弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2025年3月31日
ヘタレ人類学者、沙漠をゆく
インド
(霧山昴)
著者 小西 公大 、 出版 大和書房
大学2年生、19歳のとき、一人でインドに乗り込んだ。「自分懐しの旅」が始まると、例のごとく散々な目にあう。ようやくたどり着いたホテルに、3日間ほど、引きこもり状態になる。
そして、有名なインド映画『きっと、うまくいく』の決めゼリフ、「すべて良し」の青年に出会って開眼。ああ、いったい自分は何を悩んでいたのだろう。ホテルに閉じこもり、自分自身の来し方を採点しながら、あれがダメだった、これが失敗だった、こんな自分が情けない...と自己否定ばかりしていた。なんと浅はかなことだろう...。
外の通りに出て、おそるおそる歩きはじめた。あまりにも刺激的で魅惑的な存在の数々が押し寄せてくる、躍動感にあふれた場が目の前にあった。
世界は、自分の認識のあり方を少し変えるだけで、恐怖と不安に満ちた世界から、魅力あふれたワクワクする世界へと簡単に変貌するのだ。恐怖心が少しずつ薄れていった。
歩き方を変えると、「カモ」からそうでないようになる。うつむき加減で歩幅を小さくし、あたりをキョロキョロ物色しながら歩いていると、腹黒い下心のある人々を「カモ」と思って引きつける。これに対して、胸を張って、少しガニ股風に大きく歩幅をとり、首はキョロキョロ動かさず、進行方向に固定し、ときにゆっくりとあたりを見渡。これで腹黒い連中は寄ってこなくなる。
いやあ、そういうものなんですね。いいことを知りました。早速、実践してみることにしましょう。
インドという異質性の波の中でもまれるなか、自分が育ってきた環境、いつの間にか身につけた価値観、自分でつくりあげてきた自己イメージなるものを意識することが出来るようになった。
私の場合は、大学1年生の4月、セツルメントのサークルに入って、徹底的に仲間と話し込むなかで、それまで当たり前だと思っていた価値観や習慣が、当たり前でもなんでもないものだということに気づかされました。親を小馬鹿にしていた私ですが、親を敵だと言ってのける人がいるのには、驚きを通り越して呆然としてしまいました。
著者は偶然の連鎖のなかで、インドの沙漠地帯で生活するようになりました。「砂漠」ではなく、「水の少ない土地」という意味の「沙漠」です。そこには、トイレもなく、シャワーを浴びるにしても、素っ裸になるのは男であっても許されません。
家の中には家具らしきものは何もない。もちろん、周囲には店もコンビニも何もない。
食べた食器を洗うにしても、家の周囲のサラサラの砂でゴシゴシ洗って終わり。生ゴミは家の外に放り出したら、犬や山羊や虫がきれいに片づけてくれる。
沙漠の世界では、人間と人間のつながりやネットワークをいかに駆使するかが、生きていく街のカギとなっている。
著者は、何をやっても「ありがとう」と感謝されたことがない。なぜなのか...。
「ありがとう」と言いたくないだけでなく、「ありがとう」と言われたくもない。これが、現地の人々の社会。それはタブーであり、感謝してはならないという鉄の掟(おきて)がある。
受けた恩を忘れることはない。しかし、こんな露骨な表現は、とても嫌われる。感謝の表現は、無音でなされる。言葉にしてしまうと、関係そのものが崩れてしまう。そんな感覚をもっているのだ。
日本人は、いつだって「ありがとう」「ごめんなさい」を絶えず言い続けなければならない。どうしてなのか...。
異質なものとの出会いは、常に可能性に開かれている。まったくそのとおり。そんな確信を与えてくれる本でした。
著者は人類学者になった。そして、2006年にこの沙漠で結婚式を開いた。200人もの人々が集まってくれたとのこと。すごいですね。
50歳になる人類学者が19歳の大冒険談を昨日のことのように語っていて、とても新鮮でした。あなたにも一読をおすすめします。
(2024年12月刊。2200円)