弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2025年3月29日
バルセロナで豆腐屋になった
社会
(霧山昴)
著者 清水 建宇 、 出版 岩波新書
ええっ、こんなタイトルで岩波新書になるの...、それが読む前の第一印象でした。
読み終わってみると、違和感はきれいさっぱり消えていました。サブタイトルは「定年後の『一身二生』奮闘記」となっています。朝日新聞の記者が定年後、スペインのバルセロナで豆腐屋を開業して10年間がんばった体験記です。家業が豆腐屋というわけではありません。それなのに、なぜ豆腐屋を、それもスペインのバルセロナという地方都市なんかで...。
著者は記者時代、ヨーロッパ絵画の特集記事のためスペインにも行っています。 そのとき、どこよりもバルセロナが気に入ったのでした。街が美しく、食べ物がおいしい。そして、アジアから来た異国の人という奇異の目で見られることがなかった。これが、バルセロナを気に入った理由です。
では、なぜ豆腐屋なのか...。豆腐や油揚げ、納豆が大好きなので、それなしの生活は考えられない。ならば、自分でつくってやろう。いやはや、とんだ(飛んだ)思考法ですね。私にはとても真似できません。大学生の長男、中学生の長女、次女に計画を話すと、すんなり受け入れられた。その前に妻(カミさん)の了解は得ている。
2010年4月、62歳のとき、バルセロナで豆腐屋を開業した。今から15年も前のことなのに、とても詳細かつ具体的に話が展開していくのに驚きます。当時のメールやら計画書、領収書などが全部保存されていたからのようです。さすがは元記者ですね。まずは豆腐づくりの修業です。もちろん日本でします。
油揚げの生地は、豆腐よりはるかに薄い豆乳でつくる。凝固せず、無数の小片が浮かんでいる状態にしてから水を抜き、型箱で固める。それを短冊状に薄く切り、最初は低温で、次に高温で揚げると、ふくらんでキツネ色になる。油揚げの生地の固さは、親指と人差し指で押して確かめる。がんもの生地は練っている途中でヘラを突っ込み、その手ごたえで判断する。大豆の煮え具合いは湯気のにおいでつかむ。青臭いにおいがするうちは、まだ煮えていない。甘いにおいがするようになれば出来あがりだ。豆腐づくりは全身をセンサーにしてやる仕事。手ごたえやにおいは数字に出来ないから、書くことも出来ない。途中からメモ帳とペンの出番はなくなった。
なーるほど、手指の感覚にモノを言わせるのですね。私には出来そうもありません。
著者の妻は佐賀市出身、名門の佐賀西高卒です。バルセロナでは鍼灸師そしてヨガの師匠として活躍しました。
豆腐屋の朝は午前5時起床に始まる。そして、店に着くと豆腐づくりを開始。午前中の販売を終えて、午後3時に一日で最初の食事をとる。
ええっ、大丈夫なの...と驚くと、なんと著者は体重92キロだったのが、豆腐屋を始めて75キロまで落ちたとのこと。つまり、肥満だったのです。1日2万歩も歩いたそうです。
豆腐屋には一年中、完全な休日というものはない。丸一日オフとなるのは、年に数回ある連休の初日だけ。忙人不老。忙しい人は老(ふ)け込まない。
「あなたは、なぜその仕事を辞めないのですか?」
この質問に対する答えこそ、職業選択の参考になる。なるほど、そのとおりでしょう。五大ローファームに入って企業法務の大きな歯車の一つになって何十年もして、果たして人生に満足できる人がどれほどいるか、私には疑問でなりません。
奥付の上に著者紹介があり、はたまた驚きました。なんと、私と同世代(正確には私より1年だけ上)、団塊世代なのです。『論座』の編集長、「ニューステーション」のコメンテーター、論説委員を経たあと、スペインで豆腐屋を開業したわけです。その勇気と行動力に対して、心より敬意を表します。
面白い本でした。
(2025年1月刊。960円+税)