福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)
2008年2月13日
憲法リレーエッセイ 第1回遅メシの私
憲法リレーエッセイ
会員 福留英資 (56期)
吾輩は遅メシである。どれくらい遅いかというと,修習中,よく,昼食を終えられた伊黒先生(指導担当)を待たせていたほどである。と言うだけでは分かりにくいかも知れない。
学部生・院生時代の6年半を過ごした学生寮の寮食堂では,メニューは皆同じなのだが,夕食時,私が食べ始めた後から食べ始めた寮生が先に食べ終わって出て行く,それでも私はまだ食べている。その後に食べ始めた寮生が出て行く。私が食べ終えるのはその後である,と言えば,分かり易いだろうか。
このころは,遅メシの効用を痛感していた。満腹感が得られ,栄養吸収度も高く,体に良い,というだけではない。多くの寮生とメシを食いながら話をするので,皆と仲良くなれる,ということが大きい。研究室に入り浸って実験に明け暮れる理科系院生も,メシだけは食べに帰ってくる。「あいつとは話したことがないな。」と皆に言われるほど存在確率の低い寮生とも,私はしばしばメシをともにしていた。(因みに,私の入寮1年目に限っては,私よりさらに遅メシの先輩がいた。彼は後に司法試験に合格した。その後を継いだ私も結局合格したから,遅メシは受験勉強にも良いに違いない。)
昨年亡くなった祖母には,子供のころ,「ヒデシちゃん,早よたもらんね!(かごんま語で「早く食べなさい!」)立派な兵隊さんになれないよ!」と叱咤されていた。根がひねくれ者の私は,子供心に,「兵隊さんにげな,絶対ならんけん,関係ないよ!」と強く反発したものである。平和主義者としての私の礎は,この時に築かれたのかも知れない。(祖母が平和主義者としての礎を築いてくれたことがきっかけとなり,私は昨年3月,祖母が父を生んだ上海の地を訪れる機会を得た。祖母が亡くなったのは,私の帰国2週間後のことであった。)
ともあれ,私の遅メシは今も変わらない。日によって例外はないでもないが,当たり前のように遅メシを貫いている。
このリレーエッセイを書くことになって初めて考えたことだが,遅メシであるにもかかわらず大手を振って暮らしていられるということも,実は,「個人の尊厳」なのかもしれない。大袈裟だろうか。いや,私を叱咤した祖母の言葉は,個性の多様さを認めない姿勢を基底として発せられている。集団内における同質性を構成員に強いる傾向の強い我が社会にあっては,「個人の尊厳」あってこその遅メシであろう。
というわけで,私自身が,食という生活の極めて基本的な部分で,憲法の恩恵を大いに被っていることに気付いた次第。憲法の保障する人権とは,存在することが当たり前だと思っているがためにその有り難みに気付きにくいが,実は必要不可欠なものなのだ。人権をバターに例えて,「食べ過ぎると人権メタボリックになる。」とのたもうた大臣がいるが,例えの誤りも甚だしい。人権とはバターでなく,空気の如くなくてはならないものなのだ。
しかし,そんな私も最近は,4歳の娘から,「パパ,まだ食べおうとー。おそーい!」と叱咤されるようになってしまった。この子は昨年5月以来,憲法9条の歌を歌うから,タチが悪い。これでは反発のしようがないではないか。・・・とも思われるが,「父上様にそんな生意気な口がきけるのも,憲法のおかげなんだぞ。家父長制の時代だったら,厳しい折檻が待っていたんだぞ。」と心密かに思うことがないでもない。私が家庭でいかに抑圧されようとも,家庭平和があるのは憲法のおかげである!・・・いや,親の威厳がないだけなのかも知れませんが・・・。