弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2025年3月 6日
地下鉄サリン事件はなぜ防げなかったのか
社会
(霧山昴)
著者 垣見 隆 、 出版 朝日新聞出版
1995年3月20日、地下鉄サリン事件が発生。その前年(1994年)6月27日に起きた松本サリン事件では被害者なのに犯人と間違えられた事件が発生。そして地下鉄サリン事件の直後の3月22日、山梨県の上九一色村にあったオウム教団拠点への大捜索、3月30日に國松孝次警察庁長官の狙撃事件があり、オウムの麻原彰晃が逮捕されたのは5月16日。ちなみに、阪神淡路大震災が起きたのは、この年の1月17日です。これらの大事件の当時、警察庁刑事局長だった垣見隆弁護士から、6年に及ぶ準備期間を経て15時間もの聞き取りが一冊の本にまとまっています。日本の警察の中枢にいた人の話は傾聴に値すると思いました。
垣見氏はオウムの一連の事件を考えるにあたって、坂本弁護士一家殺害事件の解明が遅れたことを大きな問題とみています。オウム教団から大金を持ち逃げした岡崎容疑者が坂本弁護士一家の遺体を埋めた場所を警察にタレ込んできたとき、きちんと捜査しておけば、地下鉄サリン事件は起きなかったとしています。このタレ込みの書面に描かれた埋設場所は基本的には正確だったのです。
そして、警察庁長官狙撃事件は結局のところ、犯人は中村泰(病死)である疑いは強いとされています。ところが、時効が成立した時点で警視庁公安部は犯人はオウムだと宣言したのでした(民事裁判で警察は敗訴)。
この当時は村山首相(社会党)だったのですね。刑事局長として首相官邸に直接報告に行っていたことを警察の政治的中立性から問題にして批判した人たちがいたそうです。私には政治的中立性がなぜ問題とされるのか、さっぱり分かりません。
垣見氏は警察庁刑事局長から警察大学校長への異動を命じられた。明らかに更迭(こうてつ)人事。本人も「閉門蟄居(ちっきょ)を命じられた心境」、移動先では「配所の月を眺める」といった心持になった。これって菅原道真の心境でしたが...。まだ53歳の若さです。しかも、警察大学校長もわずか1年弱で退職勧奨を受けた。このときは、「言われるまま素直に、という気持ちではなかった」と語っています。
当時の國松長官に対する怒りがあったのではないかという問いに対しては、「コメントするつもりはありません」と返して、否定していません。警察官僚トップ(長官)へあと一歩のところに来ていたのに、オウム対策で目立った失敗をしたわけでもないのに、なぜ自分だけ更迭されるのか...という怒りがあったようです。キャリア組同士の抗争というか、葛藤が感じられる状況です。
垣見氏は司法試験にも合格していましたので、司法修習生となって弁護士活動を始めました。以来、弁護士になって25年たちました。
1989年11月に発生した坂本一家殺害事件こそ、オウム教団の一連の犯罪行為の原点。これについて警察は、当初は行方不明事件として扱うなど、初動段階の対応が的確でなかったと批判し、反省点にあげています。
神奈川県警は坂本弁護士について過激派だったとか、当初はデマを飛ばしたりして、まともに対応せず、オウムをきちんと捜査対象にしていませんでした。
垣見氏は。マスコミ対応について、適切に出来ていなかったと自己批判しています。マスコミ陣から嫌われたというのも、更迭の一因になったのかもしれません。
大変貴重なオーラルヒストリーだと思って、東京からの帰りの飛行機のなかで、一心に読みふけりました。
(2025年2月刊。1900円+税)