学としては大岡昇平の実体験をもとにした「レイテ島戦記」が有名です。
私はフィリピンのレイテ島に行ったことがあります。日弁連のODAに関する現地調査でした。しかし、レイテ島には、今やジャングルはありません。すべて人工植林です。そして、レイテ島で戦死した日本兵の大半は、実は、餓死したのでした。
最新の戦記文学「指の骨」(高橋弘希)を読んで、作者は自分の原体験を活字にしたと思いました。ところが、文献を踏まえた想像なのでした。作者は、なんと30代半ばなのです。前途ある若者が南方の島で飢えに苦しみ、まともな医療品もないなかで、もがき、苦しみます。戦争の悲惨な状況がリアルに描かれ、背筋がゾクゾクして寒気を感じました。
続いて、「中尉」(古処誠二)、「星砂物語」(ロジャー・パルパース)を読みました。「中尉」はビルマ(現ミャンマー)で敗退していく日本軍の軍医が主人公です。「星砂物語」は沖縄の島で起きた戦争中の悲劇をアメリカ人が「再現」して、読ませます。
この戦争は政府(軍当局を含む)がひき起こした無暴なものであり、有害無益でした。その反省は、今なお、政府当局者に求められています。「政府の行為によって再び戦争の惨禍」を起こしてはなりません。
戦後70年を再び戦前に戻さないために
団塊世代の私は、戦後生まれなので、もちろん戦争体験なんてありません。私より若い安倍首相も同じです。「戦前の美しい国・ニッポン」を取り戻すと安倍首相が叫ぶのを聞くたびに、自分だって戦後生まれなのに・・・、と思います。それはともかく、安倍首相は、平和を維持するために日本の自衛隊を海外へ送ると言います。それも、戦場の間近まで、です。
「後方支援」というのは、いわゆる兵站(へいたん)活動ですから、戦闘行動とは一体のものです。ですから、いつ、敵として攻撃を受けるか分かりません。
万一、不幸にして日本人の戦死者が出たとき、安倍政権は大々的な葬儀を営むことでしょう。でも、死んでから「英雄」と称えられて、誰がうれしいでしょうか。
いま、日本では、日本人は世界に冠たる優秀な民族だ、中国や韓国にこれ以上謝る必要はないという声がネット上でかまびすしいようです。だけど、近隣諸国をバカにして親善交流はできません。このグローバル化した世界で、日本だけが孤立して生き残れるはずもありません。日本が他国へ侵略して残虐な行為をしたことは歴史的事実なのです。そのことを忘れないことによって、将来にわたって戦争しない決意が本物になります。
尖閣諸島を巡って、仮に中国と日本が殺し合いをして、いったいどれだけの意味があるというのでしょうか。意味があるどころか、無意味と言うより巨大な損失を日本と世界にもたらすことは必至です。
安倍首相は、積極的平和主義の名のもとに、日本国内の軍需産業を大きく育成しようとしています。「死の商人」は、これまでもいましたし、これからも増えることでしょう。
安倍首相が進めているのは、武器の開発と輸出です。これは、日本国憲法9条のもとでは認められません。
戦後70年、平和な国ニッポンから、戦争する国・ニッポンに変わろうとしています。自衛隊に戦死者が出たとき、日本は、もはや戦後ではなくなります。それは、戦前の始まりなのです。そんなことにならないように、福岡県弁護士会では6月13日に憲法市民集会を開催することになりました。戦争するための安全保障法制にストップをかけるための集会とパレードです。ぜひ、あなたも参加してください。