福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)
2013年3月 1日
◆憲法リレーエッセイ◆ 生存権裁判に参加して考えたこと
憲法リレーエッセイ
会 員 小 谷 百合香(64期)
みんなで知恵を絞って!
弁護団会議では毎回、白熱した(?)議論が展開されています。裁判の目的は老齢加算の復活ですが、そのためには、老齢加算がなくなって、高齢者がどれほど苦しく、貧しいみじめな暮らしをしているか、裁判官に分かってもらわなければなりません。そのために、理論面、事実面双方から裁判官にいかに伝えるか、7人で知恵を絞っています(私は実働というにはまだまだですが...)。
たとえば、生活保護受給の高齢者は、一度入った風呂のお湯を捨てずに溜めておいて、何度も沸かし直して入るのですが、その経済的メリット(果たして本当に節約になっているのか)と、衛生面でのデメリット(雑菌がどのくらい潜んでいるか)を検証しようという案が出たことがありました。結局、この案は、技術的な困難から実行されませんでしたが、既存のもの(経験や知識)にとらわれずに、自由に発想していいんだと実感します。
周囲に知られたくないこと
さて、この裁判の関係で、私は、とある高齢者の自宅に行きました。
この家族は、高齢の母と子ども二人の三人で暮らしていました。生活費は、母親の年金や生活保護費、それに子どもの収入や障害者年金です。
当初、母親は、少し耳が遠いながらも、私たちの質問に答えてくれていました。ところが、老齢加算がなくなったことで、変わったことは、との質問に、近くにいた子どもが「母さん、服や下着を買わんようになった。死んだ父さんのパンツや靴下を履いてるじゃないか」と言ってから、母親が顔を上げることができなくなり、顔色がみるみるうちに赤く変わり、話した子どもの膝をピシッと叩いたあと、まったくしゃべらなくなりました。
母親にとって、そこまで辛抱して生活していることは、周囲の人に知られたくないことだったのです。
おばあちゃんが、死んだおじいちゃんのパンツや靴下を履いている...このことは、話を聞いた私にとっても大きなショックでした。下着や靴下って、家族で使い回すようなものじゃないでしょ。これって、歯ブラシ使い回しているようなものでしょ。これで、高齢者が尊厳持って生きていると言えるのか。この高齢の母親の話は、しっかり聞き取って裁判官に伝えれば、きっと伝わる。そう実感した瞬間でもありました。
私が考えたこと
生活保護バッシングや保護費削減が声高に叫ばれる中、裁判自体は非常に厳しい状況です。
しかし、今回の訪問は、本当に保護を必要とする人が、十分な保護を受けられていないことを再度実感させられた、いい機会でした。
必要としている人に、必要としている保護を受給させる。これが、憲法の求める「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」ではないのでしょうか。今回、私が話を聞いた母親の生活は、それが保障されていると言えるものでしょうか。
やはり、現場で必要としている人の声を聞かなければ現場の声は吸い上げられません。私たちはその吸い上げを実現できる立場として、これからも現場の生の声を聞き続け、それを裁判官にきちんと伝え続けていかなければならないと感じています。