福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)
2005年8月号 月報
学生無年金訴訟について
月報記事
千綿 俊一郎
一 はじめに
皆さん、学生無年金訴訟というものをご存じでしょうか。
今回、福岡地裁で、勝訴判決を頂きましたので、新聞報道もなされましたが、問題点が分かりにくいのと、今後の社会福祉訴訟への誘いも兼ねて、御報告させて頂きます。
二 福岡訴訟が目指したもの
- 原告の主張
我々原告弁護団は、平成元年改正前の国民年金法が、学生らが障害を有するにいたった場合に備えて救済手段を何ら講ずることなく、漫然と学生を強制適用の対象から除外していた点で、憲法第一四条、第二五条に違反することを、主張してきました(いわゆる「憲法問題」)。
また、同時に、福岡訴訟の原告については、二〇歳になる前の時点で、発症し、医師の診断を受けていたことを主張してきました(いわゆる「初診日問題」)。二〇歳になる前の時点で、初診を受けていたことが認められれば、障害福祉年金(昭和六〇年改正後は、障害基礎年金)を受給することができるのです。
- 福岡での立証活動
憲法問題について、九州大学名誉教授の河野正輝先生に御証言をいただき、熊本学園大学助教授の?倉統一先生に意見書を作成頂きました。その他、国会議事録や委員会審議録、立法担当者による文献など、大量の資料から、制度の矛盾、問題点を見て取ることのできる箇所をピックアップして、整理、検討しました。同時に、学生無年金者や家族、全国脊髄損傷者連合会などが、国に対して様々な働きかけをしてきたにもかかわらず、国がこの問題を放置してきたことを明らかにしてきました。これらの作業は、全国弁護団の驚くべき程に精力的な立証活動に大きく依拠するところでした(言うなれば、福岡弁護団はおんぶにだっこ)。
また、初診日問題については、西南学院大学講師の平直子先生に御証言をいただきました。平先生には、精神疾患の特有の問題として、発症段階では他の内科疾患等との区別が付きにくいこと、偏見や制度の未整備などのため受診が遅れる傾向にあること、そのため、初診日の認定実務の際に問題が多いことを論じて頂きました。
三 各地の判決結果
学生無年金訴訟は、二〇〇四年三月の東京地裁判決を皮切りに、各地裁で判決が出されています。東京地裁は、改正前国民年金法が憲法第一四条に違反していたものとして、原告らに損害賠償を認める原告勝訴判決を下し、続けて、二〇〇四年一〇月の新潟地裁でもほぼ同様の原告勝訴判決が出されました。さらに、二〇〇五年三月の広島地裁は、さらに一歩進んで、改正前国民年金法が憲法第一四条に反していたことを理由に、原告に対する不支給決定を取消す判決を出しました。
しかしながら、東京地裁判決に対する控訴審判決(東京高裁)は、二〇〇五年三月二五日に原告敗訴の逆転判決を下しました。この判決は、国会の立法裁量の範囲を広く認め、改正前国民年金法の内容も、この国会の立法裁量の範囲内であるとしたものでした。そして、判決は、「障害による稼得能力の喪失に対する備えは、本来、各個人又はその扶養義務者においてもなすべきものであり」とまで判示しており、障害者の生活実態や家族の苦悩を全く理解しない、冷たい判決でした。
四 勝訴判決と国側の控訴断念について
- 福岡判決の言渡
二〇〇五年四月二二日、福岡地裁第三民事部(一志裁判長)は、判決の言渡しをしました。その内容は、原告の二〇歳前初診を認め、不支給処分の取消を命じるものでした。
立法不作為による損害賠償については、これを認めませんでしたが、これは、憲法問題等に関する原告の主張を退けたものではありません。上記の通り、我々は、立法不作為の内容として、「二〇歳以上で初診となった学生と二〇歳未満で初診となった学生との間の差別」を主張していたところ、裁判所は、本件原告について「二〇歳以上での初診」ではなく、「二〇歳未満での初診」を認めたために、差別の問題については立ち入るまでもなく、原告が救済されることとなったものです。
私は、原告や家族の苦労やこれまでの立証活動の大変さが報われたことが思い返され、同時に、福岡訴訟の裁判体が、東京高裁判決後であったにもかかわらず、原告勝訴判決を出してくれたことに対して、深い感動を覚え、退廷後、思わず涙を流してしまいました。
- 判決言渡し後の活動
勝訴判決後は、厚生労働省や社会保険庁の担当者と控訴断念の交渉をなしました。国会議員にも御報告とお願いのために、原告のご両親が上京され、我々弁護団からも、厚生労働委員会の議員の方に、委員会で取り上げてもらうようFAXや電話でお願いをするなどしました。そして、ゴールデンウィーク中の五月二日に、無事、社会保険庁の担当者が、控訴を断念することを発表しました。五 今回の弁護活動について
今回の福岡弁護団は、津田聰夫団長と山崎あづさ事務局長を中心として、皆、他の仕事に振り回されながらも頑張ってきたなあと思っています。当初は、「保険料も払っていない人がどうして年金をもらえるんだ」という冷たい指摘もある中、ドンキホーテのような気持ちで裁判所での弁論に望んでいました。しかし、全国の弁護士のすさまじい仕事にやり方にカルチャーショックを受けながら、どうにか、やってきました。福岡訴訟は、訴訟の審理を迅速に進めたい裁判所、訟務検事とたびたび対立してきましたが、弱腰になりがちな我々弁護団の尻を叩いていただいたのは、野林豊治弁護士でした。初診日問題は安部尚志弁護士が担当し、不屈の精神で頑張られたため、見事勝利投手となりました。平田広志弁護士は、さすが、社会福祉訴訟の専門家で、学者や国との接し方は見事でした。
社会福祉訴訟は、障害者の生活の厳しさを目の当たりにして、制度の矛盾を突いて裁判所に説得していくという、なかなかやりがいのある仕事だと思います。皆さんも、社会福祉訴訟に是非関心を持って頂きたいと思っています。