福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)
2003年3月号 月報
虐待と少年事件についての一考察
月報記事
井下 顕
月報1月1日号の小坂昌司会員の付添人日記に感動して、小坂会員に「感動しました」のメールを送ったのが運の尽きで、じゃあ次は君が書いてくれという話になってしまった。
付添人、付添人…。そういえばここ半年近く付添人やってないなあ(こんなことを書いて当番弁護士担当の時にどっと来ないだろうなあ…)。何を書こうか。全件付添人制度を支える若手に付添人活動が集中して、若手が疲れてるんじゃないかということを書こうと思ったが、月報に載せるようなことでもない。
私も二児の父親なので、日頃の父親不在の状況についての反省文でも書こうか…。そういえば私は名前だけ「ふくおかこどもの虐待防止センター(F・CAP−C)」のメンバーでもあるので虐待と少年事件の関係について書こう。しかしながら、とてもそれだけの大それたテーマは書けない。自分自身が関与した少年事件の中で感じたこと、考えたことを素直に書こう…。
もう一年以上も前の事件だが、ひったくりをして在宅で審判待ちだった少年が仲間と三人でバイクに乗って、通行中の女性からひったくりをして被害者が軽傷を負ったという事案で、結果は短期の少年院送致になったという事件があった。
私は当番弁護士で宗像署に赴き、少年と接見した。少年は当初私を相当に警戒しているのか、付添人制度のことや、付添扶助を受ければ費用は要らないという話をしても、そんな都合のいい話があるわけない、何か企んでいるなという感じでなかなか信頼してくれずその日はとりあえず考えるということで別れた。その後、少年から再度連絡があり、私が付添人として活動することになった。少しずつ信頼関係ができるにつれ、少年はいろんな話をしてくれるようになっていった。
その中で少年が実の父親から、かなりひどい暴力を受け続けてきたことが分かった。少年は父親に対して、別に憎いとも思っていないと言い、ただあんな人間にはなりたくないと言っていた。少年は母親と妹と三人暮らしで、母は父親と離婚していた。少年と何度も接するうち、私は少年の「開き直り」がどうしても気になるようになっていった。事件そのものについて反省はしているし、将来の目標も具体的に持っている。実直に働く母親を尊敬していると言い、被害者にも申\し訳なかったという気持ちもちゃんと持っている。しかしながら、どこか人生に対し、開き直っているという感じがするのだ。語弊を恐れず言えば「潔すぎる」ともとれる態度を時に示すのである。そういえば、修習生のころ、九州ダルク(薬物治療のための自立支援団体)に遊びに行ったとき、ひどい虐待を受けて育った少年が自分の生い立ちを語る中で、彼も人を殴ることに何の躊躇も覚えないと言っていたが、その時の彼も人生に「開き直った」ような感じがあったことを思い出した。
最近私は、人生に「開き直る」ということは、自分はこういう人間になりたい、こうありたいんだという自分自身を放棄してしまうことではないかと思っている。本来無条件の愛情を注がれてしかるべき親からひどい虐待を受ける、そのために、だれもが持ちうる自分自身の理想像、目標を心の中に描けなくなる、そのためのモチベーションさえ沸かなくなってしまうのではないかと思うのだ。大変分かりにくい表現になってしまったが、つまるところ親から虐待を受けるということは、自分の中にある「自分自身を形作る力」を喪失させてしまうというように思う。
最近私はネグレクト(不保護)も虐待であるとの痛切な(!?)認識のもとに、どうしても出なければならない飲み会には出るが、それも一次会だけにして帰るようにしている。かかる認識にいたるには、かなりの「格闘」と葛藤があったが、少しずつ父親になっていっているかなと思う今日この頃である。