福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)
2008年4月10日
憲法リレーエッセイ 第10回憲法と私
憲法リレーエッセイ
会員 近藤 真(33期)
私の手元に、オーストラリア人権委員会編集にかかる「みんなの人権−人権学習のためのテキスト」(明石書店、福田弘・中川喜代子訳)という80頁余りの小冊子があります。ここに次のような趣旨の話が出てきます。
「AB2人の裁判官が、夕食後、仕事のことで語り合っています。『今日の裁判の男をどうしましょうか?もし、あなたが私だったら、どのように裁きますか?』とAがBに話しかけました。『あなたは、私が答えられないということを知っているはずです。彼の父親は5年前に死んでしまったというだけでなく、彼は私の息子でもあるのです。』とBは答えました。しばらく、このことについて、考えてみて下さい。分かりますか?Bは、どうして“私の息子”と言い得たのでしょう?だって、話に出た男の父親は、既に死んでいるのですよ。」
この本の設例(Bの話がおかしくないか)は、人権の極めて重要なことを教えてくれます。それは、差別等の反人権的意識は、自分自身の気がつかないところで醸成されているということです。皆さんは正解はわかりますか?そう、「Bは女性裁判官」というのが正解です。10年以上前に大分県で教頭先生以上を対象とした人権の講演をした時に、冒頭の設例の回答を求めてみましたが、正解率は50%を大きく下回っていました。やはり男社会の中で育った中高年世代にとっては、正解に行き着くのが意外と難しかったようです。私のここ数年の関心事は、このような偏見を気付かせてくれる教材、或いは自分自身の偏見度を数値で分からせてくれるような教材がないかなあ、ということです。司法試験の短答式問題のようなものをイメージしています。
ところで、私と憲法の出会いは、大学で杉原泰雄教授のゼミで2年間憲法を勉強したことに遡ります。杉原先生は、「国民主権の研究」等フランスの歴史に基づく重厚な研究で高い評価を得ている憲法学者ですが、他方その授業やゼミは、これほど明解かつ厳格な解釈論はないというほど歯切れがよく、いつも教室は超満員でした。その杉原先生が、ある日、朝日新聞の論壇に、「憲法より国際人権規約の方が人権規定が豊富であり、人権については憲法とともに国際人権規約も学ぶべきである」という趣旨の論考を寄稿されました。「国際人権」などが議論されるようになるずっと以前の1970年代だったと思いますので、今から考えると、杉原先生の炯眼に驚くばかりです。それ以降私の関心事は、国際人権規約を中心とする国際人権条約に移っていったのですが、意識の中では、勉強としての国際人権法よりも、本当に人権が分かる又は本当に人権を実践するということは、もっと身近な、地に足のついたものではないのか、といったようなことを考えてきました。そういう問題意識の中で、1998年12月に、九州弁護士連合会と福岡県弁護士会共催で開催した「親子で学ぶ人権スクール−人権って何だろう」の総合企画をさせていただきました(この内容は、花伝社から同名の本が出版されています)。この時に講演していただいた作家の小田実氏の次のような話も、地に足がついた人権を考えるのに役立ちます。
「私は、子どもたちに人間は助けあわないといけないと教えてきました。…私が一つ失敗したことがあります。太平洋の真ん中の小さな島に行ったときのことです。重そうな荷物を抱えたおばあさんが来たから、私は持ってやりました。そしたら、おばあさんは『ありがとう』とも言わないで去って行きました。…別の人の荷物を持ってやったときにも、『ふん』と行ってしまったのです。『礼儀も知らないな』と私は思いました。そしたら、今度は私が荷物を担いでいたら、だれかがさっと持っていってくれました。そして、ぽんと荷物を置いてさっさと行ってしまいました。それで分かったことは、私のほうが遅れていたということです。つまり、この島では、そんなことは当然のことをしたにすぎないんです。『ありがとう』を言うに値しないのです。…これには驚きました。すばらしい社会です。」
冒頭の裁判官の話や小田実氏の話のような話を沢山掲載した「人権小話集」や「人権意識チェック問題集」のようなものがどこかにないですかね…知っている人は教えて下さい。