弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2025年1月16日

まだ見たきものあり

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 永尾 広久 、 出版 花伝社

 父の帝都東京日記というサブタイトルのついた本です。
 著者の父は17歳のとき単身上京しました。大学に入るためではありません。従兄弟(イトコ)の伝手で、どこかの官庁に採用してもらうことに望みをかけてのことです。つまり、就職先が決まっていたのではなかったのでした。大胆といえば大胆、無鉄砲な気もしますが、ともかく百姓の長男でありながら、百姓が嫌で、田舎(大川市)を逃げ出したのです。それでも運良く、逓信省にもぐりこむことが出来ました。昭和2年(1927年)のことです。それから1934年まで7年間、東京にいました。
 この7年間というのは、日本も世界もまさしく激動の日々でした。なんといっても、日本は着々と戦争へと突き進んでいったのです。
 満州の関東軍は独断専行を繰り返します。1928年6月、張作霖を爆殺してしまいます。田中義一首相(陸軍大将)が天皇に「日本軍は無関係」と嘘の報告をして、天皇に叱責され、辞職してまもなく失意のうちに死亡。
 1932年1月には上海事変が勃発。日本軍が中国軍をなめてかかっていたところ、ドイツ軍事顧問国のテコ入れもあり、中国軍は頑強に抵抗し、日本軍は大苦戦を余儀なくされた。
政府は1928年2月、普通選挙を実施すると同時に治安維持法を施行した。特高警察による違法・不当な検挙が横行し、拷問も至るところで野放し。
 そして、治安維持法に死刑が導入され、「目的遂行罪」なる、とんでもない条項が追加された。
 茂青年は、逓信省で働きながら法政大学に通うようになった。そして、休日は映画をみ、また銀座で銀ブラを楽しんだ。初めは無声映画なので「カツドー」と呼ばれ、徳川夢声のような活弁が活躍していた。やがてトーキーになった。銀座には百貨店があり、カフェーが続々オープンした。
 軍人の横暴がひどく、政府要人や経済人が次々に暗殺された。
 法政大学では夜間の国語・漢文科から、昼の法律学科に移り、我妻栄教授の講義を受け、ついに高文司法科試験を受験するに至った。NHK朝ドラ「虎に翼」の主人公のモデルとなった三淵嘉子が受験する3年前のこと。
 当時すでに「受験新報」のような受験雑誌があり、茂は大いに参考にした。
 地下鉄争議は成果を勝ちとり、紡績工場の大きなストライキは会社と警察によって切り崩されてしまった。ターキー(水の江瀧子)たちの劇団員たちもストライキに突入した。
 茂は司法科試験に合格したら検察官になるつもりだった。というのも、弁護士は法廷で共産党員の弁護をしただけで治安維持法の目的遂行罪で有罪とされた。そして、裁判官のなかには「赤化判事」がいて、逮捕された。残るのは検察官という消去法の選択だった。大学教授も捕まり、華族の子弟も次々に検挙されていく。
 毎日毎日、目まぐるしいほど世の中は動いていたのです。それを日記風に再現した本です。この本にはとても信じられないエピソードが2つ登場します。
その1は、特高刑事が賭博罪で捕まり裁判になったとき、穂積重遠教授が法廷傍聴にやってきたら、裁判官が判決言渡しと同時に被告人の釈放を命じたうえ、傍聴席に向かって、「先生、これでよろしいでしょうか?」とお伺いをたてたということ。
その2は、警察署の留置場で看守たちが見守るなか、布施辰治弁護士の盛大な歓迎会がもたれたということ。歌あり、モノマネあり、踊りありのにぎやかさで、さすがの布施辰治も感極まった。
戦前の暗黒政治・社会のなかにも、こんなことがあったのですね...。
ぜひ、みなさん手にとってご一読ください。
(2025年1月刊。1650円)

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