弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2025年3月 5日
象徴天皇の実像
日本史(戦後)
(霧山昴)
著者 原 武史 、 出版 岩波新書
昭和天皇は根っからの反共主義者だったようです。吉田茂については、日本共産党を甘く見ている、少し過小評価していると批判していました。著者は、天皇が逆に共産党を過大評価しているとしています。
昭和天皇のホンネは、独立回復を機に憲法9条を改正して自衛軍をもつことだった。
吉田茂については、いろいろ不満たらたらだったのですが、それでも代わる人間がいないから、首相を続けさせるしかないという現実認識だった。岸信介は主戦的だったのに公職追放から解除されたのはおかしいと昭和天皇は考えていた。
東条英機はちゃんとやったが、近衛文麿は無責任のそしりを免れない。近藤はよく話すけれど、あてはならない。
皇太子(今の上皇です)が東大に行くのを昭和天皇は反対したようです。東大総長の南原繁が全面講和や天皇退位を唱えていたから、その影響を皇太子が受けるのを心配したから。結局、皇太子は学習院大学に入りましたが、中退しています。
この本は、宮内庁長官をつとめた田島道治による『昭和天皇拝喝記』にもとづいていますが、昭和天皇の肉声が聞こえてくるような気にさせられるような生々しさがあります。
昭和天皇については、口数が少ないというイメージがあるが、その素顔は、むしろ多弁で、話しだしたら止まらなかった。その雰囲気がよく伝わってくる本になっています。
敗戦後、新しい憲法が出来て「象徴」になったあとも、昭和天皇は依然として天皇大権をもっていると思い込んでいた。これには驚くほかありません。
戦後の日本で、政治不信が強まれば、共産主義の影響を受けた学生や労働者が直接行動を起こして、暴発しないか、天皇には危機意識があった。
天皇は自らの退位を真剣に考えていたというより、もとからあまり退位する気はなかったようです。
そして、国民の多くが敗戦後、カトリック信者になるのなら、自分も改宗しようか、真面目に検討したとのこと。でも、敗戦後の日本人にカトリック信者が急増したという現象もないので、早々にやめたそうです。
天皇は皇太子(今の上皇)のことを「東宮(とうぐう)ちゃん」と呼び、その身体が弱いので、天皇がつとまるか心配していた。
敗戦後、昭和天皇は日本全国を皇后と一緒に巡業したが、最後に北海道が残った。行けば、「共産化に対する防御」になるので、ぜひ北海道に行こうということになった。そして、行ったのです。
昭和天皇が、「国費を使ってアカ(赤)の学生を養成する結果となるような大学もどうかと思う」と言ったとき、それは東大や京大を指していた。いやはや、なんという感覚でしょうか...。
天皇が皇道派の中心人物の一人である真崎甚三郎を特に嫌っていたというのを初めて知りました。
戦前、日本軍による南京大虐殺があったことを三笠宮は自分の本のなかで書いていますが、昭和天皇も「支那事変で南京でひどい事が行われていることを、ウスウス聞いていた」としています。
昭和天皇の実像を知ることのできる貴重な新書だと思いました。一読を強くおすすめします。
(2024年10月刊。960円+税)