弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
フランス
2024年11月22日
カルトと対決する国
(霧山昴)
著者 広岡 裕児 、 出版 同時代社
フランスに住んで30年来、カルト問題を追跡してきた著者による報告、そして問題提起の本です。
フランスにも文鮮明の統一協会(著者も本当は統一協会と表記すべきだとしながら、日本の一般マスコミにあわせて統一教会としています。私は統一協会とします)が進出しました。それでも1980年8月が最後のようです。
フランスには1905年に制定された政教分離法があります。ちなみに、フランスでは、統一協会とあわせて創価学会も真光もセクト(カルト)とされています。
現在のセクト問題について、アメリカとフランスは対立している。考え方が違うのです。アメリカは、まだセクト問題は宗教問題だとしているからです。フランスではセクト問題は宗教問題とは切り離されています。
2001年5月に成立したアブー・ピカール法は、セクト問題と宗教問題を切り離している。これは宗教規正法ではない。マインド・コントロール(精神操作・精神支配)をはじめて法律で定義した。
今や、社会の基盤は宗教ではなく、人権になった。かつては宗教であったが、今は、それが人権になった。つまり、かつては宗教の教義に照らして判断されたが、今では人権を侵害するかどうかが判断の基準とされている。
主導者(グル)は、巧妙な詐欺師であり、悪賢いマネージャーで、誘惑の才能にたけている。
勧誘される人は、はじめは普通の人たちと同じ。だが、少しずつ変化させられたあと、従属した、服従した、ロボット化され、また狂信的な人物となる。
セクトは、まずはあたかも王子様のように優しく扱う。その人は、温かい集団を見つけ、混乱から逃れ、奇跡的に病気が治ったりする。セクトは、新人に対して、優しさと親近感を惜しみなく降りそそぐ。家族や友人より理解され、歓迎されているように感じさせられる。愛の爆撃(ラブボンビング)。社会と家族については、ことさら悪しざまに言って衝突を起こさせる(憎しみの爆撃)もある。
アブー・ピカール法の対象は宗教ではない。あくまで、精神操作・精神支配で人権侵害すること。そして、この法律は宗教を対象とした特別法ではなく、一般法である。
アブー・ピカール法の施行以来、セクト的団体を解散させたという実績はない。だからといって、政策が失敗したのではない。そもそも団体の解散は目的ではない。
統一協会などのセクトの信者は、常に「自分の意思」で「自発的に」している。その意思そのものが操作されていることに気がつかない。
セクトでは、服従と引き換えに弟子たちに、少数の選民の一員であり、他の人は不完全なのに、自分たちは完全だという救済を与える。セクトの信者は法外な金銭的要求をされると、「喜んで」出す。脅迫されて恐怖におののいてお金を出すのではない。
アイデンティティを喪失する。これは優柔不断とは違う。すべてを他人(グル)の判断に従ってしか行動しない。
その姿勢は、いかめしく、顔の筋肉はこわばっている。その目は無表情、冷たい、どんよりという印象を家族に与える。人々を通り越して、向こうのほうを見つめているように見える。
脱会カウンセリングでは、脱会は新しい出発的にたったにすぎない。
セクト(破壊的カルト)の第一の犠牲者は信者だけど、第二の犠牲者は社会である。
宗教と宗教団体とはまったく違った別物。
フランスでは人権侵害という点で統一協会を考えているところがすごいと思いました。
そして、カルト(セクト)は「信者」の人格破壊までするわけです。日本もフランスに学ぶべきだと思います。
(2024年8月刊。1870円+税)
2024年9月23日
悪なき殺人
(霧山昴)
著者 コラン・ニエル 、 出版 新潮文庫
フランスの心理サスペンス小説です。
牧場で生計を立てている夫婦が冷えきった生活をしていて、声もかわしません。夫はずっと一人でインターネットをしているようです。ネタバレのつもりはありませんが、この本にロマンス詐欺にひっかかる、ひっかける男性と若者が出てくるのには驚かされました。
日本にはナイジェリアの大学生のアルバイトとしてロマンス詐欺をしかけているという本を読んだことがあります。ここでは、国名は明記されていませんが、コート・ジボワールの若者が仕掛けているようです。
高速接続のパソコンとケータイ1台ずつ、一人ひとりに与えられ、パソコンの前に座って1日7時間、働く。稼いだカネの70%はボスがとる。バッティングマシンみたいに、クライアントのメドを手に入れて、文書を作成し、添付する写真を選んでメッセージを送信する。若者は28歳、独身女性のアマンディーヌになりすます。このグループには、他にもギャンブル詐欺、遺産相続詐欺など、いろいろな形態がある。それぞれ得意分野で攻めていく。
ヨーロッパの連中は愛情に飢えてやがる。出会いがない。真実の愛っていうのが不足している。だから、真実の愛で酔わせる。
ロマンス詐欺は、たった数時間では片がつかない。長い時間と忍耐が必要だ。最初のお金を手に入れるまで数ヵ月かかることもある。我慢すればするほど高額を稼げる。
隣のパソコンでも獲物をゲットした。海外宝くじに当選したけど、莫大な当選金を受けとるには弁護士に手数料を支払う必要がある、こうやって白人をだますのに成功したらしい。
これって、日本でも同じ手口がありますよね・・・。この本で不思議なのは、騙す側の若い男が、被害者の白人を呪いの力でつなぎとめようと真面目に考え、呪い師に頼み込みに行く情景があるということです。
ロマンス詐欺では、途中、相手にとことん優しくするのが鉄則。甘い言葉をいくらでも与えてやる。相手はそれを望んでいる。そして安心させるために、アマンディーヌが実在する証拠を見せる。AV女優の写真を次々に送りつけ、どんどん肌の露出を多くしていく。ぼけている画面は、カメラが古くてピントがあわないからだと弁解する。ケータイに向けて、一日中、愛のことばをささやく。
白人たちは若者の国からいいように収奪してきた。だから、なりすまし詐欺にひっかかった白人は、だました国の借金を少し返済しているだけ。ネット上に騙されやすい無防備な人間がいる限り、なりすまし詐欺は横行しつづけるだろう。
こうやって若者は、アマンディーヌが交通事故にあって、大至急手術をする必要があり、そのための費用を送金するよう相手の男を説得する。そして、うまく送金させた。ところが、ある日突然、警察に踏み込まれた。警察官が相手の男に詐欺にあって騙されているので告訴するかと聞いた。しかし、男性はしないと断った。それで若者は釈放された。
なかなか読ませるストーリー展開でした。
(2023年11月刊。850円+税)
2024年9月14日
フランスの田舎に心ひかれて
(霧山昴)
著者 Myna(まいな) 、 出版 食べもの通信社
フランスの南西部の田舎に住む日本人女性の暮らしが素敵な写真とともに紹介されている、楽しい本です。
次々に紹介される料理の写真が実に見事なので、フツーの若い日本人女性がここまで出来るのか怪しんでいますと、なんと著者は調理師学校で学んでいたのでした。なるほどと納得できます。
フランスの地元の食材を使いながら、実に美味しそうな料理のオンパレードです。写真の撮り方も素晴らしいので、ついふるいつきたくなります。
フランスにも体調が不良なときに食べるごはんがあります。日本だったら、おかゆに梅干し。フランスでは、それが野菜のポタージュ、そしてハムとジャガイモのマッシュポテトです。
フランスに旅行したとき、マルシェ(市場)で太いホワイトアスパラガスをあちこちで見かけました。わが家の庭にもグリーンアスパラガスが春になると生えてきますが、その何倍も太くて長いのです。いかにも美味しそう...。
フランスの冬の鍋料理は、なんといってもポトフです。肉には牛だけでなく、豚や鶏も使うようです。そして、牛の骨髄(オズ・ア・モワル)がいかにも美味しそうです。
7月になるとエスカルゴ狩りをして、パセリとニンニクソースでいただきます。エスカルゴは直径3センチ以上のものだけ、そして、4月から6月末まではとってはいけないそうです。初めて知りました。それにしても、エスカルゴ狩りなんて出来るのですね...。
今年は、わが家の梅がまったく不作でしたが、ブルーベリーがかつてなく大豊作でした。
そして、この本ではブラックベリーが食べ放題だったとのこと。わが家のブルーベリーは岩手県産の岩泉ヨーグルトと一緒に実に美味しくいただきました。
5月はアーティチョークシーズンだそうですが、私はアーティチョークを食べた記憶がありません。残念です。そして、キノコの王様と呼ばれるセップ茸(だけ)も同じく食べたことがありません。
フランスでは3歳から義務教育が始まるというのにも驚きます。
いまアメリカでは大統領選挙がさかんですが、アメリカがいかにも野蛮な国だと思うのは医療保険が国民皆保険ではないことです。民間の保険会社がもうかる仕組みになっていて、これを国民皆保険に変えようとすると、トランプ元大統領のような連中が「共産党=アカ」と言って、非難・攻撃するのです。その点、フランスは医療保険制度が進んでいます。トランプからしたら、まさしくフランスは「アカ」の国だということになります。もちろん、マクロンは「アカ」ではなく、どちらかいうとトランプに近い保守の大統領です。
トランプのような、なんでも営利本位のほうが良いという考えは、国の分断をすすめるだけで百害あって一利なしです。でも、トランプを熱狂的に支持するプア・ホワイト(貧乏な白人)が少なくないわけです。世の中はまさしく矛盾だらけです。
フランスの片田舎に2人の幼い娘とフランス人の夫と一緒に暮らしている、この日本人女性が仕事はしているのか、どうやって生活しているのか、不思議でした。「フリーのデザイナー」とのことですが、ネットで仕事をしているということなんでしょうか、気になりました。
(2024年5月刊。1800円+税)
2024年8月12日
フランスの庭、花のたより365日
(霧山昴)
著者 西田 啓子 、 出版 青幻舎
著者はフランスに住んで生活している日本人女性です。パリから60キロ、フランスの北部の小さな村、シェライユに住んでいます。麦畑に囲まれた自然豊かな田舎です。人間より多い野ウサギやキジ、野鳥そして虫が、たくさんの植物とともに息づいています。
ただし、自然環境は少しばかり厳しいようです。夏は夜10時まで日が暮れない。ところが、冬は日照時間が短く、凍てつく寒さの日々です。
著者の朝は、愛犬とともに散歩に出るところから始まります。犬は野ウサギが気になり、著者は植物の様子が気になり、それぞれ寄り道をしながらの散歩です。人通りの少ない田舎道を、肺にめいっぱい空気を吸い込みながら、のろのろと歩くのです。
ところが残念なことに、散歩をともにした愛犬は15年たって寿命が尽きてしまい、今では庭の片隅に静かに眠っているのです。
広大な花農園をもつ、ファーマーズフローリストとして生きている著者は1日1花、見事な写真で花々を紹介しながら、日記帳のように書きつづっています。
私も日曜日ごとにガーデニングを楽しんでいますので、プロとアマの違いこそありますが、庭の四季折々の花を愛(め)でることは共通しています。
この本に紹介されているフランスの花で、わが家の庭に咲くのも少なくありません。
いま、私の家には、朝顔が咲きはじめています。目の覚めるような真紅の朝顔が、私のもっとも好きな朝顔です。それから橙色のノウゼンカズラです。まだ少ないのですが、リコリスが咲きはじめました。そして、ピンクの芙蓉と赤っぽいネムの木の花。
ようやくブルーベリーが最盛期を過ぎました。今年は大豊作でした。岩泉ヨーグルトと一緒に美味しくいただきました。
花と木々に囲まれた生活は、本当に心が落ち着きます。
(2024年5月刊。2600円+税)
2024年5月 4日
洞窟壁画考
(霧山昴)
著者 五十嵐 ジャンヌ 、 出版 青土社
フランスには久しく行っていませんが、それでも何回も行きました。残念なことにラスコー洞窟には行っていません。といっても、現物は現地でも見れないようです。
洞窟壁画を保存するのは大変難しいようで、人間(見物客)を近づけないのが一番らしいです。まあ、仕方ありません。それにしても素晴らしい絵ですよね。カラー図版が見事です。
いったい、誰がいつごろ、どうやって何のために、洞窟の奥(天井など)にこんな絵を描いたのでしょうか...。著者はその謎に挑みます。
著者は1990年代から2020年まで、フランスとスペインで60ヶ所以上の壁画遺跡を訪れ、のべ150回は調査・見学したという経験を持っています。たいしたものです。
洞窟壁画で描かれている最多動物はウマ。次がバイソン。
洞窟からトナカイの骨が多く出土しているので、当時の人はトナカイをよく食べていたのだろう。
洞窟にはサカナの姿も描かれていて、人間の手形もある。
彩色画は赤と黒がほとんど。赤は赤鉄鉱や酸化鉄を含む粘土であるオーカー、黒は酸化マンガン鉄物か木炭。
ラスコー洞窟だけでランプが130点も発見されている。その明かりをたよりにして即興で描いたのではなく、かなりの準備をしてから、調合ずみの絵具を持って、足場なども準備して洞窟に入って描いたのだろう。
なぜ、なんのために壁画を描いたのかについては、いろんな説があり、まだ定説はない。必ずしも一つの動機からではないのではないか...。
たとえば、ラスコー洞窟には7つの空間があり、洞窟空間は同質ではない。空間ごとに描かれる動物、描き方、技法が異なっている。
いつ描いたかは、炭を放射性炭素年代測定法で調べてみるとか、ウラン系列法とか最新研究を生かしている。すると、従来の定説が間違っていたりしている。
壁画を描いたのは、現生人類の先祖であって、ネアンデルタール人は描いていないとされてきました。でも、今ではネアンデルタール人も壁画を描いたのではないかと著者はみています。
洞窟壁画について466頁もの大作をまとめた著者に敬意を表します。それにしても1万年以上も、よく消滅することなく、よくぞ絵画が暗い洞窟内に残っていたものです。
(2023年11月刊。4500円+税)
2024年4月27日
漫画家が見た百年前の西洋
(霧山昴)
著者 和田 博文 、 出版 筑摩書房
東京美術学校で藤田嗣治や高村光太朗と同級だった近藤浩一路という画家であり漫画も描いた人の1920年代のフランス旅行記です。近藤は洋服を着たことがないし嫌い。フランス語も英語も話せず、始めての海外旅行ですから、失敗の連続。それを漫画タッチで絵にしているのです。
フランスで、列車のなかで相席になったスペインの青年の似顔絵を描いてやったら、大喜びされたそうです。会話が出来なくても絵が描けたら、生きていけるのですよね。
私は初めてのフランス家族旅行のとき、モンマルトルの丘で娘たちの似顔絵を描いてもらいました。もちろん値段が高いのは分かっていましたが、変な買物をするよりましだと思って頼んだのです。あまり娘と似ていませんでしたが、ともかく可愛い少女の顔にはなっていました。
パリの朝食はバゲットです。パンテオン近くの小さいホテル(「サン・ジャック」)に泊まったときに出てきたバゲットの美味しさは、今でも忘れられません。それこそ「パンとコーヒー」のみです。「バゲットとカフェラテ」だけでしたが、十分にパリの朝食を堪能しました。
フランスでは料理が十分に味わい楽しめます。シテ島ではみんなで定番のエスカルゴを食べましたし、カルチェラタンのレストランで生カキもいただきました。かっこいいギャルソン(今は使いません)の給仕で申し分ありませんでした。
私は今も毎朝フランス語を聴いて書き取りしていますし、フランス語検定試験を年2回(1級と準1級)受けています。いったい何年間フランス語を勉強しているのかと訊かれると、恥ずかしくて答えたくありません。恥を忍んで白状しますと、なんと、18歳のときに大学の第2外国語としてフランス語を選択して以来です。そして、25歳で弁護士になってから、毎朝、NHKのラジオ講座を聴くようになりました。ですから、もう50年以上もやっているのです。それでも、話すのは初心者に毛の生えた程度という、お粗末さ。今はともかく能力の低下をどうやってくい止めるか、それで必死というのが実情です。もはや会話力が向上するなんていう高望みはしていません。
フランスにまた行ってみたいとは思っているのですが...。その意味では百年前も今も同じだと思わせる本でした。
(2024年2月刊。1700円+税)
2024年3月15日
パリの「敵性」日本人たち
(霧山昴)
著者 藤森 晶子 、 出版 岩波書店
1944年8月のパリ。ナチス・ドイツの支配から解放されたパリに、日本人が大勢いました。このとき、日本人はドイツと組んで連合軍と戦争していましたから、当然、「敵性」外国人です。
ドイツ人と仲良くしていたフランス人女性は街頭で頭髪をバサバサと切られて丸刈りにされました。では、日本人も同じように・・・。
そこまではなかったようですが、収容所に入れられました。当然です。
連合軍(といっても実態はアメリカ軍が主体。もちろんイギリス軍と一緒です)はパリ攻略を急ぎませんでした。パリ市民に食料供給できる自信がなかったことも理由の一つのようです。
でも、ドゴールは一刻も早くパリを奪取したかったのです。競争相手の共産党に権力を握られてしまう危険がありましたし、アメリカが軍事政権を樹立するかもしれないことを心配したのです。
ドゴール軍がアメリカ軍と一緒にパリに入ったのは1944年8月24日の夜。
1945年、ドランシー容所に日本人12人が収容された。このドランシー収容所には、1941年8月以来、ユダヤ人が収容されていた。パリ解放のあと、そこに「対独協力者」4000人が入れられた。日本人12人は、その一部。ちなみに、このドランシー収容所の建物は今も健在で、集合住宅として使用されている。
1943年当時、フランスはドイツに占領されていた。このころ、日本人は224人がフランスにとどまって生活していたという名簿がある。
1945年1月、ドイツには500人以上の日本人が暮らしていた。そして、ドイツから脱出することになった。
1943年5月から、「ラジオ・パリ」という駐仏ドイツ軍司令官の下にあるフランス宣伝部の番組のなかで、毎週日曜日、『ニッポン』という番組が流された。夕方6時からの15分間の番組だった。
結局、著者が入手した写真、パリ解放後に捕まった「日本人」は本当に日本人なのか、それともベトナム人をふくめた東洋人なのか、確定するに至りませんでした。
それでも、この本を読んで、ナチス・ドイツから解放されたパリに日本人が何百人かいて、収容所に入れられ、本当にフランスを愛して残っていると認められたときには、早期に脱出できたことを知りました。今から思えば、さっさと日本に帰っていたら良かったのかもしれません。でもでも、日本はやがて空襲で焼け野原になってしまいましたから、死んでしまうかもしれませんよね・・・。どちらがいいなどと簡単には言えないと思います。
ともかく戦争・戦場は不条理がまかり通るところなのですから・・・。理屈も理論もへったくれもありません。とにもかくにも戦争は起こしてはいけないものなんです。
(2023年12月刊。2200円+税)
2024年2月29日
私はさよならを言わなかった
(霧山昴)
著者 クロディーヌ・ヴェグ 、 出版 吉田書店
ホロコーストの中を生きのびた子どもたちが大人になって語った17の物語が集められています。いずれも深く心を打つ内容です。語り尽くせないものを感じさせられました。
心の奥底には今でも恐怖が残っている。ユダヤ人でいれば、とんでもない災厄を受けてしまう。
ユダヤ人でなかったなら、両親は強制収容所なんかに移送されなかっただろう。僕も他の子どもと同じように暮らしていたはず。ユダヤ人なんて、もうたくさん。
私は信仰を持っていないし、神を信じることができない。宗教に反発している。でも、私には、そんなことを考える資格すらない。だって、私は助かったし、強制収容所へ移送もされなかったから。
子どもたちは両親の死を悼(いた)めなくなるという運命を背負っている。だからこそ、子どもたちの古傷は、決して癒(い)えることがない。
強制収容所において被収容者たちの肉体と精神に加えられた拷問は、彼らを無気力な人間に変えてしまった。彼らは絶え間なく恥辱を被り、嘲弄(ちょうろう)と愚弄(ぐろう)とサディズムの的(まと)になり、まさに弄(もてあそ)ばれていた。
父は愚か者でなかったし、だまされやすい男でもなかった。でも、父は家族を守るために、警察署へ出かけていった。父が警察署に出頭しなければ、家族に制裁が下ることになっていたから。そして、父はそれきり戻ってこなかった。
孤児として残された者たちの大多数は、過去に決して近づかない。これはタブーだ。彼らは過去が語れない。過去を話さないということは、それを消し去ることではない。むしろ反対に、過去を共有できない秘密のように扱いながら、自己のもっとも深い場所で、それを守り続けていくことなんだ。
彼らは3歳から13歳だった。
ドイツでもナチスを賛美しようとする動きが起きたりしていますが、それを止めさせようとする大きな動きがうねりとなっています。ひるがえって日本では公然と差別的言辞を言いふらす自民党の国家議員が相変わらずのさばり、岸田首相は辞めさせようともしません。
ヘイト・スピーチの根を絶つ動きが大きなうねりになっているとは、日本はドイツと違って残念ながら言えません。でもでも、あきらめるわけにはいきません。
理不尽な差別はたとえ小さくても見逃さないこと、そのことを痛感させる本でもありました。
(2023年11月刊。2700円+税)