弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

フランス

2024年5月 4日

洞窟壁画考


(霧山昴)
著者 五十嵐 ジャンヌ 、 出版 青土社

 フランスには久しく行っていませんが、それでも何回も行きました。残念なことにラスコー洞窟には行っていません。といっても、現物は現地でも見れないようです。
 洞窟壁画を保存するのは大変難しいようで、人間(見物客)を近づけないのが一番らしいです。まあ、仕方ありません。それにしても素晴らしい絵ですよね。カラー図版が見事です。
 いったい、誰がいつごろ、どうやって何のために、洞窟の奥(天井など)にこんな絵を描いたのでしょうか...。著者はその謎に挑みます。
 著者は1990年代から2020年まで、フランスとスペインで60ヶ所以上の壁画遺跡を訪れ、のべ150回は調査・見学したという経験を持っています。たいしたものです。
 洞窟壁画で描かれている最多動物はウマ。次がバイソン。
 洞窟からトナカイの骨が多く出土しているので、当時の人はトナカイをよく食べていたのだろう。
 洞窟にはサカナの姿も描かれていて、人間の手形もある。
彩色画は赤と黒がほとんど。赤は赤鉄鉱や酸化鉄を含む粘土であるオーカー、黒は酸化マンガン鉄物か木炭。
 ラスコー洞窟だけでランプが130点も発見されている。その明かりをたよりにして即興で描いたのではなく、かなりの準備をしてから、調合ずみの絵具を持って、足場なども準備して洞窟に入って描いたのだろう。
なぜ、なんのために壁画を描いたのかについては、いろんな説があり、まだ定説はない。必ずしも一つの動機からではないのではないか...。
 たとえば、ラスコー洞窟には7つの空間があり、洞窟空間は同質ではない。空間ごとに描かれる動物、描き方、技法が異なっている。
 いつ描いたかは、炭を放射性炭素年代測定法で調べてみるとか、ウラン系列法とか最新研究を生かしている。すると、従来の定説が間違っていたりしている。
 壁画を描いたのは、現生人類の先祖であって、ネアンデルタール人は描いていないとされてきました。でも、今ではネアンデルタール人も壁画を描いたのではないかと著者はみています。
 洞窟壁画について466頁もの大作をまとめた著者に敬意を表します。それにしても1万年以上も、よく消滅することなく、よくぞ絵画が暗い洞窟内に残っていたものです。
(2023年11月刊。4500円+税)

2024年4月27日

漫画家が見た百年前の西洋


(霧山昴)
著者 和田 博文 、 出版 筑摩書房

 東京美術学校で藤田嗣治や高村光太朗と同級だった近藤浩一路という画家であり漫画も描いた人の1920年代のフランス旅行記です。近藤は洋服を着たことがないし嫌い。フランス語も英語も話せず、始めての海外旅行ですから、失敗の連続。それを漫画タッチで絵にしているのです。
 フランスで、列車のなかで相席になったスペインの青年の似顔絵を描いてやったら、大喜びされたそうです。会話が出来なくても絵が描けたら、生きていけるのですよね。
 私は初めてのフランス家族旅行のとき、モンマルトルの丘で娘たちの似顔絵を描いてもらいました。もちろん値段が高いのは分かっていましたが、変な買物をするよりましだと思って頼んだのです。あまり娘と似ていませんでしたが、ともかく可愛い少女の顔にはなっていました。
 パリの朝食はバゲットです。パンテオン近くの小さいホテル(「サン・ジャック」)に泊まったときに出てきたバゲットの美味しさは、今でも忘れられません。それこそ「パンとコーヒー」のみです。「バゲットとカフェラテ」だけでしたが、十分にパリの朝食を堪能しました。
 フランスでは料理が十分に味わい楽しめます。シテ島ではみんなで定番のエスカルゴを食べましたし、カルチェラタンのレストランで生カキもいただきました。かっこいいギャルソン(今は使いません)の給仕で申し分ありませんでした。
 私は今も毎朝フランス語を聴いて書き取りしていますし、フランス語検定試験を年2回(1級と準1級)受けています。いったい何年間フランス語を勉強しているのかと訊かれると、恥ずかしくて答えたくありません。恥を忍んで白状しますと、なんと、18歳のときに大学の第2外国語としてフランス語を選択して以来です。そして、25歳で弁護士になってから、毎朝、NHKのラジオ講座を聴くようになりました。ですから、もう50年以上もやっているのです。それでも、話すのは初心者に毛の生えた程度という、お粗末さ。今はともかく能力の低下をどうやってくい止めるか、それで必死というのが実情です。もはや会話力が向上するなんていう高望みはしていません。
 フランスにまた行ってみたいとは思っているのですが...。その意味では百年前も今も同じだと思わせる本でした。
(2024年2月刊。1700円+税)

2024年3月15日

パリの「敵性」日本人たち


(霧山昴)
著者 藤森 晶子 、 出版 岩波書店

 1944年8月のパリ。ナチス・ドイツの支配から解放されたパリに、日本人が大勢いました。このとき、日本人はドイツと組んで連合軍と戦争していましたから、当然、「敵性」外国人です。
 ドイツ人と仲良くしていたフランス人女性は街頭で頭髪をバサバサと切られて丸刈りにされました。では、日本人も同じように・・・。
 そこまではなかったようですが、収容所に入れられました。当然です。
 連合軍(といっても実態はアメリカ軍が主体。もちろんイギリス軍と一緒です)はパリ攻略を急ぎませんでした。パリ市民に食料供給できる自信がなかったことも理由の一つのようです。
 でも、ドゴールは一刻も早くパリを奪取したかったのです。競争相手の共産党に権力を握られてしまう危険がありましたし、アメリカが軍事政権を樹立するかもしれないことを心配したのです。
 ドゴール軍がアメリカ軍と一緒にパリに入ったのは1944年8月24日の夜。
1945年、ドランシー容所に日本人12人が収容された。このドランシー収容所には、1941年8月以来、ユダヤ人が収容されていた。パリ解放のあと、そこに「対独協力者」4000人が入れられた。日本人12人は、その一部。ちなみに、このドランシー収容所の建物は今も健在で、集合住宅として使用されている。
 1943年当時、フランスはドイツに占領されていた。このころ、日本人は224人がフランスにとどまって生活していたという名簿がある。
 1945年1月、ドイツには500人以上の日本人が暮らしていた。そして、ドイツから脱出することになった。
 1943年5月から、「ラジオ・パリ」という駐仏ドイツ軍司令官の下にあるフランス宣伝部の番組のなかで、毎週日曜日、『ニッポン』という番組が流された。夕方6時からの15分間の番組だった。
 結局、著者が入手した写真、パリ解放後に捕まった「日本人」は本当に日本人なのか、それともベトナム人をふくめた東洋人なのか、確定するに至りませんでした。
 それでも、この本を読んで、ナチス・ドイツから解放されたパリに日本人が何百人かいて、収容所に入れられ、本当にフランスを愛して残っていると認められたときには、早期に脱出できたことを知りました。今から思えば、さっさと日本に帰っていたら良かったのかもしれません。でもでも、日本はやがて空襲で焼け野原になってしまいましたから、死んでしまうかもしれませんよね・・・。どちらがいいなどと簡単には言えないと思います。
 ともかく戦争・戦場は不条理がまかり通るところなのですから・・・。理屈も理論もへったくれもありません。とにもかくにも戦争は起こしてはいけないものなんです。
(2023年12月刊。2200円+税)

2024年2月29日

私はさよならを言わなかった


(霧山昴)
著者 クロディーヌ・ヴェグ 、 出版 吉田書店

 ホロコーストの中を生きのびた子どもたちが大人になって語った17の物語が集められています。いずれも深く心を打つ内容です。語り尽くせないものを感じさせられました。
心の奥底には今でも恐怖が残っている。ユダヤ人でいれば、とんでもない災厄を受けてしまう。
 ユダヤ人でなかったなら、両親は強制収容所なんかに移送されなかっただろう。僕も他の子どもと同じように暮らしていたはず。ユダヤ人なんて、もうたくさん。
 私は信仰を持っていないし、神を信じることができない。宗教に反発している。でも、私には、そんなことを考える資格すらない。だって、私は助かったし、強制収容所へ移送もされなかったから。
 子どもたちは両親の死を悼(いた)めなくなるという運命を背負っている。だからこそ、子どもたちの古傷は、決して癒(い)えることがない。
 強制収容所において被収容者たちの肉体と精神に加えられた拷問は、彼らを無気力な人間に変えてしまった。彼らは絶え間なく恥辱を被り、嘲弄(ちょうろう)と愚弄(ぐろう)とサディズムの的(まと)になり、まさに弄(もてあそ)ばれていた。
 父は愚か者でなかったし、だまされやすい男でもなかった。でも、父は家族を守るために、警察署へ出かけていった。父が警察署に出頭しなければ、家族に制裁が下ることになっていたから。そして、父はそれきり戻ってこなかった。
 孤児として残された者たちの大多数は、過去に決して近づかない。これはタブーだ。彼らは過去が語れない。過去を話さないということは、それを消し去ることではない。むしろ反対に、過去を共有できない秘密のように扱いながら、自己のもっとも深い場所で、それを守り続けていくことなんだ。
 彼らは3歳から13歳だった。
 ドイツでもナチスを賛美しようとする動きが起きたりしていますが、それを止めさせようとする大きな動きがうねりとなっています。ひるがえって日本では公然と差別的言辞を言いふらす自民党の国家議員が相変わらずのさばり、岸田首相は辞めさせようともしません。
 ヘイト・スピーチの根を絶つ動きが大きなうねりになっているとは、日本はドイツと違って残念ながら言えません。でもでも、あきらめるわけにはいきません。
 理不尽な差別はたとえ小さくても見逃さないこと、そのことを痛感させる本でもありました。
(2023年11月刊。2700円+税)

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