弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2025年1月18日

写楽

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者 渡辺 晃 、 出版 角川文庫

 ときは、寛政の改革で有名な松平定信が活躍したときより少しあとのこと。
 寛政6年5月に現われ、わずか10ヶ月したら姿を消した絵師、写楽。
 長らく写楽の正体は不明とされてきましたが、現在は四国は阿波国徳島藩の能役者・斎藤十郎兵衛だというのが有力説。
売り出し当時は、今ほど爆発的な人気はなかったようです。ところが、海外へ浮世絵が流出していくと、海外で写楽を高く評価する本が出て(明治43(1910)年)、その評価が日本に逆輸入され、写楽への評価が一変した。
 ふむふむ、よくある日本人の行動パターンですね、これって...。
 東洲斎写楽を押し出した版元(出版社)は、蔦屋(つたや)重三郎。背景に雲母をぜいたくに使った黒雲母(くろきら)摺(ずり)の役者大首絵で、大当たりをとった。
 寛政の改革のあと、江戸三座である中村座、市村座、森田座は、いずれも資金難に陥って休座した。その代わりを都座、桐座、河原崎座が興行した。
 写楽の大首絵には、ふてぶてしいまでの迫力を感じさせるもの。必死さ、緊張や恐怖の感情が看てとれる。顔を大きく描き、なおかつ身体の一部に動きをつけ、さらに縦長の構図に収めるのが写楽の大首絵。
 写楽は、二重まぶたや、まぶたの上のラインの描写を役者たちに施している。
 亡くなった役者を追悼して出される追善絵。これに対して、役者の死後すぐに出される絵を死絵という。
 蔦重は寛政の改革に際して、過料により身代半減という処罰を受けた。しかし、蔦重はめげることなく、逆に錦絵の分野でさまざまな趣向の作品を刊行していった。
 今も知られる一枚絵の名作は、むしろ写楽の処罰後のものが多い。蔦屋重三郎が亡くなったあとは、番頭の勇助が店を継承し、四代、幕末まで続いている。すごいですね。
 写楽の絵は、いつ見ても圧倒されて、思わず声が上がってしまいます。カラー図が楽しい写楽に関する文庫です。
(2024年9月刊。1340円+税)

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