福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

2008年4月16日

憲法リレーエッセイ 第11回

憲法リレーエッセイ

49期 北九州部会 小倉知子

それは東京出張の日だった。他県の弁護士から、欠陥住宅の判決についての原稿を2本、それも締め切りが5日後という過酷な条件で頼まれ、「大変だ」「出来るかな」と私は不安を抱えていた。羽田空港に到着し、事務所に電話を入れた。「永尾先生から電話が入っていました。」嫌な予感がした。「月報の憲法リレーエッセイの原稿を書いて欲しいとのことです。」予感的中。「締め切りは○○日(6日後)だそうです。」えっ!無理だよ。「ゆめゆめお断りにならないように、とのことでした」むむむ、さすが永尾先生、先手を打たれてしまった。永尾先生の依頼を私が断れるはずもなく、そして、私は締め切りがほぼ同じの原稿依頼を3本抱え込むことになった。

実は私は司法試験の受験時代から憲法が大の苦手である。自分では、佐藤(幸治)先生の難解な教科書で憲法が苦手になったと思っている。今でも、「パターナリスティックな」という言葉を聞いただけで、その後の言葉は全く頭に入らなくなるという拒否反応が残っている。司法試験は、最後に芦部先生の易しい(優しいではない)導きによって、なんとか乗り越えられたが、憲法の苦手意識はそのまま。というわけで、今回は他の原稿依頼とは違う次元で、かなり困ってしまった。そこで、まず前例検討。今までの月報を読み返して見た。ふむふむ。高尚な話はしなくても(自分のレベルが落ちるだけで)良いらしい。というわけで、最近の出来事に絡めて憲法について触れることにした。

先日私は、パートの人達だけで組織する労働組合の結成大会に参加し、改正パート法の話をした。 平成18年時点でパート等労働者数は1100万人を超えており、全労働者の4分の1を占めている。そのうち、7割が女性である。パートとして働いている女性の中には、時間の融通が利くからという理由で敢えてパートを選んでいる人もいるだろう。しかし、大半は正社員になりたいけれども『なれない』からパートとして働いていると思われる。そこで、改正パート法は目玉として、正社員と同じ仕事をこなしているパートの(正社員との)差別禁止や均衡待遇を定めた。女性が1人で子どもを抱えながら、パートでフルタイム働き、月額10万円以下しかもらえないというケースは多い。パートであっても、正社員と給料等の待遇が均等になれば生活はかなり楽になるだろう。憲法は、国民に勤労の義務を課すとともに、国民の生存権を定める。しかし、シングルマザーの現状は国民が勤労の義務を果たしていながら、生活保護基準すらも収入が得られない状態である。なぜか。国がフルタイムパートを黙認し、フルタイムで働いても最低限の生活をするのに不十分な程度の最低賃金しか認めていないからである。憲法は国民と国との約束である。国民はその約束に従って(働くという)義務を果たしているのに、国が(生存権を保障するという)約束を果たさないのはおかしくはないか。経営合理化・人件費削減という理由で、パートタイマーを増やし、ワーキングプアを生み出した責任は、企業だけではなく、国にもある。その意味で、今回のパート法改正は不十分ながらもパートの待遇改善(=生存権保障)という、国の約束履行に向けての小さな1歩といえるだろう。今後も一所懸命働いている人がきちんと報われる社会にむけて進んで欲しいと思う。

最後に、原稿を書きながら思ったこと。憲法改正なんて言っている暇があったら、まずは今ある約束(憲法)を守るという基本的なことを国はして欲しいよねぇ。そして、結論は「やっぱり憲法はえらかった」。

以上

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