弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2025年1月21日
服罪
司法
(霧山昴)
著者 木原 育子 、 出版 論創社
人を殺して無期懲役の判決を受け、刑務所生活35年余を経て仮釈放で社会に出てきたとき、何が起き、どう思うのか...。
私も少し前のことですが、刑務所で20年ほど過ごして出所してきた人から話を聞いたことがあります。バスに乗れなかったそうです。まだバスに車掌さんがいて、切符を売ってくれた時代に事件を起こしたのです。ところが、出所したらワンマンカーしか走っていない。どうやって料金を払うのか分からず、いい大人が、今さら料金の支払い方も訊けず、困ったというのです。今なら、何でもスマホの時代ですから、もっと「今、浦島」の世界になってしまうでしょう。
さて、無期懲役の判決を受けたらどうなるのか...。
刑務所に入所するとき、新人訓練を受ける。このとき、多くの時間が「無断」ということへの取り決めにさかれた。無断で行動すること、無断でおしゃべりすること、自席を立つことを含めて、何をするにも許可が必要。自分の意思で行動することは、ほぼ皆無。社会と隔絶された刑務所のなかという別世界では、これまでと真逆といえるほどの厳格なルールがあり、そこに疑問を抱かず順応していくことが求められる。服役するということは、まずこの環境に慣れなければならない。
たとえば、風呂。冬は週に2回、夏でも週に3回。夏の3日間のうち、2日間は15分間で、1日は10分のみ。ひげそりを含めて10~15分でやって湯舟につかり、身体もしっかり洗うのは、大変なこと。電気カミソリを買うためには、工場で働いた労賃を貯える必要がある。
工場の作業で優秀な成績を上げて、支給された大福餅の甘さは、この世の幸せが体現されたもののように感じるほど美味しかった。
刑務所内でもいじめがある。決してあからさまにはやらない。いじめなのか、いじめではないのか、スレスレのレベルで行われるといった巧妙なものが多い。無期懲役の受刑者はいじめのターゲットになる。懲罰の対象になれば仮釈放の機会が遠のいてしまう。なので、無期懲役の受刑者は、ひたすら耐え忍ぶ。
刑務所の中は、誰かが評価されることが無性に気に入らない。一人だけ、この地獄から抜け出すことは絶対に許さない。巧妙に足を引っぱりあう世界だ。
刑務所は人間社会の縮図。縛られた生活であるため、人間の醜い部分が、行き場所もなく露骨に出てくる。一般社会だと逃げられるか、刑務所では逃げ場がない。
刑務作業のなかでは、炊事班は最高峰の役務。炊事班には30人ほどいて、朝と昼、夜とローテーションを組む。もちろん包丁や火も扱う。
仮釈放の前には釈然教育を受ける。35年間の刑務所生活のあとなので、雑居房を出て一軒家のような部屋に入る。
35年間の刑務作業で得た労賃は150万円。年にすると4万5千円。
出所して保護司と一緒にファミリーレストランに入って、ステーキを食べる。ドリンクバーも利用する。何杯でも飲んでいいというシステムが驚きだった。刑務所では、食べる時間も決められていたから、ゆっくり食べていいというのが不思議な感覚...。そうなんですね、あたり前があたり前ではないわけです。
過去を消したいということにこだわっていくのではなく、過去を生かしていく。そうすることが、被害者への謝罪にもつながるはず...。過去のことは消えないけれど、それでも自分は生きている。生きる自由を手にできている。被害者には、それができない。それが出来る自分との明確な違いがある。
出所して、仕事が出来ず、ふさぎこんでいた1年余の空白の日々が、自分自身をこえていく時間となり、更生するとはどういうことかを考える時間を与えてくれた。自分の意思をもって実践すると生まれ変わった。
言葉ってタネだ。植物のタネを地面に埋めるように、せっせと人の心に埋める。それが、それぞれに荷を出して、花を咲かせていく。それでいい。前を向いて生きていく人だ。そう思ったときとか、過去を受け入れ、過去を乗りこえた瞬間だった。これって、なんとなく分かります。
無期懲役の受刑者が仮釈放されるのは1%にもみたない。無期刑の受刑者は全国で1700人いないが、その平均在所期間は34年ほどだったが、2022年には45年になった。80歳以上が131人、50年以上も刑務所にいる人が10人いる。この10年のうちに受刑者の中の死亡者が260人いる。
社会復帰するというのが、いかに大変なことかが実感できる本でした。
(2024年10月刊。1980円)