福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

2014年1月号 月報

「沈黙の12歳」

月報記事

会 員 安孫子 健 輔(62期)

「先生、付添人サポート研修のお願いです。12歳の女子。虞犯です。」

「12歳!?」

「私も家裁に何回か聞き返したんです。間違いありません。」


ここ最近、どういうわけか女子のケースばかり配点されてくる。このあいだはシンナー依存の16歳女子、その前は虞犯の16歳女子。そだちの樹で受理したケースや未成年後見のケースも例外なく女子。気がつけば、私のスケジュールには年ごろの女の子の名前ばかり並んでいる。

そして今回も女子。たださすがにローティーンの経験はなかった。この年齢で虞犯立件されるとは、いったいどれほど過酷な環境に身を置いていたのだろう。出動要請の電話から受け取れるわずかな情報でも、受話器をギュッと握らせるのに十分だった。


いざフタを空けてみると、それは想像を遥かに超える困難ケースだった。否、困難かどうかすら量りかねるケースだったと言ったほうが正確かもしれない。彼女は私にも、一緒に担当した徳川泉先生にも、調査官にも、観護教官にも、鑑別技官にも、家裁送致した児童相談所のケースワーカー(CW)にも、まったく口を開こうとしなかった。こちらが問いかけても、首を傾げたり、天井を仰いだり、俯いたまま両手の指を絡ませてみたりと、じっと何かを考えているのか、何も聞こえていないのかすら分からない。

ケースワークのきっかけになる情報が何も引き出せないことに、私たちは焦った。とにかく関係をとらないと始まらない。毎日面会に行こう。話ができなくても、顔を見に行くつもりで通ってみよう。そんな方針しか立てられなかった。記録を読んで保護者とコンタクトを取り、児相CWから話を聴き、鑑別技官にもカンファレンスを申し入れた。皆、悩みは同じだった。そうしているうちに、もう家裁送致から10日が過ぎていた。

しかし、子どものケースに急展開は付きものだ。徳川先生が面会のたびに送ってくれるメモが、ある日突然、すごいボリュームになっていた。彼女が堰を切ったように話を始めた様子が、その中に伝えられていた。

どうして彼女が急に話を始めたのかは今でも分かっていない。ただ、徳川先生だけが彼女から話を引き出せるようになったことは確かだった。それから私たちはようやく、審判に向けて動き始めた。


記録には児相の苦労がにじみ出ていた。児童自立支援施設への同意入所を目指してかかわってきたものの、その頑張りが実を結ぶ見込みはない。だから最後の手段として、家裁に施設送致を認めてもらいたい。詰まるところ、それが児相の見解だった。

しかし、彼女をいま施設に送致していったい何が解決するのか、私にはうまく飲み込めなかった。少年院と違って、児童自立支援施設を出た後は保護観察に付されない。児相CWが丁寧にかかわっていく以外に彼女の要保護性を解消する途がない状況は、今と何も変わらない。ここで彼女の納得を得ないまま施設送致を進めても、児相との関係が悪化して、施設から帰ってきた後のケースワークにも悪い影響を与えかねない。結局、このケースで司法ができることと言えば、「次に何かあったら少年院だよ。」と、懇切で和やかに、しかし絶望的なプレッシャーを伝えることだけではないか。私は、18条1項を使ってケースを児相に戻すべきだと考えた。

審判結果は施設送致。抗告も蹴られた。彼女はいま、送られた施設でどうにか前を向こうと頑張っているが、気力はそう長く続かないようだ。色んなものを溜め込んでは吐き出して、それを受け止めてもらって、そうしたことを繰り返す中で、大人への、そして社会への信頼を獲得していってくれることを願うしかない。鑑別所で徳川先生と一緒に自分と向き合った時間は、その過程できっと大きな糧になる。そう信じて、彼女の成長を見守りたい。

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