福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

2012年11月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 人権擁護大会シンポジウム余聞

憲法リレーエッセイ

会 員 永 尾 廣 久(26期)

姜尚中教授のドタキャン

10月4日、佐賀市で開かれた第55回目の日弁連人権擁護大会シンポジウム第一分科会は教育問題をテーマとして取り上げたものでした。私は、このシンポジウムに日弁連憲法委員会の委員長として関わりました。

教育問題をテーマとする大変地味なシンポジウムだけに集客力に不安がありましたので、実行委員会ではいろいろ検討し、試行錯誤を重ねたあげく、100万部も売れたと評判の『悩む力』の著者である姜尚中・東大教授を目玉にすえることにしました。超多忙な学者であることは周知のことですので、突然の体調不良や台風などのために急にキャンセルされたらどうしようという一抹の不安とともに準備をすすめていきました。

ところが、木曜日にシンポジウム本番を予定していた直前の日曜日の夜に「家族に不幸があって参加できない」とのメールが入ったのでした。まさしく晴天の霹靂です。実行委員会としては、何とか翻意してもらうべくタイムリミットぎりぎりまで働きかけをしましたが、ついに断念せざるをえなくなりました。


右派ジャーナリズムによるバッシング

その後、姜尚中教授のドタキャンは、結局、某週刊誌がその家庭内の不幸(長男の自殺?)というのをスクープとして大きく取り上げたことによるものだということが判明しました。東京の地下鉄車内での週刊誌の宙吊り広告には「姜尚中の家庭崩壊」と大書されていました。

ところが、ことが起きたのはなんと3年も前のことなのです。家庭内で不幸な出来事があったのが事実であったにしろ、それをあたかも最新のスクープであるかのように大々的に「報道」するのは、まさしくリベラル派知識人たたきを狙ったバッシング以外の何ものでもありません。

日中・日韓で領土問題に火がつき、「愛国心」が煽られるなかでの有名「在日」知識人バッシングとしか思えません。


出るべきか、出ざるべきか・・・

マスコミに詳しい弁護士のなかには、なんの、これしきの週刊誌の記事など、ものともせず、気にすることなく堂々と講演すべきだという声がいくつもあがりました。

でも、私はそれには同調できませんでした。教育シンポの基調講演者が、週刊誌で大きく「家庭崩壊」と報道されているのに、人前に出ることができるものでしょうか。私にはそうは思えません。少なくとも私は自信がありません。


寛容さを忘れようとしている日本社会

先に、生活保護問題で有名な芸能人の母親があたかも「不正受給」しているかのような一連の報道がなされました。

かつて、日比谷公園における「年越し派遣村」が話題になったことがあり、生活保護の受給がそれまでより容易になろうとしていたわけですが、今回は、まさにその逆風が激しく吹き荒れているという印象を受けます。

世界的にみると、日本は生活保護を受ける資格のある人の大半が放置されている国です。にもかかわらず、ますます生活保護を受けにくくする方向で政治が動いているのが悲しい日本の現実です。

ネット世界でも姜教授バッシングはひどいようです。昨今の日本社会が少しでも「異質」なものを排除しようとする寛容のなさに私は底知れぬ不安を感じてしまいます。


教育実践の報告があり、シンポは大成功

姜尚中教授の話を聞くのを楽しみに集まってきた一般参加者は怒り、詳しい事情説明を求めました。怒りをぶつけられるのは仕方ありませんが、詳しい理由を姜教授から聞いていない以上、弁明できません。ともかく、最後まで姜教授に出席を求める努力を尽くしたが結局、来てもらえなかったことを告げて参加者に対してお詫びするしかないということになりました。

姜教授のドタキャンの代替をどうするか苦悩しましたが、結局、世取山洋介・新潟大学准教授に話してもらいました。そして、北海道・宗谷(稚内)、東京の足立区と七生養護学校、さらに大阪の小河勝氏(府教育委員会の委員)に、教育現場の実情をたっぷり話してもらいました。教育現場の深刻な状況のよく分かる報告でした。

たとえば、小学校の低学年でかけ算の九九をまったく身につけていない子どもたちは授業が分からないまま大きくなっていく。そのうえ、漢字も読み書きがよくできないので、文章題が理解できない。学力向上を目ざすというのなら、この根本のところを改める必要があるのに、今は、これまで中学校レベルで教えていたものが、小学校レベルにおりてくるように年々難しくなっているというのです。

いずれにせよ、現代日本で少なくない子どもたちが社会で生きていくうえで十分な学力を身につけないまま放置されている現実を知ってショックでした。

宗谷(稚内)の元校長先生は、今の子どもたちは淋しがっている、子どもたちを温かく包み込む輪をつくるために教師だけでなく、地域ぐるみの連携が必要だし、それを実践していると力強く報告してくれました。うんうん、そうだよなと、思わずうなずいたことでした。

最後に、世取山准教授が指摘されていた1976年5月21日の旭川学力テスト事件最高裁判決は本当にいいことを指摘していますので、ここに紹介します。

「知識の伝達と能力の開発を主とする普通教育の場においても、例えば教師が公権力によって特定の意見のみを教授することを強制されないという意味において、また、子どもの教育が教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行わなければならないという本質的要請に照らし、教授の具体的内容及び方法につきある程度自由な裁量が認められなければならないという意味においては、一定の範囲における教授の自由が保障されるべきことを肯定できないではない」
このように、姜教授のドタキャンという災いが転じて福となるというシンポジウムでした。

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