弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
韓国
2024年10月27日
もし私が人生をやり直せたら
(霧山昴)
著者 キム・ヘナム 、 出版 ダイヤモンド社
医師の著者は42歳のとき、いきなりパーキンソン病と診断されました。
どうせ生きるのなら、楽しく生きていくほうがいい。以来、この気持ちで生きてきました。
パーキンソン病は、ドーパミンという神経伝達物質をつくり出す脳組織の損傷による神経変性疾患。振戦(手足の震え)、筋肉や関節のこわばり、寡動(動きの鈍さ)、や発声困難などの症状がみられ、65歳以上に多い。
ドーパミンが減少するパーキンソン病は、進行すると、うつ病や認知症、被害者妄想などを伴う。パーキンソン病には、今のところ根本的な治療法がない。
パーキンソン病の症状では、「ロープできつく縛られたまま動いてみろと言われているようなもの」。
著者の脳は、ドーパミン分泌細胞の8割が消えている。しかし、まだ2割も残っていると著者は考え直したのです。努力次第では、病気の進行を遅らせることができるはずだと信じて...。そして、薬も服用して12年も持ちこたえ、その間に5冊の本を執筆・刊行したというのです。すごいです。
完璧に執着したら、不安が増し、人生が疲弊していく。明日、何が起こるかも分からない。なので、すべてを予測して、未然に防ごうとするのは不可能なこと。
遠くの目的地だけ見て歩くのではなく、今いるこの場所で、足元を見つめながら、まず一歩、踏み出してみる。これが始まりであり、すべてだ。
人間は、自分の人生の主導権を握りたい生き物だ。なので、他人から命令されると、やる気が損なわれる。
その気になれば、いくらでも作り出せるのが、「生きる楽しみ」。
近ごろでは、田舎町から名門大学や司法試験の合格者が出ることは、まずない。合格のための必須条件は、祖父の経済力と父親の放任主義、そして母親の情報収集力。この点、都市部の人間には、とても太刀打ちできない。
著者は神経分析医。患者を診ていると、過去をやり直したいという気持ちにとらわれ、今を生きられないことが分かる。まるで巨大な宇宙服を着ているかのよう。宇宙服の中は過去のつらい記憶でいっぱい。それでも宇宙服を脱ぎ捨てようと思わず、ただ不安と恐れに震えながら過去に縛りつけられている。
人生がどう流れるかは、自分自身をどう見るかという視点次第。自分を肯定的に見たら、人生もそう流れる。自分を落伍者だと見れば、そのように流れる。
寂しい現代人にとって、スマホとは、自分と世界をつないでくれる生命線。スマホは、自分が一人ではないという事実を瞬時に確認できる、重要な装置。
自分ひとりだけの経験や感覚は、記憶のなかで色あせやすい。誰かと共有した記憶は、思い出となり、歴史となる。
怒りや憤りは、自分を守るための感情。しかし、度が過ぎたら、過去の記憶や感情が何度もぶり返し、前に進めなくなってしまう。青少年期の友人は、自分を映し出す、大きなスクリーンの役割を果たす。
何かひとつに没頭できれば、他のことにも没頭することができる。
今、私が没頭しているのは、近現代の歴史を調べ、そのなかで人々がどのように生きていったのかを跡づけようというものです。これは難問です。なので、少しずつ図書館通いなどをしながら、一歩ずつ歩んでいく覚悟です。
さすが、精神分析の専門医だけはあり、とても深い考察がなされています。韓国で35万部も売れたというのもは、なるほどと納得できました。
(2024年6月刊。1500円+税)
2024年10月10日
私が出会った少年について
(霧山昴)
著者 チョン・ジョンホ 、 出版 現代人文社
著者は韓国の少年部判事をしていました。現在は釜山地方院部長判事です。
著者は2010年2月から2018年2月までの8年間に1万2000人の少年と出会った。
少年の非行は、少年の罪ではなく、社会の罪。
これは弁護士生活50年の私の実感でもあります。親と社会から見捨てられたと感じながら生きていたら、誰だって大人や社会に対して復讐したいと思うのは必然ではないでしょうか。
温かく見守ろうとする心持ちのない大人が本当に多いと思います。自分さえよければと金もうけに走る大人のなんと多いことでしょう。軍事産業で働く大人、原発再稼動を目ざす大人、リニア新幹線づくりに狂奔する大人、そして大阪で「万博」をまだやろうとしている大人、カジノでもうけようとしている大人、こんな醜い大人たちばかりを見ていたら、子どもたちが絶望しないほうが不思議でしょ。
なんで、いつまでたっても戦争してるの...?人の命より金もうけが大事だと考えている人たちが政治を動かしているからでしょ。
少年非行は、都市化と経済成長の陰ではびこる毒キノコのような存在。丸8年間の少年部判事のとき、つけられたニックネーム(あだ名)は「ホトン判事」、「サイダー判事」「万事少年」など、いくつもある。
法廷にやってくる少年たちは、「芋が胸につかえたように、もどかしくて」ならなかった。こんなたとえ方が韓国にはあるのですね...。
少年非行には、心の拠(よ)りどころも、落ち着いて休める場所もない場合がほとんど。
保護処分になった非行少年の再犯率は非常に高く、しかも増加傾向にある。保護観察処分を受けた青少年の9割が1年以内に再犯する。
著者は、少年にひざまずかせ、親に向かって、「お母さん、お父さん、ごめんなさい。二度とあんなことはしません」、「お母さん、お父さん、愛しています」と10回ずつ言わせる。この反覆効果は想像以上だそうです。
著者は、子どもたちをファミリーレストランに連れて行って、ごちそうすることもあるようです。
厳しい環境に育った子どもたちが大半なので、両親と手をつないでファミリーレストランに外食に行くという、ごくごく普通の日常さえ経験したことがなかったのだ。いやあ、本当に涙が出てきますよね。それほど厳しい子ども時代を過ごしてきたわけです。親から叩かれ、また無視され、温かいご飯も食べさせてもらえなかった子どもたちに何を要求するのですか...。
ところが、すべては「自己責任」。努力が足りなかったと一刀両断に切り捨ててしまう大人のなんと多いことでしょう。そのくせ、そんな大人こそ、権威にへつらって、強い者にはペコペコ首をすり切れるほど上下させているのです。すべてはお金と自己保身のために...。
韓国でも、少年犯罪は2009年以降は減少傾向にあります。犯罪全体における犯罪少年の割合は、2009年に5.8%だったのか、2016年には3.6%に減少した。釜山家庭法院でも、2013年と2017年の少年保護事件数を比較すると、40%ほどに減っている。
この本を読んで初めて知ったのですが、フランスにはスイユ(Seuil)という非行少年のための歩き旅プログラムがあるとのこと。私は長くフランス語を勉強していますから、すぐに辞書を引きました。Seuilとは、戸口、入り口、始まりという意味です。
フランスでは、非行少年が成人のメンターと2人で3ヶ月間、1600キロメートルを歩く旅を完遂するというものがあるそうです。完遂すると、判事や職員などの関係者が盛大なパーティーを開いて祝う。この歩き旅を終えた青少年の再犯率は15%。一般の再犯率85%を大きく下回った。いやあ、これにはびっくりたまげました。こんな3ヶ月間もの長い旅を受け入れる社会はすごいですよ。日本でも、ぜひ考えてほしいですよね。
そこで、著者は早速とりいれたのです。ただし、3ヶ月ではなく、8泊9日間です。済州島のオルレキルを2人で歩くのです。これまで31人の子どもが歩いたそうです。すごいですね。ぜひぜひ、日本でもやってほしいです。
少年非行は日本でも明らかに減少しています。かつての暴走族なんて、まるで絶滅危惧種ですよね。青少年の活力が欠如してしまったのではないかとさえ心配されているのが現状です。
どうして非行少年を厳罰に処分したらいいなんて考えがでてくるのか、私には不思議でなりません。生活保護受給者がパチンコ店に行ってはいけないなんていうのと同じ偏見です。
真面目に考え、行動している人は韓国にも、日本と同じようにいることを知って、少しばかり安心もしました。あなたに一読を強くおすすめします。
(2024年2月刊。2300円+税)
2024年10月 9日
激動の韓国政治史
(霧山昴)
著者 永野 慎一郎 、 出版 集英社新書
北朝鮮の権力は、金日成、金正日、金正恩の三代、父から子に世襲されている。
これに対して韓国では、初代の李承晩から今の20代尹(ユン)鍚悦まで、76年間に13代の大統領が誕生した。李承晩政権は12年間、朴正熙政権は18年間、いずれも独裁政治をすすめた。さらに、朴政権のあとも全斗煥と盧泰愚の軍事政権が32年間も続いた。
ところが、その後は保守派と進歩派とのあいだの政権交代が繰り返された。
ここも日本とはまったく違います。日本では軍部独裁の強権政治がない代わりに、自民党の長期保守政治が続き、民主党政権は、短期間で崩壊(自壊)してしまいました。
金大中が拉致・連行された事件は、朴大統領の意を受けた中央情報部(KCIA)の組織的な犯罪であることが明らかになっています。それでも、本書では、その真相をもっとも知る立場にあった日本の捜査当局が所蔵する資料が公開されない限り、より確実なことは分からないとしています。
私は韓国映画をかなりみています。朴正熙大統領暗殺をめぐる過程、全斗煥が軍事クーデターで政権を掌握する過程(つい先日、「ソウルの春」をみました)、光州市民の民衆蜂起と戒厳軍の弾圧(「タクシー運転手」など)、IMF危機、盧武鉉弁護士が弁護士になる過程など、です。いずれも政治を扱っていながらエンターテインメントとしても秀れていて、思わず息を呑むほどの迫力がありました。日本でも、3.11原発災害をめぐる映画はありますが、この分野では韓国に圧倒的に遅れていると思います。
金大中事件が起きたのは1973年8月8日のこと。このころ、私は司法修習生でした。東京・九段下にあるホテルグランドパレスの廊下で拉致し、麻酔剤をしみこませたハンカチを鼻に押しあてて失神させたのです。そして、東名高速道路を車で走り、大阪から船に乗せ、釜山港に運び込みました。
この過程には日本の自衛隊員も関与していたようです。KCIAは金大中を殺害し、遺体はバラバラにするつもりだったようですが、アメリカから中止要請(命令?)があって、助かったようです。
1979年10月26日、朴大統領は内輪の宴会の席上、金載圭情報部長により射殺された。これは軍人同士の内部対立によるものですが、その重要な背景として、強権的な軍部独裁政権に対する民衆のデモの高揚がありました。
全斗煥による軍事クーデターの状況は先日みた映画「ソウルの春」で、詳細に再現されていました。軍隊同士が戦闘するという内戦必至の状況に至っていたことが実感できました。光州事件は1975年5月に起きています。戒厳軍が凶暴な武力鎮圧したことに対する学生そして市民の自然発生的な怒りが燃えあがったのです。
このとき、アメリカ軍の司令官は戒厳軍による武力鎮圧を許可しています。アメリカ軍も同罪なのですが、こちらは問題にされていません。この光州事件について、金大中が背後から操縦したものとして1980年9月17日、死刑判決が下された。そして、40年後の2020年11月30日、光州地裁は全斗煥元大統領に有罪判決を下した。その前、1995年、「5.18特別法」にもとづき内乱目的殺人罪が適用され、全斗煥には無期懲役・追徴金312億円、盧泰愚には懲役17年追徴金372億円が宣告された。盧泰愚は16年かけて追徴金を完成した。全斗煥は半分ほどしか支払われないまま死亡した。盧泰愚は生前、光州事件の被害者に謝罪もし、反省の態度を示したことから国家葬が営まれた。これに対して、全斗煥は最後まで謝罪しなかったし、追徴金も未納だったので、元大統領としての礼遇は受けられなかった。
韓国政治は、たしかに映画の題材にふさわしいほどの劇的展開がみられます。保革の政権交代は、有権者の選択によるもので実現しているわけです。その点、韓国の民主主義は日本をはるかに上まわっています。日本人はもっと政治に目覚め、語るべきだと思います。
いつまでたっても自民党に頼るばかりというのは恥だと私は思います。大変勉強になる新書でした。
(2024年7月刊。1100円)
2024年8月22日
別れを告げない
(霧山昴)
著者 ハン・ガン 、 出版 白水社
済州島4.3事件を扱った韓国の小説です。
著者は、アジア人で初めての国際フッカー賞を受賞したとのことです。でも、フッカー賞なるものが、どれほど価値ある賞なのか、申し訳ありませんが、私は知りません。著者の光州事件を扱った『少年が来る』は、私も7年前に読んで、このコーナーで紹介しています。
今回の済州島4.3事件は、1948年に起きた朝鮮半島の現代史上最大のトラウマというべき事件です。その2年後の朝鮮戦争の序章ともいうべき悲劇です。
この済州島四・三事件において、島民人口の9分の1にあたる3万人近くが犠牲となり、その8割は軍と警察によって殺害された。
当初の蜂起に参加した人は、350人ほどで、武器は、旧式銃のほか、竹槍、斧、鎌だった。これに対して、中山間村に対しては「疎開命令」が出され、残った人々は命令一下、全員殺害されてしまったのでした。しかも、1950年6月に朝鮮戦争が始まると、政府に反抗しそうな人々は「予備検束」され、各地で次々に全員が処刑されていきました。
済州島の若者は、山に入って「武装隊」として戦うか、軍や警察の「討伐隊」の一味になるか、ソウルや日本などに逃れるか選択を迫られた。いやあ、これはいかにも苛酷な選択ですね。どれを選んでも生命がけです。
代殺というコトバを初めて知りました。ひどいコトバです。ひどすぎるというか、耐えられないむごさです。軍人が一軒ずつ住民名簿と照らしあわせて、家に男がいないことが判明したら、その男は山に行って武装隊に入ったとみなして、残った家族を殺害した。いやあ、これはひどいですね。とんでもないことです。これでは、残った人々はみんな「アカ」になるしかありませんよね...。
アメリカ軍の司令部は、済州島民30万人を皆殺ししても共産化を食い止めろと命令し、それを極右の青年団員(西北青年会。西青)たちが実行していった。このときは遺体の収容すら許されなかった。
済州島から日本へ逃れてきた人たちの相当数が大阪にたどり着いて生活したようです。このような悲劇を小説にして現代に生きる人々にどうやって読んでもらい、事実を知らせるか、現代に生きる私たちの責務だと思いながら、辛さのなかで読みすすめていきました。
ちなみに、済州島で話されるコトバ(済州語)は標準韓国語と大きく異なっているというのを初めて知りました。世の中は、実に知らないことだらけです。また、この本が日本ですでに五刷というのにも驚かされました。
(2024年6月刊。2500円+税)
2024年8月 6日
韓国映画から見る、激動の韓国近現代史
(霧山昴)
著者 崔 盛旭 、 出版 書肆侃侃房
この本を読むと、韓国の近現代史は、まさしく激動そのものです。済州島四・三事件、朝鮮戦争、朴正煕暗殺、光州事件、IFM危機、セウォル号沈没事件...。
韓国の人々は、決して黙って受けとめたわけではありません。キャンドルを持って集まり、声を上げて世の中を大きく動かしていきました。それで、日本に住む韓国人である著者は日本人の態度は理解しがたいと嘆いています(いるように思われます)。
日本人は、権力の不正や理不尽な仕打ちに対する怒りを行動として表明しない。森友・加計問題、公文書偽造、河合夫妻の選挙違反、検察庁の不正、東京オリンピックをめぐる諸問題...。自民党の裏金問題もそうですよね。近年、あとを絶たない権力側の疑惑に対して、多くの国民は納得できないものを感じているにもかかわらず、それが明確な行動として示されることがほとんどない。一部の人がデモに集う一方で、そんなことをしてもムダだという、あきらめムードが国全体に漂っているように見える。韓国なら、これではすまされないだろう。
本当に、そうですよね。先日の東京都知事で160万票以上もとった石丸某は、まともな政策らしいものは何もしないのに、SNSでなんとなく好感をもたれて集票してしまいました。国民(ここでは都民)の怒りが妙なところに吸い込まれてしまって、怒りの表明にはなりませんでした。
しかも、三位にとどまった「蓮舫」に対して、女のくせに強く主張しすぎるから嫌だといわんばかりのバッシングがマスコミとSNS上であふれています。正論を主張したら、それが叩かれる世の中になってしまっては、どうしようもありません。それでは、カイロ大学を中退したのに卒業したという学歴詐称が濃厚な小池百合子のステルス(逃げ切り)を許してしまうのです。
光州事件は1980年5月に起きた軍による市民虐殺事件です。当局は、ずっと「北朝鮮にあおられたアカによる反乱」だとしてきましたが、軍事政権から替わった金泳三政権のとき、真相究明のための特別立法がなされ、ついに、軍を動かし虐殺を指揮した大統領である全斗煥と慮泰愚に対して2人とも死刑判決が下ったのです。これはすごいことです。
日本で、自民党の裏金事件というのは、数千万円いや数億円もの税金が私物化されたというものです。なので自民党の責任者(総裁)である岸田首相は当然に刑事裁判の被告人として裁かれるべきものですし、死刑はともかくとして、金額からして、実刑相当なのです。
この本を読んで、韓国で死刑制度が廃止されていないのに死刑執行がされていない理由として、明らかな冤罪(えんざい)にもかかわらず、死刑判決確定後まもなく処刑してしまった事実があるということを知りました。
朴政権は、何の根拠もなく「北のスパイ」として罪なき人々を逮捕し、国家転覆を図ったとして死刑判決に持ち込み、死刑の確定からわずか18時間後の1975年4月9日に8人を処刑してしまったのです。いやあ、これはひどい、ひどすぎます。
この裁判の過程では、事件を担当した検事が起訴を断念しようとしたこと、ついに4人のうち3人まで辞職してしまったのでした。良心がとがめたからです。
韓国映画は大変面白く、勉強になりますので、私はなるべくみるようにしています。見逃してしまった映画もたくさんありますので、これからはできるだけ見逃さないように心がけるつもりです。
(2024年6月刊。2200円+税)
2024年7月15日
大邱の敵産家屋
(霧山昴)
著者 松井 理恵 、 出版 共和国
詩人の森崎和江が生まれたことでも知られる韓国第3の拠点都市・大邱(テグ)の歴史を追いかけた本です。
森崎和江は、1927年、日本による植民地支配下の朝鮮慶尚北道大邱府三笠町に生まれた。日本人町だった三笠町は、今では三徳洞と地名を変えている。
朝鮮戦争が始まったあと、人民軍(北朝鮮軍)に大邱は占領されなかったので、全国から多くの避難民が集まってきた。
植民地時代に都市計画にもとづいて開発された日本人の居住地は、交通機関や公共施設から近くて利便性が高く、古くからある市街地に比べて安全かつ衛生的だったので、高級住宅街とされていた。
日本の宅地開発では、道路に沿って住宅が建てられ、その玄関も道路との関係によって位置が決まる。これに対して、伝統的な韓国の住宅は南からの出入りをもっとも重視する。
日本敗戦後、日本式家屋は「敵産家屋」と呼ばれた。
大邱は今日では保守的な都市というイメージが非常に強い。しかし、軍事クーデターによって朴正煕(パクチョンヒ)が政権を握るまでの大邱は「朝鮮のモスクワ」と呼ばれるほど革新勢力が強い都市だった。ところが、大邱出身の朴正煕は、自らの地盤を固めるため、この地域の左派勢力を残忍かつ執拗に弾圧して、反共と地域縁故主義の二本柱とする保守的な都市につくり変えた。
日本敗戦前の大邱には最大3万人の日本人が居住していて、人口割合としても3割ほどを占めた。そして日本敗戦後、大邱には、町工場の並ぶ工業都市となった。
そして、今やタワーマンション(49階建)6棟、800世帯が生活する地域となっている。すっかり変わってしまったようですね。町工場時代の助けあいの状況が詳しく紹介されているところに大変興味をもちました。東京の太田区の町工場街も同じようなものだったと聞いたことがあります。今はどうなのでしょうか...。
(2024年3月刊。2700円+税)
2024年6月22日
ようこそ、ヒュナム洞書店へ
(霧山昴)
著者 ファン・ボルム 、 出版 集英社
身近な本屋さんが次々に消滅しています。それは韓国でも同じようです。
私は本屋の前は素通りできません。急いでいるときでも、店内をざっと眺めて通り過ぎるようにしています。店先の平積みの本を確認し、さらに棚に並んでいる背表紙をざざっと目視するのです。すると、読んでほしい本が訴えかけてくることがあるのです。それを感じとったら、一歩近づいて手に取り、「よし、よし。それでは・・・」とレジのほうにもっていきます。もちろん、本を万引するなんていう気持ちは毛頭ありませんので、同じフロアーにレジ(勘定場)がないときは、焦ってしまいます。あれはやめてほしいです。万引してると疑われはしないかという余計なドキドキ感は私のような「超繊細な神経」の持ち主にはこたえます・・・。
この本には、読者の楽しみが、いろんな言葉で語られます。
小説を読んでいるときは、別の世界にひょいと旅に出たようで、とにかくわくわくする。別の世界を旅したあと、現実の世界に戻ってくると、甘い夢からいきなり覚めたみたいで、ガッカリする。でも、いつまでも落胆する必要はない。本を開けば、いつでもまた旅に出られるのだから・・・。
町の本屋は、本の販売だけでは採算がとれない。ふむふむ、これは韓国も日本も同じようですね。なので、日本の町の本屋はなくなっていくのです。ところが、このヒュナム洞書店はコーヒーを店内売り、また、各種イベントを開いて客を集めるのです。
トークイベントに来てもらった作家は、なんと、もしや自分には文才がないのではと日々悩む、フツーの人たちだった。
本を読むと、他者に共感するようになる。本は、私たちを誰かの前や上には立たせない。その代わりに、そばに立てるようにしてくれる気がする。
本を読みたいけど、読めない人はどうしたらよいか・・・。初めは大変でも、読んでみれば、読むのが習慣になる。そうなんです。年に100冊とか200冊ほど読んでいた時期がありました。でも、それでは、読みたい本がどんどんたまっていくばかりなのです。それで、本を読むのは自分のためなんだから・・・と、スピードを早めました。私の読書タイムは基本的に車中(列車と電車。さすがにマイカーではありません)と機中(東京への往復で6冊がノルマです)です。ですから、弁護士会の役員をしていたときは、車中と機中ばかりの生活でしたから、年に700冊の本を読みました。今では500冊を下回り、やっと400冊ほどです(上京するのは月1回しかありませんから・・・)。
主人公は壁一面を本棚にするのが夢だったといいますが、私の自宅は壁一面が本棚にしていますし、巣立っていったあとの子ども部屋は書庫にしました。かなり処分して減らしましたが、今でも1万冊はあると思います。購入金額だけでしたら、私も億万長者にきっとなると思います(弁護士生活も50年になります)。
みんな迷惑をかけながら生きている。たまには、いいこともして。そうなんですよね・・・。
幸せって、そう遠くにあるわけではない。遠い過去とか、遠い未来にあるのではなく、すぐ目の前にあったりする。いい人がまわりにたくさんいる人生が、成功した人生なんだって。社会的には成功できなかったとしても、一日一日、充実した毎日を送ることができる、その人たちのおかげで・・・。
いい本でした。韓国で25万部も売れたそうですが、それもなるほどと思います。
ともかく、この本屋に行って、コーヒーを飲みながら店主と話をしたり、本をパラパラと読むと、きっと心が落ち着くと思います。日本でも、そんな本屋が少しずつ出現しているようですね・・・。いいことです。私はネットでしか本が買えないとなってしまったら、本当に困ります。
(2024年4月刊。2400円+税)
2024年5月28日
父の革命日誌
(霧山昴)
著者 チョン・ジア 、 出版 河出書房新社
パルチザンの娘として生きてきた主人公が父の死に直面して回想していくというストーリー展開です。韓国で32万部も売れ、しかも当事者世代というべき70歳代に読まれているというより20代、30代の若い読者が圧倒的だそうで驚きます。
私は、この小説を初め、著者自身の体験記(ノンフィクション)と思って読んでいましたが、やはり小説は小説のようです。訳者あとがきによると、両親以外の登場人物はおおむね架空の人だといいますから、両親がパルチザンの生き残りであったこと自体は歴史的事実だし、周囲の人々にもモデルがいるそうですから、まったくのフィクションではないわけです。
それにしても心が大いに惹かれるセリフ、文章があふれています。
「きみは何のために智異山(チリサン)で命を懸けた?」
「両親は、純粋無垢な社会主義者だった。世間知らずの田舎者だった」
「父は、いついかなるときも社会主義者だった」
「父は若いとき、無数の死を目撃した。首をはねられた同志たちの死体がアジトの近くにそこらじゅうに転がっていた」
「幼い娘が石ころにつまづいて転んでも両親は幼い娘を起こさなかった。そうして育った娘は誰に対しても弱音を吐いたことがない。泣いたこともない。これがまさにパルチザンの娘の本質なのだ」
「両親は、麗水・順天事件の直後に山に入った旧パルチザンで、そのうち生き残った人は数えるほどしかいない。それだけ運の強い人たちなのだ」
「私は何も選んでいない。アカになりたいとか、アカの娘に生まれたいと思ったこともない。生まれてきてみたら、貧しいアカの娘だったのだ」
子どもは親を選べないのですよね...。
父は頭がよくて立派な人。その立派さによってアカになって一族を滅ぼした人でもあった。父は家門の誉(ほま)れであると同時に、家を没落させた元凶なのだ。
「あの時分は、頭のいい奴はみんなアカだったよ」
結果の是非はともかくとして、父は命を懸けて何かを守ろうとした。それにひきかえ、自分は現実から目をそむけ、不平不満をこぼしているだけだ...。
父は言った。「自分の得にならんことには容赦なく背を向けるのが民衆だ。そもそも民衆が背を向けるような革命は間違っているんだが...」。
この本のなかに、まだ8歳だった弟が党幹部の兄を誇らしく思っていて、それを堂々と告白したために父親が目の前で軍人に殺害されたこと、それ以来、おしゃべりだった弟が極端に話さない無口の男になり、酒浸りになり、兄とケンカばかりしていたという状況が紹介されています。泣けてきました...。
車中で、そして喫茶店に入って一気に読了しました。ご一読を強くおすすめします。
(2024年2月刊。2310円)
2024年4月11日
小鹿島、賤国への旅
(霧山昴)
著者 姜 善奉 、 出版 解放出版社
著者の両親は、日本の植民地時代にハンセン病を発症し、父親は小鹿島(ソロクト)に強制収容されました。そして、脱走して、母親と出会い、1939年に著者が生まれました。
本書は著者の20代までの自伝です。日帝支配下の小鹿島の状況、解放後の様子、そして、そこで過ごさなければならなかった人たちの歴史を伝え残しているものです。ですから、振り返りたくもない自身の苦痛にみちた過去がさらけ出されています。
小鹿島は、韓国の南端、全羅南道高興郡の港街である鹿洞(ソクトン)の海岸端に立つと、目と鼻の先に見える小島である。
韓国のハンセン病の病歴者とその家族の精神的支柱は、キリスト教の篤(あつ)い信仰。小鹿島には、キリスト教(プロテスタント)の教会が5つ、カトリックの聖堂が2つある。
ハンセン病の患者たちが組をつくって街に出て物乞いをして歩いている状況が登場します。映画『砂の器』にも、親子で物乞いをしてまわる状況がありましたよね、その場面をつい思い出しました。
物乞いでも、稼ぎのいい者もいれば、悪い者もいる。物乞いも技量がものを言う。
1日に何十里も歩いた。ときにはなにもくれない人もいたけれど、くれる人のほうが多かった。
ハンセン病の患者は結びつきを何より求めた。それは肉体的にお互いを頼りにし、体調が悪ければ世話をしあうため、そしてもっとも重要なのは、死んだときに死後の処理をしてもらうためだった。
さつま芋は、島で唯一の補充食料だった。そして冬の間食として、とても重要だった。
芋の蔓(つる)を干したものは、特別なおかずとして正月やお盆、来客のあったとき、結婚式の披露宴には必ず出た。とった芋の蔓を十分にゆでてから、しっかり干して保管し、ナムルにするときには、またもや水に浸しておいてから絞り、豚の脂(あぶら)で炒(いた)める。最上のおかずだ。
繁殖力の強いウサギが主に肉食の対象となった。ウサギの肉にもち米とニンニクを入れて煮たり、ウサギの肉にウルシの皮を入れて煮て、薬として食べた。
島には監禁室があった。監禁室での監禁は、園長の特権だった。裁判も弁論もなく入れられた。その罪名は、時間外点灯、殺人、逃走、姦淫(かんいん)、命令不服従などだった。小鹿島のハンセン病者たちは、まるでハエ叩きで叩かれて死ぬハエのような命だった。
小鹿島は言葉どおりに賤国である。そして、そこから出てもなお賤国市民のままであった。
これは本書の最後に出てくる著者の言葉です。大変な苦労を重ねながら、生き抜いてこられたのです。心より敬意を表します。この本を読んで初めて韓国におけるハンセン病歴者の状況の一端を知りました。
(2023年2月刊。2500円+税)
2024年3月27日
不安と特権
(霧山昴)
著者 ハーゲン・クー 、 出版 岩波書店
韓国の現状と、その抱える問題点を深堀りした、興味深い本です。
不安は現在の韓国社会を特徴づけるキーワード。ほとんどすべての国民が不安に直面しながら暮らしている。
富裕中産層が経験する不安の最大の要素は、子どもの教育と就職。
最上位1%に位置する上流階級家庭は不安がない。なぜなら、子どもに事業や十分な財産を譲り渡すことによって階級世襲が可能だから。
上流中産層は、熾烈(しれつ)な教育競争を避けるすべがない。
韓国には渡り鳥家族がいて、急増している。教育のため、子どもと妻と一緒に海外に送り出し、夫がひとり韓国に残って働き、仕送りする家族のこと。
江南(カンナム)は、国家の全面的な支援によって急激に発展した。
江南は、1117人の回答者のうち93人もの人が江南に移り住みたいと考えるほど。
進学(大学入試)にあたって、特権的な機会が保障されている。ほんの50年前まで、江南は田んぼと広大な野原だった。
カンナムに中産層向けのマンションが続々と建設された。マンションが中産層の好む住居形態だったから。
江南は不動産による資産増殖の機会があり、また、より有利な教育を受ける機会が保障されている。江南の不動産(地価)の上昇は他で25倍だったのに対して800~1300倍もあった。
2000年代初めに、弁護士の6割、医師の6割近く、企業家の5割以上、ファンドマネージャーや公務員の5割、ジャーナリストの4割近くが江南に暮らしていた。
韓国民は、韓国の教育システムに対しての不満が極度に高い。韓国では教育が非常に競争的で、費用が多くかかり、子どもと両親にはなはだしいストレスを抱えさせるから。
韓国には、ひときわ垂直的で硬直した大学の序列構造がある。そして、これは縁故主義と密着している。
課外授業という私教育の弊害をなくすためにとられた高校平準化政策が、むしろ私教育市場に火をつける結果をもたらした。家庭教師と私設の塾が急速に増加した。
アメリカには、韓国人の就学児童が4万人いると集計された(2000年代初め)。
子どもの早期留学に人気があるのは、子どもの社会的下降移動を防ぐのに便利な方法であること、親の体面を保つための一種の戦略であるから。子どもが韓国内でソウル大学などの名門大学に行けないときに代わりに選択できるオルタナティブの戦略になった。
かつて韓国社会の主軸を成し、活気にあふれ希望にみちた中産層が存在したが、今では、次第に圧迫され、経済的にも社会的にも無気力で挫折した集団へと変貌している。
韓国人の感じる体感中産層は、1980年代に75%だったのが、2010年代には40%台にまで低下した。2013年の調査では20%台だという結果も出ている。
日本も、かつては「一億、総中産階級」と自称していましたが、今や、そんなのウソでしょ、どこの国の話ですか...、と訊き返されてしまうでしょうね。
韓国の厳しい、矛盾に満ちた社会状況の一端がすっきり頭に入ってきました。
それにしても、この本のとっつきにくいタイトルはどうにかなりませんか...。
(2023年12月刊。2600円+税)