福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

2011年6月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆五百本のチューリップに囲まれながら...

憲法リレーエッセイ

会 員 永 尾 廣 久(26期)

日曜ガーデニングにいそしむ
春、三月半ばを過ぎると、私の庭は色とりどりのチューリップでにぎわいはじめます。一戸建て団地のはずれに位置し、散歩コースになっていますので、近所の人から「見事に咲いていますね」とかけられるのもうれしいことです。保母さんに引率されて通りかかった保育園児たちはいっせいに歓声をあげます。
今、チューリップは色も形もさまざまな種類があります。八重のもの、縁がギザギザ状になっているもの、燃え立つ炎の形をしているもの、また、こぶりで目立たない原生種も植えています。
私が小学1年生のときの教科書は、「さいた、さいた、チューリップのはながさいた」でした。そこに描かれていた昔ながらの黄色や赤色で大きな花弁の花が結局のところ一番なじみます。そして、チューリップはやっぱり群生しているのが見事です。集団美というのでしょうか、マスゲームのように、個々の花も生き生き輝いています。
チューリップを植えるのは私です。秋から年末年始にかけて、日曜日になると、庭に出てチューリップの球根を一本一本手で植えていきます。小さなシャベルで球根を入れる穴を掘っていきますので、手指のつけ根にマメが出来ます。秋の庭で植えていると、ジョウビタキがすぐ近くまでやって来て鳴きます。スズメほどの大きさで、尻尾をチョンチョンと振り下げる愛敬のいい小鳥です。まるで、「何してるの。遊ぼうよ」と誘っているかのようです。
チューリップの球根は毎年買いそろえています。水仙やアイリスなどは、放っておくと次々に増殖していきますが、チューリップはダメなのです。分球して、球根が小さくなって、花が咲かなかったり、とても小さな花がやっと咲いたりです。花が咲き終わって、早いとこ掘り上げ、タマネギのように軒下にぶら下げて乾燥させればいいと教えられてチャレンジしてみたこともありますが、結局、うまくいきませんでした。素人には無理と思います。
チューリップの球根も、初めのうちは1個100円以上もしていたのが次第に安価になり、最終的には1個30円を切ってしまいます。これでは、球根をつくっている園芸農家の経営は大変なことでしょうね。私は毎年500個ほどの球根を購入しています。花屋の経営がますます厳しくなっているそうですから、せめてもの貢献です。
球根を植えたら、あとは、たまに雑草を抜くくらいで、水やりすることもなく、放っておきます。雑草取りをしていると、春にはウグイスが頭上で美声を響かせてくれます。地面に穴を掘って生ごみを入れていると、カササギも飛んできます。手入れを手抜きしても、チューリップはちゃんと3月になると花を咲かす律義者の花です。失敗することは、まずありません。

晴れない気分で...
チューリップの花が咲き始めた矢先の3月11日、突然あの大震災が勃発しました。ふだんはまったくテレビを見ない私なのですが、さすがに連日テレビを見続けました。衝撃の映像が繰り返し流れます。巨大な大津波によって家も車も人もまたたくまに呑み込まれている映像には声も出せませんでした。暗い気分の日々を過ごすことになりました。
やがてチューリップが満開となりました。500本のチューリップが咲きそろうと、それはカラフルで心が浮き立つ思いです。ところが、今年ばかりは、せっかく年に一度、いえ一生に一度の晴れの姿を見せて喜びに輝いている花たちを眺めても、こんなにして美を鑑賞していていいのだろうか。ふと何か悪いことでもしているかのような暗い思いに駆られてしまうのです。いつものように心浮き立つ思いにはどうしてもなれませんでした。
すべてが押し流されてしまった人々。長く住んできた家が土台から根こそぎ流され、他人の建物の屋根に大きな船が乗っかかっている映像は、とてもこの世の現実だとは思えません。庭もまったく跡形もありません。隣家との境界線すら分かりません。
と同時に、家も庭もすべて無傷のまま残っているのに、そこに住むことを許されない地域があり、追い出されてしまった人々がいます。福島第一原子力発電所の周辺地域です。
手入れされなくても花は咲きます。しかし、家畜やペットは、そんなわけにはいきません。さらに、日本は放射能で汚染されている、その危険があると言って多くの外国人が一斉に日本から脱出していきました。東京の大使館を閉鎖して大阪に移した国もあります。これを風評に踊らされているだけと冷笑しているわけにはいきません。まだ原発事故の解決の目途が立っていないのですから...。

恐怖と欠乏から免れ...
庭に出て雑草取りをしていると、目の前にフリージアの華麗な花があり、甘い香りが漂ってきます。すっくと伸びたアイリス、華麗なるジャーマンアイリスの花の凜とした美しさに生命の気高さを感じさせられます。しかし、今なお、東北地方にはそんな日常生活を奪われてしまった人々が何万人、いや十数万人もいます。それを考えたとき、日本国憲法が高らかにうたいあげた平和的生存権を文字どおり今こそ日本に確立するため、私も持てる力を振りしぼるべきではないか、そんな気になるのです。
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