福岡県弁護士会コラム(弁護士会Blog)

2013年5月号 月報

毛利甚八さんが語る「弁護士のかたち」 ~5月22日定期総会記念講演のお知らせ~

月報記事

業務事務局長 知名健太郎定信(56期)

毎年、定期総会に先立ち行われる記念講演ですが、今年は、5月22日午後1時から、漫画「家栽の人」(小学館・1987~96)の原作者である作家の毛利甚八さんにご講演いただくことになりました。そこで、ここでは、簡単に毛利甚八さんのご紹介をさせていただきたいと思います。


1 毛利さんは、雑誌のライターとして生計を立てていた28歳のころ、ビックコミックオリジナルの編集長に声をかけられ、家裁の裁判官を主人公にした漫画の原作を手がけることになりました。法律的な知識がほとんどなかった毛利さんは、はじめて手にした六法に書かれていた「審判は懇切を旨として、和やかに行わなければならない。」(2000年改正前少年法22条1項)を文字通りうけとり、そこからあの桑田判事が生まれたのでした。

家事・少年事件という一見して地味なテーマを扱いながら、人間の本質を描くストーリー展開は、今見ても色褪せることはありません。また、裁判官や弁護士といった法曹関係者が読んでもまったく違和感のない正確な描写にも頭が下がります。まだ、読んだことがない方は、ぜひ講演の前にご一読されることをお勧めします。

余談になりますが、福岡県弁護士会所属の大谷辰雄弁護士、八尋八郎弁護士がモデルと言われる登場人物が出てくる点も、当会会員にとっては見所と言えるでしょう。

「家栽の人」が、司法というものを市民に分かりやすく伝え、身近なものにしたという功績は、非常に大きかったと言えます。

2 他方で、毛利さんは、自らが描いた「家栽の人」の世界と実際の裁判所のあり方のギャップに悩むこともあったといいます。

そのようななか、現実の裁判所がどういうところかを確認し、また、司法はどうあるべきかを訴えかけるため、毛利さんは、裁判官へのインタビューを中心とした「裁判官のかたち」(現代人文社・2002年)を書かれました。この他、自ら中津少年学院において篤志面接委員を務めている経験も踏まえて、「少年院のかたち」(現代人文社・2008年)なども書かれています。

3 法曹人口の増加や相次ぐ不祥事などにより、弁護士が置かれた状況は、「家栽の人」の時代から大きく変化しました。

このような時代のなかで、市民は弁護士をどのように見て、何を期待しているのか。また、弁護士は、市民の信頼を回復し、自分たちの活動を理解してもらうためにどのような情報発信をすべきなのか。

司法をわかりやすく市民に伝えつつ、他方で、司法がどうあるべきかを問い続けてきた毛利さんだからこそ、激動の時代におかれた弁護士が新しい「弁護士のかたち」を見つけるためのヒントをくれるかもしれません。

これまで日弁連や各弁護士会で、数多くの講演を経験された毛利さんですが、"弁護士"をテーマに講演をするのははじめての試みということです。ぜひみなさん、奮ってご参加ください。


<毛利甚八さんのその他の法律関連著作>

・漫画原作

「裁判員になりました」、同PART2、

同番外編(日本弁護士会連合会)

裁判員の女神(実業之日本社)

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福島を訪れて

月報記事

会 員 吉 野 隆二郎(51期)

3月1日から2日にかけて福島に行き、貴重な体験をさせていただいたと思いましたので、その報告をしたいと思い、月報に投稿させていただきました。

私が最初に福島県に行ったのは、2002年10月に福島県郡山市で開催される人権大会で、湿地に関するシンポジウムが企画されていましたので、それを見に行くためでした。その後、そのシンポジウムの参加などを契機に有明海の問題に取り組むようになり、現在に至っています。東日本大震災後、なかなか機会はなかったため、初めての福島行きとなりました。

私が、福島県に行くことになったのは、福島県弁護士会から「公害紛争処理制度の活用に関する学習会」の講師として呼ばれたからでした。私は、諫早湾干拓事業に関する原因裁定手続きの事務局長をしていたこともあり、日弁連の中でも公害紛争処理、特に原因裁定手続きに詳しい弁護士という扱いになっていました(2010年には近弁連の勉強会の講師をしました)。福島県弁護士会の方からの要請に対して、福島の被害に対して、何か私で役に立てることがあればと思い、講師を引き受けました。勉強会は、3月1日の午後5時30分から2時間程度行われました。参加申込者が36名と聞き、福島県弁護士会の会員の人数を調べましたところ、156名でしたので、かなりの割合の方が参加されるのだと身の引き締まる思いがしました(実際には、8名が修習生でしたが、それでも28名の会員に対して話しをしたことになります)。原発賠償のADRの限界が見えだしているところで、裁判以外にも何か福島の被害を回復するための手段がないかとの思いからの企画とのことでした。私なりに原因裁定手続きを行った経験をふまえた話しをさせていただきました。同日は、懇親会も開催していただき、本田哲夫会長を始め何名かの会員には2次会までお付き合いしていただきお世話になりました。

翌日は、日弁連の公害環境委員会の委員でもある福島県弁護士会の湯坐聖史会員に案内していただいて、現場の状況について関係者の話しを聞くことができました。今回の勉強会を開催するきっかけは、湯坐会員が、福島県の内水面に水産関係の被害の問題について公調委を利用できないだろうかという問題意識から始まったとのことでした。それなら湯座会員が念頭に置いている事案の現場を見れば、より的確なアドバイスができるのではないかと考えたことから、翌日である2日に現場の案内をお願いしたところ、快く引き受けていただきました。午前は、矢祭町(合併をしない宣言をした有名な町です)にある河川の内水面漁業者のお話を聞くことができました。河川のある場所は、福島県の中では線量の低い方の場所なのですが、山を経由して川にセシウムが流れ込んでいて、イワナから基準値以上のセシウムが検出され、国による採補等の禁止措置がなされたりするなどの被害を受けているとのことでした。川の様子だけ見ると、山の間を流れるきれいな川で、とてもその川の魚がセシウムを体内に蓄積しているとは思えませんでした。午後は、雪が降る中を、郡山市にある鯉の養殖(食用)の業者のお話を聞くことができました。鯉は、養殖池の底の部分の泥を食べるため、底に集まっているセシウムを体に取り込んでしまうとのことでした。国の基準値を超えているわけではないようですが、セシウムが検出されるということで、イメージダウンは大きいようです。そのため、福島県が鯉の養殖の日本一の生産地だったのが、現在は茨城県が1位だそうです(しかし、茨城県も霞ヶ浦などにはセシウムがたまっており、福島県と同様の状況にあるようです)。どちらの例でも言えることは、山に降ったセシウムが、川などを伝わって徐々に、下ってきており、その影響から、特に内水面の漁業は深刻な状況にあるということでした。セシウムの半減期等から考えると、このような状況はかなり長期間及ぶことが予測されます。福島における被害はずっと継続し続けるということを実感することができました。貴重な機会を与えていただいた福島県弁護士会へ感謝するとともに、福島県の被害の問題について、今後も私なりに何らかのお手伝いができたらと思っております。

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