福岡県弁護士会コラム(弁護士会Blog)
2006年1月号 月報
英国便りNo.12 イギリスの入管・難民事件への法律援助(2004年8月31日記)
月報記事
会員 松井 仁
刑弁委員会の皆様
最近福岡に大型台風がやって来たそうですが、皆様ご無事でしたでしょうか?
こちらロンドンでは、季節も秋めいてきて、気温も夜は一〇度以下に下がっています。
BBCでオリンピックを観戦しましたが、イギリス選手ばかりで、なかなか日本人選手が写らないのでイライラしました(まあ、当たり前といえば当たり前)。また、野球やシンクロナイズドスイミングは、全く放送がなく、変わりに乗馬やボートは延々とやっていました。
さて、今回は、イギリスの入管・難民事件へのリーガルサポートの現状についてご報告します(これは、実は私が一年間通った大学院準備コースで書いた論文のテーマなのです)。
イギリスには、観光客やビジネス以外に、毎年多くの外国人が、留学、労働、難民申請などを目的に入国してきます。その数は日本の比ではなく、例えば、難民申請を例にとると、日本の二〇〇二年の申請者は二五〇名(うち在留を許可された者五四名)なのに対して、イギリスでは約八万四〇〇〇人(同約二万八〇〇〇人)と、約四〇〇倍もの差があります。
それゆえ、入管・難民事件に関するリーガルシステムも、非常に発達しています。
まず、入管・難民手続の中で外国人をサポートする人材として、弁護士以外に、「Immigration Advisor」と呼ばれる職業の人たちがいます。Advisor は、非営利のNGOのメンバーであることもありますが、営利目的で事務所をかまえている人々も多数あり、入管・難民事件は、「一大産業」と言われています。
イギリスでは、原則として非弁活動を禁止する法律がないので、もともと誰でも自由に Advisor の仕事をできたのですが、一〇年ほど前から、悪質な営利 Advisor の存在(たとえば、いいかげんな仕事をして法外な報酬を請求する、など)が問題となりました。
そこで、政府は、二〇〇一年から、「Office of Immigration Service Commissioner」という独立官庁をつくって、Advisor は、その官庁の審査を受けて許可を得なければ入管・難民事件を手がけてはならない、というしくみにしました。
この制度は、Advisor の質の維持に資するとして、法曹界ではおおむね歓迎されています。
ところで、弁護士については、弁護士会の監督下にあるため、現在はこの官庁の管轄外とされています。しかし、最近、入管・難民事件にたずさわる弁護士に対する苦情が増えており、今後は Advisor と同じように官庁の監督下におくべきではないかという意見も出ています。弁護士会は、危機感を募らせ、会員のレベルアップに必死です。
次に、イギリスには、入管・難民事件専門の裁判所(審判所)があります(Immigration Appellate Authority と呼ばれます)。
その裁判所では、入管当局の決定に不服がある外国人の申立が、Adjudicator と呼ばれる裁判官によって再審査され、さらに、その裁決に不服があれば、Immigration Appeal Tribunal という裁判体で再々審査されます。
私も一度見学に行きましたが、審判所の建物は、様々な人種の当事者の人たちと、Advisor や弁護士でごったがえしていました。
二〇〇〇年には、約二〇〇〇〇件の不服申し立てがなされ、うち約一七%で、入管当局の結論が覆っており、重要な役割を果たしています。
ところが、政府は最近、不服申し立て事件を処理する経費を節減するため、外国人の不服申し立ての権利を制限する法律を次々と成立させており、法曹界からは強い批判が出ています。
最後に、法律扶助(リーガルエイド)についても触れておきましょう。
日本でもよく紹介されるイギリスの充実した法律扶助制度には、ずいぶん以前から、入管・難民関係のカテゴリーも設けられており、この法律扶助によって、弁護士やNGOの Advisor による活発な援助が支えられてきました。
ところが、最近、政府は、法律扶助支出の増大を押さえるために、支出要件の引き締めを試みており、入管・難民関係でも、例えば、「入管当局の手続段階で五時間分まで、不服申し立て段階で四時間分までしか扶助しない」というような通達を出し、NGOや法曹界からの大反対を招きました(因みに、刑事の法律扶助も大幅に制限されたようです)。
以上のように、イギリスの制度にも色々な問題はあるのですが、日本では Immigration Advisor の制度も、入管・難民事件専門裁判所の制度もなく、外国人に対する法律扶助の支給要件も厳しいことを考えると、やはり我々が参考にすべき点が多々あると思います。
英国便りNo.13 「動物の権利」と「人間の権利」論争(2004年9月29日記)
月報記事
刑弁委員会の皆様
松井です。
暑かった日本も、天高き爽やかな秋が訪れていることと思います。
ロンドンは肌寒い日が続いています。(九月半ば、まだ夏の太陽が照りつけていたイタリア旅行から帰り着いたとき、あまりの気温の差に冬が来たのではないかと思ったくらいです。)
さて、今回は、イギリスでの動物の権利をめぐる最近の動きについてお伝えしたいと思います。
日本でも報道されたかも知れませんが、九月一五日に、ロンドンの国会議事堂の前で、狐狩り禁止法に反対するデモ隊と警官との大規模な衝突があり、怪我人が出る騒ぎとなりました。
法案は可決され、狐狩りは二〇〇六年七月をもって全面禁止となってしまいます。
英国の狐狩り(Fox Hunting)は、人が馬に乗って、猟犬を操りつつ、狐を追い詰めて捕らえるというもので、中世の貴族から受継がれてきた伝統的なスポーツの一つでした。
しかし、動物愛護団体は、「楽しみのために狐を追い詰めて犬に噛み殺させるのは残酷である」という理由で、長い間反対運動をしていましたが、動物愛護に理解のあるブレア労働党政権になって、一気に法案化されたようです。
確かに、国民の多数は狐狩り禁止に賛成しているのですが、私は、狐狩り擁護派の言い分にも理があると思います。
というのは、狐狩りを禁止しても、農産物に被害を及ぼす狐の数をコントロールする必要はあり、今後も、一定数の狐は銃や罠で狩られるそうです。同じ狩られるなら、狐狩りでもいいではないか、むしろ、無差別に殺される銃よりも、年を取った狐が捕われる狐狩りのほうが自然にかなっている、というのが擁護派の主張です。
それに加え、狐狩りによって収入を得ている地方の人々(一万五千人ともいわれる)の生活の問題もあります。
もっと根本的には、娯楽のために生き物を苦しめることが悪であるとすると、スペインの闘牛はもちろん、私たちが楽しんでいる魚釣りや、ひいては贅沢な肉食のために家畜を殺すことも悪ということになってしまいます(人間はベジタリアンでも健康に生きていける)。
実際、このような極論も冗談ではなくなってきています。
今年の七月に出された動物福祉法の改正案では、動物を虐待する行為への刑の上限が、四〇〇万円の罰金及び一年の懲役に引き上げられるだけではなく、「その苦痛が科学的に証明される限り」保護の対象が昆虫やナメクジやミミズなどの生物にも拡大されています。
「科学的証明」が可能かどうかは別として、釣り針に刺したミミズがもがき苦しんでいるのは痛いからではないでしょうか? こちらの新聞も、庭仕事でナメクジを捕まえてハサミで切ったり塩に入れることも、許されなくなるのか、と当惑しています。
動物愛護の最も行き過ぎた例と言えるのは、動物実験反対過激派と言われる人たちでしょう。
大学や製薬会社では、医療研究や新薬開発のために動物実験を行いますが、動物過激派の人たちは、そこで働くスタッフや、物品納入業者に対して、爆弾入り手紙を送る、車をパンクさせる、注文していないものを送りつける、近所に「He is a killer」などと書いた紙をばら撒くなどの、ヤミ金業者顔負けの嫌がらせを繰り返しています。
昨年は、そういう脅迫事件が二五九件あったそうです。
その結果、ケンブリッジ大学が研究所建設を中止したり、医療研究機関がアメリカに引っ越したりという弊害(過激派に言わせれば成果)が出ています。オックスフォード大学もこの七月から標的となってます。
研究所のほうも、むやみに動物実験をしているわけではなく、できるだけ代替手段を使うようにしているのですが(この三〇年で実験に使われる動物の数は半減)、過激派の活動はおさまらないようです。
もちろん脅迫事件は犯罪として取り締まられるべきですが、ブレア政権は、「動物実験をなくすことを目指す」と公約したことがある手前、動きが鈍いようです。
私の個人的な意見としては、ある生物の数を減らしたり、種を絶やすような人間の行為は、生活に必要であっても制限・禁止されるべきだけれども、その心配がない場合には(例えば、家畜や、増えている野生生物)、人間が生活していくうえで、食用や研究に使用することはもちろん、娯楽目的でも、それに文化的価値が認められる限り、生物を殺すことが許されるように思うのですが、皆さんはどう思われますか?