福岡県弁護士会コラム(弁護士会Blog)
2013年3月号 月報
給費制市民集会についてのご報告
月報記事
会 員 菰 田 泰 隆(65期)
1 去る平成25年1月19日土曜日、福岡県弁護士会館にて司法修習生の給費制に関する市民集会が開催されましたので、その反響の大きさについて会員の皆様にご報告させていただきます。
まず当日は、千綿俊一郎先生から給費制に関する法改正の経過や現在の議論状況について基調報告がなされた後、初めて貸与制での司法修習を経験した新65期会員である私菰田泰隆、高松賢介先生、國府朋江先生から貸与制における司法修習の実情等を報告させていただきました。加えて、弁護士を目指したきっかけや給費制に対する想いについて、馬奈木昭雄先生、椛島敏雅先生、下村訓弘先生、九州大学法学部生の安井あんなさんによる、リレートーク形式での貴重な体験談などをお話しいただきました。そして最後に、羽田野節夫先生、平田広志先生、高松賢介先生によるパネルディスカッションが行われ、給費制の意義やあるべき制度論、市民に理解して欲しい点等が活発に議論されました。会場には、一般の方々だけでなく、国会議員や議員秘書の方々、テレビ局関係者や新聞記者の方々、他県のビギナーズネット会員の方々等、参加者は100名を超え、給費制に対する関心の高さに驚かされるばかりでした。
2 中でも私が最も印象に残ったのは、以下の2点です。
第1に、今回の市民集会全体を通じて強調されてきた統一司法修習の重要性です。国民の権利保護を司る司法が適正な裁判を行うためには、その裁判過程や判決に至る論理を十分に理解した法曹三者による適切な訴訟追行が不可欠です。それはつまり、法曹三者同士がいかなる思考過程を経て訴訟を追行するのか、互いにいかなる点に重点を置いた訴訟活動を行っているのかを知り、互いの行動原理を共通理解としなければ成り立たないものです。そこで、長年続く統一司法修習は、司法試験合格者全員に対して法曹三者すべての行動原理を学ばせるために、統一した実務修習制度を用意しているのであり、これが現在の司法制度の根幹を成していると言っても過言ではないでしょう。そんな中で給費制廃止の議論から発展して、貸与制での司法修習が困難であるならば、統一司法修習自体を廃止し、法曹三者ごとで個別の研修を行えばよいとの議論が発生していることも事実です。今回の市民集会では、全体を通じて統一司法修習の重要性が説かれ、給費制廃止の議論が統一司法修習という司法制度の根幹にかかわる問題であることが浮き彫りになったという意味で、他に類を見ない市民集会を開催することができたと実感しております。
第2に、市民集会終了後、マスコミ各社が新66期である現司法修習生から詳細なインタビューをとっていた事実です。後にマスコミの方々から聞いたお話では、記者の方々も給費制廃止について関心はあったものの、司法修習の実情や統一司法修習の意義など、司法修習自体についての理解はあまりなく、「私たちが記者として関与していてもこの程度の知識・理解しかないのだから、市民のみなさんは司法修習というものを理解するどころか、存在すら知らない方が多数を占める。そんな状況下で給費制廃止の議論を進めても、適切な結論が得られるわけもなく、その前提知識を伝えることが私たちの役目なのだから、生の声を伝えて行きたい。」とおっしゃっていました。私たち法曹の情報発信能力には限界があり、マスコミなどの力を借りなくては私たちの意見を世論に反映させていくことは不可能です。そんな中で、法曹関係者だけでなく、マスコミの方々が市民集会に参加した結果として危機感を抱いてくださったことは、給費制復活に向けた極めて大きな前進であると感じました。
3 以上のとおり、部分的な紹介にとどまりましたが、今回の市民集会は今後の給費制復活議論を進めていくにあたって、極めて大きな影響を与えることができたと実感しております。今後も、司法修習の重要性や実情を市民のみなさまに広く知っていただく機会を設け続け、少しずつでも給費制に対する理解を得ていく地道な活動を続けて行く必要があると思われます。
会員の皆様方におかれましては、これから後に続く後輩たちが司法修習に専念できる環境を整えるため、これからも給費制復活に向けた活動にお力添えをお願い致します。
◆憲法リレーエッセイ◆ 生存権裁判に参加して考えたこと
憲法リレーエッセイ
会 員 小 谷 百合香(64期)
みんなで知恵を絞って!
弁護団会議では毎回、白熱した(?)議論が展開されています。裁判の目的は老齢加算の復活ですが、そのためには、老齢加算がなくなって、高齢者がどれほど苦しく、貧しいみじめな暮らしをしているか、裁判官に分かってもらわなければなりません。そのために、理論面、事実面双方から裁判官にいかに伝えるか、7人で知恵を絞っています(私は実働というにはまだまだですが...)。
たとえば、生活保護受給の高齢者は、一度入った風呂のお湯を捨てずに溜めておいて、何度も沸かし直して入るのですが、その経済的メリット(果たして本当に節約になっているのか)と、衛生面でのデメリット(雑菌がどのくらい潜んでいるか)を検証しようという案が出たことがありました。結局、この案は、技術的な困難から実行されませんでしたが、既存のもの(経験や知識)にとらわれずに、自由に発想していいんだと実感します。
周囲に知られたくないこと
さて、この裁判の関係で、私は、とある高齢者の自宅に行きました。
この家族は、高齢の母と子ども二人の三人で暮らしていました。生活費は、母親の年金や生活保護費、それに子どもの収入や障害者年金です。
当初、母親は、少し耳が遠いながらも、私たちの質問に答えてくれていました。ところが、老齢加算がなくなったことで、変わったことは、との質問に、近くにいた子どもが「母さん、服や下着を買わんようになった。死んだ父さんのパンツや靴下を履いてるじゃないか」と言ってから、母親が顔を上げることができなくなり、顔色がみるみるうちに赤く変わり、話した子どもの膝をピシッと叩いたあと、まったくしゃべらなくなりました。
母親にとって、そこまで辛抱して生活していることは、周囲の人に知られたくないことだったのです。
おばあちゃんが、死んだおじいちゃんのパンツや靴下を履いている...このことは、話を聞いた私にとっても大きなショックでした。下着や靴下って、家族で使い回すようなものじゃないでしょ。これって、歯ブラシ使い回しているようなものでしょ。これで、高齢者が尊厳持って生きていると言えるのか。この高齢の母親の話は、しっかり聞き取って裁判官に伝えれば、きっと伝わる。そう実感した瞬間でもありました。
私が考えたこと
生活保護バッシングや保護費削減が声高に叫ばれる中、裁判自体は非常に厳しい状況です。
しかし、今回の訪問は、本当に保護を必要とする人が、十分な保護を受けられていないことを再度実感させられた、いい機会でした。
必要としている人に、必要としている保護を受給させる。これが、憲法の求める「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」ではないのでしょうか。今回、私が話を聞いた母親の生活は、それが保障されていると言えるものでしょうか。
やはり、現場で必要としている人の声を聞かなければ現場の声は吸い上げられません。私たちはその吸い上げを実現できる立場として、これからも現場の生の声を聞き続け、それを裁判官にきちんと伝え続けていかなければならないと感じています。