福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)
2012年4月 1日
◆憲法リレーエッセイ◆さよなら原発 3.11福岡集会に参加して
憲法リレーエッセイ
会 員 國 嶋 洋 伸(63期)
3月11日・・・。日本国民の価値観すら変えてしまうような昨年の大震災と原発事故から1年が経ちました。慰霊、検証、追憶・・・人によってその日が持つ意味は様々でしょうが、「原発なくそう!九州玄海訴訟」の弁護団の一員でもある私は、天神の須崎公園で開催された「さよなら原発3.11福岡集会」に参加しました。
厳しく冷たい北風が吹く中、3千人を超える市民が集会に参加しました。沖縄のラッパーや平和を唱うミュージシャンがオープニングアクトを務めた後、地震発生の時間には黙祷を捧げて、福島から福岡へ避難してきた若いお母さんたち(「避難ママ」)や元原発労働者らが次々とトークライブを行いました。
避難ママたちは、幼い子供の手を引いてステージに上がり、「不安に怯えずに暮らせる平凡な日常を返して欲しい。」「子供たちが外で元気に走り回れるふるさとに帰りたい。」と涙とともに訴えました。
その後、思い思いの手作りのプラカードや旗を持って、九電本社前まで渡辺通りをデモ行進しました。
「原発なくそう!九州玄海訴訟」は憲法上の人格権を根拠にしているのですが、「人格権」なんて司法試験の受験生時代にはよく分からず敬遠していました。
しかし、避難ママたちの話を聞いて、「人格権」は「フツーの人がフツーに暮らす権利」だったり、「今日と同じ平凡な明日を迎える権利」だったり、当たり前だけど庶民にとってはかけがえのない大切な権利なんだなぁと感じました。
また、原発労働者の方たちは、今も昔も過酷な環境の中、命を削って働いています。そのことに対して避難ママたちは「誰かの犠牲の上に成り立つ幸せなんて、ホンモノの幸せじゃない。」と言っていました。このことは、原発問題に限らず、沖縄米軍基地の問題や貧困と格差の問題などすべてに共通する、まさに憲法上の個人の尊重の原則の問題でしょうか。
もう一つ、私は「よみがえれ有明海訴訟」の弁護団にも参加していますが、島原の漁師さんから聞いた「普賢岳の噴火で海が変わっても魚は戻ってきたが、人が造った堤防で壊れた海は戻らん。自然災害は自然が戻すけど、人がやったことは自然には戻らん。宮城や岩手の漁師もすぐに戻るけど、福島は大変だろう。」と言う言葉が忘れられません。 私の祖父は宮城在住で家が多少壊れたものの、すでに元の生活を取り戻しています。福島の人たちも早くふるさとに帰れる日が来るといいのですが、果たしていつになることでしょうか・・・。
3月11日は、福岡だけでなく、北九州でも5000人、久留米と大牟田でも、それぞれ300人規模の脱原発集会が開催されました。
万が一、玄海原発で福島レベルの過酷事故が発生したら・・・福岡でも今日と同じ明日を迎えることは困難でしょう。
自然がもたらす恵みの中で、今日と同じ平凡な明日を迎えることができることに感謝しつつ、その権利を守るためにはみんなが知恵を出し合ってエネルギー問題を真剣に考えなければならないし、その陰に誰かの犠牲があってはいけないと、あらためて感じさせられた1日でした。