福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

2004年2月号 月報

当番弁護士日誌

月報記事

塩澄 哲也

一 弁護士になって約半年、国選弁護や私選弁護もある程度の件数をこなし、大分ペースがつかめてきたかなというときに、1件の当番弁護の出動要請があった。15歳の少年。罪名は窃盗。中学生が、万引きかひったくりでもしたのかなと思いながら、とりあえず久留米署に面会に行った。

二 金髪で髪を逆立てた如何にも悪そうな少年。遊び仲間と原付に二人乗りし、歩行中の女性の背後から近づき手提げバッグをひったくった、他にも同様のひったくりを1件やっているとのこと。窃盗やシンナー等で保護観察処分を受けた前歴もある。既に、中学校は卒業しており、定職にも就かずぶらぶらしていたらしいので、少年院送致という結論も十分にありうると思った。今の段階から環境調整に努めなければと思い、私選弁護の意思についても確認するべく母親に連絡を取ってみると、「あの子は小さい時から親にすぐ嘘をつく、今まで何度あの子のために頭を下げに行ったことか、あの子のためにお金を出すつもりはありません。少年院に行ったほうがあの子のためにはいいのではないか」と言われた。このままでは、少年院送致は避けられないと思い、少年の母親を呼び出し、(1)扶助申請するので弁護士費用は気にしなくてよいこと、(2)少年を今の段階で少年院に送ることが必ずしも少年にとってプラスになるとはいえないことなどを説明し、少年の母親に、被害賠償金を出したり、少年の社会復帰後の就業先を探したりするなど、最大限協力してもらうようにお願いした。結局、被疑者弁護の段階では、被害賠償をすることくらいしかできなかった。

三 観護措置が採られた後、社会記録を読んでみて、少年の家庭は重大な問題を抱えていることが分かった。少年の母親は、実父(少年の祖父)から激しい体罰を受けて育ってきており、同じように、少年も母親から、バットやビール瓶で殴られるなど継続的に体罰を受けて育ってきたのである。少年の祖父は、過去に長期間服役していたこともあり、少年に対して一社会人としての理想の大人像を示すことが全くできていなかった。少年の母親は、少年の父親と離婚した後、数年前に別の男性と再婚しており、再婚後二人の子供を設け、幼子の面倒を見るのに精一杯であったことなどから少年を放任していた。少年の義父は、東京に単身赴任しており年に数日しか戻ってこないこともあり、過去に少年が犯罪を犯したときにも、みな母親任せという状態であった。少年は家庭には居場所がないと考えており、母親に対する根深い不信感があること、母親自身も監督能力に欠けていることから、少年をこのまま家に帰しても元の木阿弥であると思い、私は、実家以外の帰住先を探すことに付添人活動の重点を置こうと考えた。

まず、私は、少年を義父が勤めている会社に就職させ、東京で義父と一緒に生活させることがよいのではないかと考えた。その話がまとまるかと思われたが、少年審判の直前になって、義父の勤める会社の他の社員が少年の面倒を見きれないと反対したことなどから御破算になった。

裁判官は、保護観察処分という結論も考えていたようであったが、少年や母親と何度も面会している私としては、少年を母親から離したところでしっかり監督した方がよいと考えていたので、試験観察処分を獲得すべく別の帰住先を探すことにした。裁判所からは補導委託先として中華料理屋があるといわれたが、少年は、「そのようなところで働きたくはない、力仕事がしたい」というので、結局、私が別のところを探すことになった。

そこで、以前、私が国選事件を担当した際に、型枠会社の社長さんに証人として立って頂いたことがあったのを思い出し電話したところ、面度を見てもよいという思いもよらぬ返事を頂いた。しかも、会社の近くにある下宿先まで紹介して頂き、下宿先のご主人の了解もとることができた。結局、型枠会社に勤め、下宿先から仕事場に通うということ等を条件に、少年は試験観察処分となった。

四 最初は順調かと思われたが、少年は何かと理由をつけて次第に仕事場に行か]なくなった。しかも、二度と原付の無免許運転はしないと約束したにもかかわらず、少年が無免許運転をしているという情報があちこちから寄せられるようになった。調査官や私は、このままでは少年が重大犯罪を犯す可能性が高いと判断し、少年を裁判所に呼び出し、今後のことについてしっかりと話し合おうということになった。

私は少年の下宿先を訪問し、仕事に行かなかったり、無免許運転をしたことが発覚すると、また身柄拘束されてしまう可能性があることなどを説明して、明日からは仕事に行くこと、数日後には裁判所で調査官との面会があるからその時には私が迎えに行くことを告げた。約2時間ほど話し、少年の下宿先を後にした。

調査官との面会日に、私が少年を下宿先まで迎えに行くと、少年は早朝からいないとのこと。下宿先の方の話によれば、私が少年を訪問した日以降、少年は全く仕事に行っていないことも判明した。少年との面会を後日にしてもらうように調査官に連絡した後、私は別件の少年事件の件で少年鑑別所に行くと、私の携帯に事務所から連絡が入った。「少年が窃盗罪で逮捕されたようです。少年は先生に面会に来て欲しいと言っているので鳥栖署に行って頂けませんか!」

五 少年から事情を聞いてみると、3人で自転車を盗んだということで逮捕されたが自分には覚えはないこと、高校生から500円を恐喝をしたが、他の2人から誘われてやむなくしたなどと弁解していた。少年の家庭環境を考えると、急に「立ち直れ、優等生的に振る舞いなさい」と言ったところで、いきなりそのような対応を取らせるのは難しいと考えられること、経営が苦しいにもかかわらず型枠会社の社長さんが、今後しっかりと働くならばもう一度少年の面倒をみてもよいと約束して頂いたことから、私は、再度の試験観察処分を目指すことにした。

窃盗の事実関係についての中間審判を経て(結局、窃盗の事実は認められてしまった)、2回目の審判前に裁判官と事前に面会した際、試験観察期間中にいくつか犯罪を犯していたとしても、今まで嘘をついていたことを謝罪し、心から反省しているとみられるならば、もう一度チャンスを与えようかと思っていると言われた。「ひょっとしてまた試験観察になるのか」などと淡い期待を抱いていたが、審判の場でも、少年は、「自分は窃盗はしていない、無免許運転はしていない」と言い張り、結局、少年の口から反省の弁は聞かれず、少年院送致になってしまった。

六 当番弁護で出動してから4ヶ月間少年と接してきた。自分が少年のために一生懸命動いたことで、少しでも大人に対する不信感を払拭できればいいなとは思う。ただ、「少年院に行って更生する者なんて誰もおらんよ。自分の周りも見てもそうやんけんが」などと嘯いていた少年の今後が心配でならない。

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