福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)
2013年12月 1日
◆憲法リレーエッセイ◆ 何も知らない
憲法リレーエッセイ
会 員 縄 田 浩 孝(47期)
僕は恥ずかしい告白をすることになる。今から2年くらい前、部会の憲法委員会(委員長は何と僕)で部会の重鎮の一人清原先生が、我々実務家が憲法9条を法として扱う上で何かできるか、東京裁判から勉強してみようと提案された。勉強しはじめてビックリ。知らないことが次々と出てきた。
ニュルンベルク裁判と東京裁判で歴史上はじめて指導者個々人の「平和に対する罪」の追及が行われたことを知らなかった。19世紀までは、国家は平等であり独立したもので、これらの国家の上に立つ判定者がいない以上、国家間の戦争は全て双方にとって平等に合法となるとする無差別戦争観が支配的で、平和は法よりはむしろ「勢力均衡」の外交政策によって維持される傾向があったということも初めて知った。ニュルンベルク裁判と東京裁判から戦争を法の支配の下におく試みが始まり、その後、例えば旧ユーゴ紛争に対する旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷が設置され、そこで大物戦犯ミロシェビィッチが裁かれる等したこと、その法廷の裁判官として日本の多谷千香子氏が活躍されたことも初めて知った。その戦争違法化の流れの中で国際刑事裁判所が設置されたこと、2010年の国際刑事裁判所の締約国会議でニュルンベルク裁判や東京裁判でも適用された「平和に対する罪」の定義がようやく採択されたことも初めて知った。そして、今、世界では非暴力平和隊など多くのNGOやNPOが武器を持たないで紛争地に入り平和のために活動していること、世界には平和構築を行うための平和学、紛争解決学の学部があり、そこで学んだ日本人女性が紛争の現場で現実に武装解除の仕事をしていることなどを初めて知った。要は平和に関する世界の動きを僕は何も知らなかったわけである。
我が国は日清戦争からほぼ10年おきくらいで戦争をしていた。ところが、先の戦争以降は現在まで68年間戦争をしていない。その原因の一つには憲法9条があるだろう。しかし先に見たような戦争を違法化し平和を具体的に追及していく世界中の人々の活動が深く関わっていたこともまた否定できないであろう。平和を希求する私たちは、政府に憲法9条を遵守させるために、そのような世界の人々の平和に向けた具体的な活動に加わっていく必要があるだろう。市民講座で講演をしていただいた立命館大学の君島教授は「する平和主義」とそれを呼ばれた。武装解除を職業としている瀬谷さんは次のように書いている。「アフガニスタンでは日本人が言うからと、信頼して兵士たちは武器を差し出した。ソマリアでは、アフリカで植民地支配をしたことがなく、支援を行う際にも政治的な思惑をつきつけない日本は中立的な印象を持たれている。そして、第2次大戦であそこまで破壊された日本が復興した姿を見て、今はボロボロの自分たちの国も、日本のようになれるのではないかという希望を与える存在になっている。日本が背負ってきた歴史的経緯は他の国がどれだけお金を積んでも手に入れられない価値を持っているのだ。」
憲法9条を実質的に壊そうとする現在の動きに私たちは自信を持って立ち向かおうではありませんか。 最後に、先にご紹介した清原先生が勉強会の成果を本にまとめられました。「日本国憲法の平和主義~一法律実務家の視点から」と題する本です(表紙の絵は黒田征太郎さんのものです)。皆様も是非お読みいただければと思います。