福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)
2014年5月 1日
◆憲法リレーエッセイ◆ 集団的自衛権と「積極的平和主義」
憲法リレーエッセイ
会 員 永 尾 廣 久(26期)
集団的自衛権と憲法
4月10日、日弁連会館(クレオ)で、日弁連主催のシンポジウムがあった。3年つとめた日弁連憲法委員会の委員長としての最後の仕事として、パネルディスカッションの司会をつとめた。4人のパネリストは多彩で、豪華メンバーだった。
北澤俊美・参議院議員は、防衛大臣経験者として集団的自衛権の行使を容認することの恐ろしさを語り、同じく元内閣法制局長官の阪田雅裕弁護士が政府解釈の変更がなぜ許されないのかを明らかにした。
半田滋氏は、防衛省そして自衛隊を取材して20年になるジャーナリストとして、話題を提供した。
谷口真由美氏は国際法の大学准教授であると同時に、全日本おばちゃん党代表代行として、関西弁で、難しい問題をもっと分かりやすく国民に訴えかけていく必要性を力説した。
以下、少しシンポジウムの内容を紹介したい。
究極のシビリアンコントロールは9条
民主党政権のもとで長く防衛大臣をつとめた北澤俊美氏は、精強な自衛隊が必要だという考えである。ただ、その活躍の場としては、3.11のような大規模災害現場を想定している。戦争を前提とするものではない。
この点は、私もまったく同感だ。3.11の現場で自衛隊が活躍したことを、私も高く評価している。大災害の場合には、警察力だけでは足りないことは明らかだ。
そして、制服組をコントロールするときの最大の拠りどころは、交戦権を認めない憲法9条だと北澤氏は強調した。私は、この点についても、なるほどと思った。
防衛大臣として何回も訪米してアメリカの政府首脳と会った体験をふまえて、北澤氏は、アメリカが日本に集団的自衛権を行使できるようにすることを求めている事実はないと断言する。ただし、海上自衛隊の幹部のなかには行使容認を求める人もいるが、それはアメリカ軍との合同演習に参加したときに不便だという理由からなので、これは、なんとか解決する方法はあるとみている。
安倍政権が集団的自衛権の行使容認を強引にすすめようとしているのは、本当に危険なことだと北澤氏は何回も強調した。
自衛隊の任務は人命救助
半田滋氏(東京新聞編集委員)の示した画像はショッキングだった。イラクへ派遣された自衛隊の装甲車には大きな日の丸のシールを貼っているように日の丸が目立つ。一人ひとりの隊員にも日の丸のワッペンが身体のあちこちに貼られていて、服装も砂漠では目立つ深緑色だ。これはアメリカ兵と際立って異なっている。アメリカ兵のほうは、砂漠に溶け込む茶色の服で、もちろん星条旗なんて身につけない。
これは、両者の任務の違いから来ている。アメリカ兵は、あくまで戦場で殺し合いをするためにイラクにいる。だから目立ってはいけない。しかし、日本の自衛隊員はイラク復興支援、いわば人命救助に来ている。だから、アメリカ兵と決して見間違われないように、日の丸をあちこち目立たせているのだ。
これが憲法9条の実際的効果である。まさしく9条は生きている。戦争をしない国から来た自衛隊は、人殺しではなく人命救助のために来たことがイラクの人々から理解されたおかげで、イラクで自衛隊員は一人も殺されることがなかった。
安倍首相は卑怯
阪田雅裕弁護士は、内閣法制局の長官をつとめた経験にもとづいて法律論を展開した。この60年間、日本の自衛隊は戦力でないと、政府はずっと言い続けてきた。そして、集団的自衛権は行使できないとしてきた。それが行使できるというのであれば、自衛隊は外国の軍隊と同じものになってしまう。そうなると、憲法9条は、あってないようなものになる。そんな重大なことを、憲法改正ではなくて、安倍首相は閣議決定で変更するという。
これは卑怯だと思う。正々堂々と国民に問いかけて、きちんと信を問うべきだ。憲法9条を空文化することは、身内が戦争で死ぬかもしれない、外国へ殺しに行くようになるかもしれない。その覚悟があるのか、国民は問われることになる。
元法制局長官のこの言葉は、とてつもなく重い意味がある。
安倍首相の「積極的平和主義」
安倍首相がなんかいいこと言ってるよな・・・、がんばってるんだね。そんな印象を与えるコトバだ。
しかし、だまされてはいけない。この言葉、実は全身が剣と鎧に覆われている。きな臭さが漂っている。積極的に武力で抑え込んで世界の平和を実現するということだ。そんなことを日本がやろうとしている。しかし、世界最強の軍事力をもつアメリカだって武力による平和を成功していない。かえって、テロを多発させたり、内乱状態を生んでいる。
本当の積極的平和主義
伊藤真弁護士とは、日弁連で一緒に活動している仲(副委員長)だが、彼は安倍首相のコトバの使い方は間違っていると主張する。本当は積極的非暴力平和主義として使われてきた。つまり、あらゆる暴力から解放された状態を積極的平和(主義)と呼んできた。積極的平和とは戦争のない状態のこと。積極的平和とは、戦争だけでなく、さらに、貧困や搾取、差別などの構造的な暴力がなくなった状態をいう。
武力を行使する「積極的平和主義」」とは・・・
安倍首相は集団的自衛権についての政府解釈を一変させて容認しようとしている。日本を戦争する国に変えようというわけだ。そして、世界の平和を日本の武力で守るという。世界の不正と悲惨、不安と恐怖を除去するために積極的に貢献する。そのためには武力行使も辞さない。これを積極的平和主義というのである。
これまでの日本は、積極的・受動的平和主義だった。これからは、積極的に平和を維持、回復するためには武力行使をふくめた積極性が必要だと安部首相は叫んでいる。
安倍首相は、アメリカのスピーチでPositive Peaceではなく、Proactive Contributor to Peace(率先して平和に貢献する存在)という言葉をつかった。
しかし、武力で「平和を維持」しようというのは、一見、可能と思われるかもしれないが、実は無理なこと。そして、諸外国からは日本は変わった、日本は外国のために戦争をする普通の国になった、こう見られてしまう。これは、とてつもなく大きな変化であり、平和な国・日本のイメージが大きくダウンしてしまう。
集団的自衛権とは・・・
集団的自衛権は、個別的自衛権と文字面で似ているが、両者はまったく別のものなのである。外国を守るためのものとして限定しているわけでもない。
日本は何もしないと攻められる。では、何かしたら守れるというのか。アメリカは世界最大の軍事力を過去も現在も持っているが、9.11の事態を防ぐことは出来なかった。地球の裏側までもアメリカと一緒になって戦争しに行く日本なんて、絶対になってはいけないと私は思う。
日弁連憲法問題対策本部
憲法委員会の委員長職を3年間つとめた。この間に二度、人権擁護大会のシンポジウムに関わった。佐賀での教育シンポと広島での「国防軍」シンポ。教育問題という地味なテーマで、どれだけ参加者があるか心配したが、なんとか会場は埋まり、内容も充実していたので、もったいないので本にしようということになって出版した。だけど、売るのは大変だった・・・。
日弁連は、憲法委員会を発展的に解消し、この4月に憲法問題対策本部を発足させた。毎日のように憲法改正をめぐる動きが報道されているなかで、日弁連の活動を発展させ、強化しようというものだ。私も副本部長の一人になったので、引き続き微力を尽くしていきたい。