福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)
2013年11月号 月報
立川拘置所視察記
月報記事
会 員 金 敏 寛(61期)
2013年9月27日、我々北九州矯正センター構想対策本部委員9名は、東京都立川市にある立川拘置所を視察した。
北九州市小倉北区にある小倉拘置支所は、老朽化が深刻な問題となっており、我々対策本部の運動により、平成21年に法務省は移転を断念し、現地建替の方針となっただけでなく、地質調査などが終了し、今般補正予算で新しい拘置所の設計費が計上される等、現地建替が現実味を帯びてきた。
そのような中、小倉拘置支所と同規模でかつ平成21年に建設された立川拘置所を視察することにより、小倉拘置支所の建替について様々な意見を出せるのではないかと考え、立川拘置所を視察することにした。
とは言うものの、立川拘置所の前には、現在建替中である大阪拘置所を視察することを計画していた。平成23年6月の月報でも報告したように、我々対策本部は、2011年にソウル拘置所を視察しており、その際のソウル側との折衝窓口を私が担当したが、今回の視察においても拘置所側との折衝は私が担当することになった。
私が、大阪拘置所に電話をかけ、担当職員と話をする。
私:
「この度、小倉拘置支所の建替が進んでおり、大阪拘置所が最新設備を備えていると聞いたので是非とも見学に行きたいのですが...」
大阪:
「わかりました。いつ頃来られますか?」
私:
「7月31日に行きたいのですが。」
大阪:
「その日は何も予定が入っていないので大丈夫だと思います。」
ソウルのときのように、たらい回しにされないかと不安に感じていたが、スムーズに予定も決まり、対策本部に対してだけでなく、当本部が県弁の委員会でもあることから、県弁執行部に対して、大阪拘置所を視察するということが報告された。
数日後、大阪拘置所の職員から私宛に電話が入った。
大阪:
「新しい大阪拘置所を見学に来るとおっしゃいましたよね。」
私:
「はい、そうですが。」
大阪:
「実は、まだ基礎しかできておらず、建物自体は何も建ってないんですよ。」
私:
「・・・・・・わかりました。・・・」
ということで、大阪拘置所の見学は中止となった。
やはり、私が拘置所見学を担当すると何かが起きるということを改めて実感した。このことを県弁執行部に報告したが笑いしか返ってこなかった。
9月27日、午前10時から立川拘置所を視察した。
立川拘置所は平成21年に建てられたため、外観からは一見して拘置所であるとは思えないほどきれいな建物であり、なんといっても外壁がないことが、一層、拘置所とは思えない雰囲気をはなっていた。
我々の視察に合わせて、福岡矯正管区の方が2名来られていた。小倉拘置所の建て替えが現実的なものであることを改めて実感した。
15分ほど立川拘置所の概要の映像を見た後、実際に中の施設を見学して回った。
具体的な報告については、改めて報告集をまとめるためそちらに譲るが、やはり施設がきれいであり、拘置所内の職員にとっては働きやすい環境ではないかと思った
被収容者の部屋は、現在の小倉の拘置所とそれほど変わりはなかったが、トイレの位置が監視者に見られないように配慮されている点、冷暖房設備が整えられている点等、小倉拘置支所の建て替えにあたって参考になる点がいくつかあった。
気になった点は、既決収容者については、一人部屋ではなく複数部屋が認められ、テレビや共同浴槽、体育館の使用等が認められているのに対して、未決収容者については、一人部屋に一人用の浴槽しか認められず、テレビは見ることができないし、体育館や共同運動場等他の者と接触する機会が認められないことであった。
感覚としては、無罪の推定が及ぶ未決収容者にこそ、テレビや体育館の利用等も制限のないように認められるべきであるし、それなりの理由があるとは思うが、他の者とのコミュニケーションを図って過度なストレスがかからないように配慮されるべきではないかと思った。
約1時間の視察を終えて我々は立川拘置所をあとにしたが、次の予定まで時間があったため、東京地裁立川支部によって昼食をとることにした。
立川支部の外観は白色を基調としており、これまた外観からは裁判所であることを思わせないような建物であった。
最上階の書記官室から富士山が見えるということで、我々は数名で最上階にある書記官室前まで行き、富士山が見えたなどと騒いでいたが、中にいた書記官らが田舎者を見るような目をしていたことは言うまでもない。
午後2時から、前日弁事務総長で、長年被疑者被告人・受刑者などの基本的人権の擁護の研究や活動をされてこられ、監獄センターの所長などを歴任されている海渡雄一先生の事務所を訪問し、海外の刑務所事情等について話を聞いた。
我々は立川拘置所の視察を終えて、それなりに被疑者・被告人の人権に配慮されているとばかり思っていたが、海外の刑務所の写真を見ながら、本当にこれが刑務所かと思わされるような写真ばかりで、まだまだ日本の拘置所や刑務所のあり方が、欧米諸国に比べると劣っているのだと気づかされた。
海渡先生も、被疑者の生活について、日中は他の者とコミュニケーションを図った上で、就寝するときには個人のプライベートを尊重する形をとるべきだと話されており、この点については、小倉拘置支所だけでなく、弁護士会として、法務省をはじめとする関係機関に強く要請していくべきだと思った。
海渡先生の事務所をあとにした我々は、飛行機の時間まで少し余裕があったため、北九州で開催される九弁連大会の成功を祈って、浅草寺にお参りをしにいった。金曜日という平日でありながら、浅草はたくさんの人でにぎわっていた。
浅草で九弁連大会の成功をお願いした我々は、空港に向かい、搭乗手続きを済ませた後、荒牧部会長のいきつけである羽田空港内の寿司屋で夕飯をとることにした。
私だけが北九州空港から車を運転するため、お酒を飲むことができない中、皆はビールに焼酎にと、視察の成果を肴においしくお酒を飲んでいた。
ところが、頼んだ寿司がなかなか出てこない。出発前の30分頃になってようやく寿司が出てきたため、味わう余裕もなく、とりあえず片っ端から口の中に寿司を流し込んだ。
18:40分発であるため、18:25分には出発ゲートを通過していなければならないが、我々が食べ終わったのは18:20分頃であり、空港内を走って出発ゲートまで行き、なんとかゲートは通過したものの、飛行機に乗っていない我々の名前が空港内に大きくアナウンスされていた。
やはり我々は田舎者であった。
北九州空港に到着した後、私は運転手として、皆を目的地まで無事に送り届けた。
無事に立川拘置所視察を終えることができてほっとしている。