福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)
2005年12月号 月報
裁判官報酬における人事院勧告の受け入れについて思う!!
月報記事
会員 野田部 哲也
一 最高裁の受け入れ
人事院は、平成一七年八月一五日、国会及び内閣に対し、一般職の職員の給与等についての報告及び給与の勧告を行いました。これには、?地域ごとの民間賃金水準の格差を踏まえ、全国共通に適用される俸給表の水準を平均四・八パーセント(中高齢層は更に二パーセント程度)引き下げる、?民間賃金が高い地域には、三パーセントから最大一八パーセントまでの地域手当を支給するという重要な内容を含まれています。
裁判官について、人事院勧告を受け入れ、裁判官の報酬等に関する法律に定める別表の報酬月額を引き下げることは、司法権の独立をゆるがしかねない重大な問題を含んでいると考えます。
ところが、最高裁は、平成一七年九月二八日、裁判官会議を開き、人事院勧告を受け入れることを決め、その後法務省に法改正を依頼しています。
従前も、最高裁は、平成一四年九月四日、裁判官会議を開催し、人事院勧告の実施に伴い、国家公務員の給与全体を引き下げるような場合に、裁判官の報酬を同様に引き下げても、司法の独立を侵すものではないと判断し、平均約二・一パーセントの一律削減を決め、平成一五年、これが実施されていました。
二 憲法違反
確かに、最高裁のように、公務員全体の給与が下がる中、裁判官の報酬を一律に減らすことは違憲ではないとする考え方もないわけではありません。
しかし、憲法は、司法権の独立を保障し、七九条六項後段、八〇条二項後段において、裁判官の身分保障として、裁判官の報酬を減額することができないことを規定しています。裁判官の報酬の減額禁止が、個々の裁判官の職権の独立を保障する趣旨であることからすると、個々の裁判官の報酬を減額することは憲法に違反すると解されます。
本件勧告を受け入れると、平均約四・八パーセント、判事層で計算すると七パーセントを超える報酬の減額となり、個々の裁判官から見れば、減額であることは明らかであり、憲法の規定に違反すると考えます。
また、今回の人事院勧告は、報酬の一律の削減ではなく、地域間で格差をつけることとしており、地域手当も含めると、一律削減とは到底言えないものであり、さらに違憲の度合いが大きなものです。
日弁連は、平成一七年九月一三日付で、今回の人事院勧告の内容を裁判所に適用するべきでないとし、裁判官にふさわしい報酬制度を定めるため、これを検討する機関の設置をするべきであるとの意見を表明しました。
三 最高裁は、何を守ろうとしているのか。
最高裁は、日弁連の援護にもかかわらず、今回の人事院勧告を全国約三三〇〇人の裁判官に導入することを受け入れています。また、最高裁は、同日、裁判官会議において、最高裁裁判官の退職金を三分の一にし、約四〇〇〇万円を減額することも決めています。
最高裁裁判官は、自らの血を流してまで、今回の人事院勧告を受け入れ、何を守ろうとしているのでしょうか。
最高裁裁判官は、全国の下級裁判所の裁判官からの反発をおそれ、自らの退職金を大幅減額し、血を流したのでしょうか。
最高裁は、裁判官の報酬について、人事院勧告を受け入れなければ、これが国会において具体的に論議され、他の公務員に比し、裁判官の報酬が高額であることが公になり、批判されることをおそれているのでしょうか。
それとも、裁判官の身分保障をする憲法の規定を持ち出して、人事院勧告を拒否すると、今回の選挙で圧倒的多数を有するようになった与党に憲法を改正されることを心配しているのでしょうか。
四 人事院勧告を受け入れたことによる弊害
ところで、同じ裁判官会議において、地域手当の導入で地域間格差が広がることについて、職務の特殊性に照らし、適切な人事上の施策を行うように努めるとしている。
現在、大都市勤務の裁判官には、調整手当として、報酬の三パーセントないし一二パーセントが加算されていますが、現時点においても、裁判官のかなりの多数が、東京高裁管内その他高裁管内でも都市の裁判所に配属を希望しています。今回の人事院勧告を受け入れた結果、かかる傾向にさらに拍車がかかることになり、全国各地に等しく優れた裁判官を配置することは到底できなくなるのではないでしょうか。
裁判官という職務の特性から、都市が本省で地方が出先というような関係もなく、都市と地方ではその職務の内容に本質的な違いがあるわけでもありません。それにもかかわらず、都市と地方に必要以上の差を設けることは、都市から地方への転勤許否や、転勤を理由とする退官者の増加等の弊害を生じる危険性も高くなると思われます。また、裁判官のなかに、勤務地域によって実質的な報酬の格差を設けることは、地方で誇りを持って裁判を行っている裁判官の誇りを傷つけるという裁判所内部からの指摘もあります。
五 他の国家公務員の給与と同列に論じること等の是非
今回の裁判官報酬について、人事院勧告を受け入れることは、裁判官の報酬について、他の国家公務員の給与と同列に論じ、民間賃金の水準を根拠に、俸給水準の引き下げをすることになります。
国家公務員の給与について、民間水準と関連付けることについては、一定の合理性はあるとしても、裁判官の報酬が、景気の動向に左右されてよいものでしょうか。
法曹制度検討会における議論でも、「裁判官が一切の圧力を排して自己の判断を下すためには、身分保障が不可欠であり、裁判官の報酬を論ずるにあたり一番大事なのはこの点である」「司法の権威や独立性を保つためにかなり高い報酬を支払うことは構わない」といった意見が出されています。
我々弁護士が個人として裁判を受けるとしても、安い報酬で、景気の動向に左右され、汲汲としている裁判官に裁判をして欲しいとはとても思えません。裁判官の報酬は常に一定の水準を確保した安定的なものであることが不可欠と考えます。このことを当然の前提として、我々は、裁判官に期待し、情熱や高い能力を求めています。
今回の人事院勧告は、俸給制度、諸手当制度全般にわたる抜本的な改革といわれており、裁判官の職務の特殊性を考慮せずにこれを受け入れれば、今後も人事院が必要な見直しを適切に行うたびに、これを受け入れることにもなりまねません。
例えば、さらに民間の賃金水準が著しく低くなり、都市と地方の民間給与の差がさらに大きくなったりする等して、人事院がさらに公務員の俸給を著しく引き下げ、地域手当の格差を広げる等した場合でも、これを受け入れなければならなくなります。
さらには、公務員の俸給について、能力給や実績給が導入された場合に、裁判所もこれを受け入れなければならなくなることも懸念されます。
六 司法制度改革審議会意見書
司法制度改革審議会意見書は、裁判官制度の改革の一つとして「裁判官の人事制度の見直し(透明性・客観性の確保)」を挙げ、その中で「裁判官の報酬の進級制(昇給制)について、現在の報酬の段階の簡素化を含め、その在り方について検討すべきである」と述べています。
裁判官の報酬の進級制(昇給制)について、従来から指摘されているように、昇進の有無、遅速がその職権行使の独立性に影響を及ぼさないようにする必要があること、また、裁判官の職務の複雑、困難及び責任の度は、その職務の性質上判然と分類し難いものであることにかんがみ、現在の報酬の段階の簡素化を含め、その在り方について検討するべきです。
七 裁判官の報酬を議論する場合の哲学とスタンス
裁判官の報酬を議論するについて、その基本的な立場は、憲法における裁判官の地位、役割、特殊性に立脚して議論すべきです。裁判官は、具体的争訟事件について、裁定する作用をその本質とする裁判官の職務の基本的な性格が、行政府の公務員とは根本的に異なり、憲法がその身分を保障し、任期を定めた裁判官の在任中の報酬減額を禁止しているという裁判官の特殊性をきちんと議論するべきです。裁判官が他の公務員よりも高額な報酬であることが主権者である国民に支持されるには、市民の目線に立った裁判官の職権の行使が不可欠です。市民は、迅速な裁判を望まないわけではありませんが、事件を数多く処理すればよいという、裁判官能力主義や成果主義が大手を振るう裁判所を求めているとは思われません。市民は、一生に一度あるかないかの自分の裁判について、形式的に画一処理されることも望みません。紛争の当事者である市民の声に耳を傾け、地道で丁寧な裁判官を切望しています。(かかる市民の目線を重視する立場から、裁判官評価アンケートも実施しています。)
八 おわりに
裁判所でさえ、今回の人事院勧告を受け入れているのであるから、あまり議論に登りませんが、検察庁においても、当然のように検察官の特殊性を十分考慮されることもなく、人事院勧告が実施されるのでしょう。
司法制度改革審議会は、現在の二割司法を脱却し、法の支配が国民の隅々に行き渡るよう大きな司法を目指し、司法制度の改革について、意見を述べ、現在、これが法律化され、実現されています。そのような中、小さな政府を目指す公務員給与を抜本的に見直す今回の人事院勧告の影響を裁判所にまで及ぼしてよいのでしょうか。