福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)
2004年4月号 月報
当番弁護士日誌 〜平成16年3月9日〜
月報記事
花田 茂治
私は、去年の10月に弁護士登録をした五六期の花田です。今回は、私が当番弁護士研修で去年の12月に出動し、その後、扶助申請をして受任した刑事事件について書かせていただきます。
当番弁護士研修とは、指導担当弁護士の方と共に当番弁護士として出動し、指導担当弁護士の方の接見を隣で傍聴するという研修です。研修の日の昼、私の事務所に出動要請のファックスが入りました。被疑者の罪名は恐喝未遂。
私は、指導担当弁護士の方と連絡をとり接見室で待ち合わせて、その後被疑者と接見しました。事件の内容は、共犯者がいる、共犯者が主導的に行ったものである、被害者に数十万円支払う旨の誓約書を書かせたが結局連絡が取れなくなり誓約書は捨てた、被害者にも共犯者の名を騙り女性に手を出していたという落ち度があるというものでした。私の受けた感じとしては、今回の事件は後輩同士のいざこざに被疑者が巻き込まれたという感じでした。また、被疑者は少年時代に前歴があり、少年院に行った経験もありましたが、その後、真面目に仕事をしており、その最中に事件に巻き込まれたものでした。ただ、被疑者は事件に巻き込まれた自分の甘さを後悔しており、今後は気を付けたいと言っていました。
最大のポイントは、最後の検察官調べの時に、被疑者が検察官から、弁護士を付けて被害者との間に示談を成立させるよう勧められたという点でした。おそらく示談が成立すれば起訴猶予になる可能\性が大でした。しかし、問題が一つありまして、それは検察官が何かしらの処分をする勾留満期まで4日しかないという点でした。4日といっても、当番当日と検察官が処分を決め上司の決裁を受ける最後の1日を除くと実質的には2日しかないという状態でした。
そこで、事件をいっぱい抱え事務所を経営していかなければならない指導担当弁護士の方から、新人で抱えている事件も少ない私にお鉢が回ってきたのです。初めての個人事件となるこの被疑者の弁護活動に私はやる気満々でした。また、更生途中であった被疑者の今後を考えると起訴されるか否かは大きな違いだと思いました。そこで、指導担当弁護士の方の「君、単独でやってみる?」との言葉に、「はい」と二つ返事をしたのでした。
接見を終え事務所に戻り、すぐに被疑者の母親に電話をしました。母親は、子供のためには何でもやる、また、被疑者の雇い主も被疑者のことを気にかけてくれていると話しました。そこで、明日の朝一番に、事務所に来てもらう約束をして電話を切り、それから、指導監督を誓う旨の検察官宛の上申書を母親の分と雇い主との分、起案しました。
そして、翌朝、母親と面会をし、示談の成否で被疑者の処分が決まってしまう可能性があることを伝え、今日か明日、被害者のところに謝罪及び示談交渉に行くかもしれないので示談金を用意するよう伝えました。そして、母親に被疑者の指導監督を責任持ってやる旨約束してもらった上で上申\書に署名押印してもらい、雇い主の上申書を言付けました。
その後、被害者と連絡を取り、その日の晩に、自宅に伺い謝罪したい旨を伝えたところ、被害者の承諾が得られたので、母親と連絡を取り、その日の晩、共に被害者の自宅に行くことにしました。
被害者の自宅に向かう途中に被疑者と接見し、今から示談に行く旨伝え、二度と被害者に近づかないとの誓約書を書かせ、それを持って被害者宅に行きました。
さて、示談の相手方ですが、被害者が未成年でしたので、寛大な処分を求める旨の上申書は被害者の名義で問題はないとしても、示談は被害者の両親も交えて成立させる必要がありました。このため、被害者の自宅では、私と被疑者の母親、そして被害者とその両親の五人で話をしました。時間は夜九時ころでした。まず、被疑者の母親が泣きながら土下座をして謝罪をしました。これに対して、被害者の両親は「いつ立場が変わるかは分かりませんので、どうぞ頭を上げてください」と言ってくれ、示談は順調に進むものかと思われました。しかし、謝罪が一段落し、示談金の数万円を提示したところ、被害者の父親がすごい剣幕で怒り始めたのでした。この数万円という額は、被疑者の母親が集めることのできる精一杯の額でありました。しかし、被害者の父親は、こんな端金では納得できないと額の増額を請求しました。被害者の父親としては当然の反応だったのかもしれません。しかし、その父親の反応を見た被害者が、「俺は金なんて要らん」と自分の父親に対して怒鳴り、怒って家から飛び出してしまいました。結局、金額の点で示談は不成立となり、また、上申\書を書いてもらう予定であった肝心の被害者もいなくなったことから、その日はそのまま帰りました。
残された日は、後2日、検察官の決裁も考えると、実質は明日1日だけという状態でした。そして、家を飛び出した被害者は携帯電話を持っておらず、連絡を取る手段が全くなく、また、一度家を飛び出したらいつ戻るか分からない状態でした。これで、勾留満期までの示談成立は絶望的になりました。
その次の日、私は、示談成立が無理だった場合のために、検察官宛の報告書を作成し、母親の上申書と雇い主の上申\書と共に、それらを持って検察官との面会に行きました。そこで、検察官に被害者とその母親は被疑者に対する宥怒の念を持っているが、今のところ示談は成立していない旨事情を話しました。
このような状態でいたところ、昼過ぎに被害者の母親から私に電話があり、被害者が家に戻ってきたこと、被害者及びその母親としては、今後被疑者が接触することのないよう弁護士に間に入ってもらって示談書を交わす方がよいと思っていること、そして被疑者を許す気持ちであることを伝えられました。
そこで、再び、その日の夜、今度は私一人で被害者の自宅を尋ね、被疑者と被害者及び被害者の母親との間に示談を成立させ、被害者には、寛大な処分を求める旨の上申書を書いてもらいました。なお、父親については、どのように思っているのか、聞くのも怖かったため、この時は父親のことは全く触れずに話を進めました。
このようにして、被害者との示談書、被害者の上申書を何とか揃え、勾留満期の当日朝一番で検察官と面会をして、これらを提出しました。
その後、午後には無事起訴猶予となり、釈放されたとの連絡がありました。
このように今回は、まさに、時間との勝負という一面がある起訴前の弁護活動を経験できました。ただ、新人で時間のある今だけしかこのような事件に十分対応できないのではという感想も正直なところです。
その後、被疑者が母親孝行している等の話を母親から聞き、今回の事件に接することができて良かったと思っています。