福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)
2013年7月号 月報
シリーズ ―私の一冊― 「燃える男」 A.J.クィネル作
月報記事
会 員 伊 藤 巧 示(45期)
長嶋茂雄の話ではない。この作品は海外冒険小説の傑作である。主人公クリーシィは外人部隊の勇者だった。しかし、戦闘で心も体も傷つき落ちぶれてしまい、10歳くらいの富豪の娘ピンタのボディガードをすることとなった。クリーシィは純真で好奇心旺盛な少女とのふれあいに最初は戸惑いつつも、戦争で傷ついたかたくなな心も徐々に打ち解けていった。ついには、クリーシィにとってピンタがこの世で最も大事な愛しいものとなり、失った人生を取り戻してくれそうな存在となった。しかし、あるとき、ピンタがマフィアに誘拐され(クリーシィも負傷する。)、強姦された上惨殺されてしまう。クリーシィは復讐を誓い、いろいろな人々(こう書かないとこれから読む人の愉しみが半減してしまう。)の協力を得ながら、誘拐に関与した人物を次々に殺害して最後は単身マフィアのボスの要塞に乗り込む・・・。
読んだ後で、もうちょっとしゃれた日本語訳の題名はなかったのかと思ったが、原題が「Man on Fire」だから仕方がない。舞台はイタリアと地中海の島だ。最近デンゼル・ワシントン主演で(ピンタはダコタ・ファニング)、「マイ・ボディーガード」という題名で映画化されたが舞台も背景もほとんど何もかも原作とは違っており、この映画を見たけれど本書を読んでいない人には是非読んでほしいが、読んだ人で映画を見ていない人には、映画は期待して見ない方がいいといいたい。
平成22年の月報10月号で、マイクル・コナリー作のハリー・ボッシュシリーズを「私の一冊」として紹介したことがあり、このときはハードボイルド小説を中心にいろいろ書いた記憶がある。今回、再び原稿の依頼が来た。なぜだろうと思いつつも深くは考えず、何でも好きなことを書いてやれと思って、今度は冒険小説の中から選ぶことにした。純文学や教養書ではないが、あまり頭を使わずに読んでスカッとする類いの分野の本が好きな人にとってはお勧めの本である。
昔の話になるが、受験時代に受験仲間の早田明文先生から、このA.J.クィネルという国籍不明作家の作品を紹介された。題名は「ヴァチカンからの暗殺者」。フィクションであるが、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世暗殺未遂事件を題材に、暗殺を企てたソ連のアンドロポフに対し(史実かどうか不明)、報復のためヴァチカンが刺客を送り込むという話である。その刺客はポーランドからの亡命将校であるが、ヴァチカンの枢機卿が選んだ本物の尼僧と偽装夫婦となって潜入するという筋書きで、その過程で二人の間に起こるいろいろな出来事(恋愛も含めて)とともに物語が進んでいく。かなりおもしろかったので、デビュー作を読んでみようと思い手に取ったのが「燃える男」である。
それから、時間だけはいっぱいあった受験時代に冒険小説・スパイ小説をむさぼり読んだ記憶がある。これを読まずして冒険小説は語れないというジャック・ヒギンズの「鷲は舞い降りた」は評判どおり面白かった。ドイツ落下傘部隊の将校が主人公で、チャーチル首相を誘拐しにイギリスに夜間落下傘で降下するという奇想天外な話(もちろん創作)であるが、各登場人物の描写がすばらしく、主人公に協力する元IRAの闘士が魅力的だった。この元IRAの闘士は、大学の教授でもありガンマンでもあり、醒めたロマンチストで、この世は神様が酔っぱらったときに間違って創ったものに違いないと言いながら、アイリッシュ・ウィスキーのブッシュミルズばっかり飲んでいる。おかげで、一時期私はブッシュミルズばかり飲んでいたことがあった。
スパイ小説では、ジョン・ル・カレのスマイリーものの3部作(イギリス情報部員ジョージ・スマイリーとKGB幹部のカーラとの情報戦を描いたもの)も有名なので読んでみた。作品としては面白いが、なぜか文章が読みにくい。他の作品も同様に読みにくい。訳が下手なのか、文体の好みによるものなのかと思っていたところ、佐藤至先生から「あれは原文自体が変らしい。」と聞いて納得した。なお、3部作の最初の「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」は、昨年あたり「裏切りのサーカス」という題名で映画化されている。また、イギリスのスパイものでは、グレアム・グリーン(映画で有名な「第三の男」の作者)の「ヒューマン・ファクター」が秀逸でお勧めだ。解説者によればミステリにして純文学なのだそうだが、なぜそうなのか私にはさっぱりわからない。
有名なイギリスの冒険小説に「深夜プラス1」(ギャビン・ライアル作)という作品がある。ハヤカワ文庫から出ているが、その解説には「深夜プラス1」のようなすぐれたエンターテインメントの条件は再読、いや再々読に耐えるということだとあった。冒険小説などは、暇つぶしに読むもので、私の場合、移動中や寝っ転がって読むことが多く、一度読んだらそれっきりというものがほとんどであるが、前回の月報で紹介した諸作品や、本書「燃える男」も含めて今日ここに挙げた冒険小説は、確かに再読に耐える小説である。私も3回以上は読んでいて、ほかの本は捨てたりしても、ずっと本棚の片隅を飾っている。