福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)
2012年7月 1日
◆憲法リレーエッセイ◆ 震災が残したもの
憲法リレーエッセイ
会 員 原 田 美 紀(59期)
遊ぼうっていうと遊ぼうという
ばかっていうとばかっていう
震災後に繰り返し流れたACの広告。一時期はこどもたちまでもが口ずさめるほどだった。
この詩の作者金子みすゞは、明治36年の生まれである。西條八十にその才能を認められ、詩人としての道を歩むも、結婚した夫からは作詞活動を禁じられ、自身不治の病に罹ったなかで離婚。彼女から娘を引き離そうとする夫に抗い、26歳という短い生涯を終えた。
山口県仙崎市にある金子みすゞ記念館には、CMの影響もあってか休日ともなれば訪問客が絶えないという。
震災後、「絆」ということばをよく耳にし、人と人とのつながりの大切さが再認識されている。
あまりにも悲惨な状態を考えれば、簡単に副産物と言ってしまうにはためらいもあるが、こうした風潮が生まれたことの価値は大きい。知人である市の職員のひとりは、「震災直後、何とか力になろうと多くの職員が現地に赴いた。仕事を抜きにして、何かに突き動かされるような思いだった。わが市もまだまだ捨てたものじゃないと本当に思った」と語る。
その一方で、震災を機に突飛な理論も持ち出されている。そのひとつが憲法への国家緊急権条項導入理論である。
災害時において、適切な対応ができなかった。だから、今後このような災害が起こったときに政府の危機対処能力を高め、適切な対応を可能にするために、国家緊急権条項を憲法に盛り込むべきというのである。
「ええーっ! なんでそうなるの」
国家緊急権というのは、憲法を学んだ者であれば、誰もが知っている「超」憲法的概念である。国家緊急権の発動はそのまま憲法秩序の停止を意味する。
今回の災害時に政府による適切な対応がなされなかったのは、国家緊急権がなかったからではない。
災害対策基本法等により盛り込まれ、定められるべき組織や制度が機能しなかったにすぎない。
本当に危ぶまれる不備があるというのが理由であれば、それぞれの法律にこうした制度を入れ込めば済むだけの話ではないか。
災害の影響で苦しむ国民の救済という現実の問題を後回しにして、これを好機とばかりに、何ら議論もせずに情緒的にあおり、国民の人権保障のために最も大切である憲法の抜け穴を作ろうとする動きは信じがたい。
これからの日本のあり方を国民の一人ひとりが真剣に考えるときにきている。
「議論をしましょう」
憲法委員会がいつも市民に呼びかけていることばである。
今、現実の問題を直視し、議論を重ねるという努力をしなければ、手痛いしっぺ返しを受けるのは間違いない。それはそのまま我々に跳ね返ってくる。
こだまでしょうか いいえ誰でも
そう、立ち返ってみたい。