福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)
2008年11月号 月報
「バガージマヌパナス」(池上永一・文春文庫)
月報記事
会 員 佐 藤 至(35期)
月報委員会では、この「私の一冊」をシリーズ化するつもりらしい。そうすると、この原稿はプロ野球で言えば、開幕戦の、それも第一球ということになる。ならば、ここはやっぱり、剛速球でいくか(例えば「おそろし」※1)、いや、内角を鋭くえぐるシュートでいくか(例えば「黒の狩人」※2)、いやいや、ここは緩いカーブでいくか(例えば「雪沼の風景」※3)と散々悩んだが、ここは大きく裏をかいてレッドソックスのウェイクフィールドばりのナックル(※4)で… ということで「バガージマヌパナス」(わが島のはなし)。
この小説は、作者の実質的なデビュー作で、第6回のファンタジーノベル大賞を受賞している。このファンタジーノベル大賞という賞はなかなかユニークな文学賞で、酒見賢一(※5)、森見登美彦(※6)、鈴木光司(※7)らが受賞している。
さて、この物語は、石垣島(と思われる)を舞台とするものである。主人公は中宗根綾乃、19歳の美しい娘である。しかし、態度はあまり芳しいものではない。最初の登場場面からして、「島に絶えず吹く潮の香りをたっぷりと含んだ海風に、彼女は豊かな髪を靡かせている。赤く小さなかたちのよい唇から、奥歯をのぞかせて、ポカンと口を開けていた」と書かれているくらいである。話は、この主人公とオージャーガンマー(「大謝(おおじゃ)家の次女」という意味)という86歳のおばあさんの交遊を中心に進んでいく。このおばあちゃんがまた、魅力的ではあるが、しまりがない。何せ「いつも、子供用の造花を散りばめたピンクのサンダルを履いて」、「左右別々のサンダルで」、「髪はオレンジ色に染め上げて、フワフワした綿菓子のようなヘアースタイル」という登場の仕方である。小説の前半は、南国のこと、ゆっくりと、また、あまり締まりなく進行する。二人のユンタク(お喋り)と散歩が、否応なく本土のグローバリズムに飲み込まれて行かざるを得ない琉球弧の悲しみを混ぜながら続く。そして、小説の会話の一部は、地の言葉で語られていく。ワジワジー(不愉快だ)、チャースガヒャー(どうしよう)、コンマーハイットン、ヤナファーナーヤ、バラリンドー(急所にあたったぞ、このあまぁ、叩き殺すぞ)などなど、非常に軽やかな言葉が続く。それは沖縄方言という失礼な言い方をすべきではなく、琉球言葉とでもいうべきリズミカルな言語である。
そして、物語は中盤から、琉球の宗教世界が絡み、急展開していく。まず、琉球の神様が登場するが、この神様は、本土の神様のように「念仏を唱えさえすれば救われる」というようなヤワな神様ではない。人に嫌なことを押しつけ、言うことを聞かないと、電撃を加えたり、サリンドー(殺す)と脅したり、病気を押しつけるというとんでもない神様なのである。そもそも、登場するときから「神様はこれまでとは違い、鈍感な綾乃に神様の威厳を示そうと後光を背負っていた。肩がこるのでよっぽどの場合でないと背負わないものぐさな神様である。後光の出力は千二百ワットのフルチャージだ」という登場の仕方である。この神様が主人公にユタ(巫女)になるよう命じるあたりから、物語は呪術的世界の中で展開されていく。そして、ここにもう一人、「カニメガ」という魅力的な人物が登場する。カニメガは純粋のユタで、他人の家に乗り込んでは「ウガンブスクー!」(拝み不足)と叫びながら島の人々に祈祷を強要していく。そして、「大謝、大謝といえば、あのオージャーガンマーの家か。得体の知れない婆さんどもが住んでいて、いりびたりの不良娘と三人で悪さのかぎりを尽くしている厄介者のことか」と言って、主人公らと対立しながら狂言回しの役割を果たしていく。小説は、これらの人物や神様との間の交流や喧嘩を、グソー(あの世)、ツカサ(一種のシャーマン)、アンガマー(死者の仮面)、トートーメー(先祖の位牌)などの事象や表現を交えながら、特異な宗教世界の中で進んでいき、そして、一つの出来事を経て、静かに終わっていく。人間がどんな生き方をしようと、琉球弧の時間の流れと自然は、当面、変わることはないと思うよ… というような終わり方である。
この小説は、波瀾万丈の物語とか、アッと驚く大トリックとか、読んで人生観が変わるというようなものではないが、何とも可愛らしく、一寸、叙情的で魅力的な小品である。作者は、この後、「僕のキャノン」、「風車祭(カジマヤー)」等の琉球の物語を書いた後、突然、「シャングリ・ラ」という未来の東京を舞台とした、とんでもないホラ話を書いているが、さらに最近作として「テンペスト」という江戸末期の沖縄を舞台とした大作(上下2巻)を発表している。「バガージマヌパナス」を気に入った方は、全く色合いは違うが、この小説もお気に召すのではないだろうか。併読をお勧めする。
※1 [三島屋変調百物語事始]宮部みゆきの最新作
※2 大沢在昌の最新作
※3 堀江敏幸の谷崎潤一郎賞、川端康成文学賞、木山捷平文学賞受賞作
※4 ボールを押し出すような形で投げる変化球の一種。無回転で、手元でスッと落ちると言われている。ニークロ兄弟とウエイクフィールドがナックルボーラーとして有名。
※5 「後宮小説」、「墨攻」、「陋巷に在り」等。
※6 「夜は短し、歩けよ乙女」、「有頂天家族」等。最新作は「美女と竹林」
※7 「楽園」、「らせん」等。