弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2025年1月 7日
パリ十区、サン・モール通り209番地
フランス
(霧山昴)
著者 リュト・ジルベルマン 、 出版 作品社
もう久しくフランス、そしてパリに行っていません。ひところは毎年のように行っていました。パリ、リヨン、ボルドーそしてモンサンミッシェル、アヌシー、シャモニー、エズなど観光地にも行きました。もはや30年前のことになりますが、フランスに40日間いました。南仏のエクサンプロヴァンス大学での外国人向け夏期集中講座に参加したのです。大学の学生寮に3週間も暮らしました。独身貴族の気分をたっぷり味わうことができました。今はもうそんなことをする元気(勇気)がありません。なんでも思い立ったときにやっておくことだと、今になってつくづく思います(反省しているのではなく、やっておいて良かったという意味です)。
さて、この本に戻ります。パリはパリ・コミューンが戦われた舞台でもあり、この本でも少し紹介されています。
1870年、ナポレオン3世がプロシアに宣戦布告し、結局、敗北。そこで、パリ市民が決起し、市民軍(国民衛兵)がつくられた。そして、1871年3月、ついにコミューン評議会が成立し、パリを支配した。そこへ、ヴェルサイユ政府軍が攻撃を仕掛けてきた。最新兵器の前に市民軍は次々に敗退していく。このパリ十区でもバリケードが築かれ、激しい市街戦が展開したようです。
敗れた市民軍は次々に処刑され、ニューカレドニアを流刑地として流されたのでした。
1942年7月、ナチス・ドイツの支配するパリでユダヤ人狩りが始まった。実行したのはパリ警察で、フランス人警官が動いた。十区については、152の検挙班が組織された。
7月16日午前9時現在の逮捕者数は4044人。パリ十区の209番地では18人が逮捕された。ユダヤ人住人の多くが一斉検挙を免れた。
この本は109番地で生活していたユダヤ人一家の行方を丹念に追跡しています。意外なことに絶滅収容所に送られても戦後、生還した人がいました。
7月16日と17日に逮捕されたユダヤ人は1万3152人にのぼる。この冬期競輪場に7日間、閉じ込められたあと、各地にある収容所に送られた。
この状況を描いた映画を私は観ました。あまりにも悲惨な状況です。食事はなく、水も不十分。そして、トイレがない(圧倒的に足りない)広場に1万人以上も集められ、7日間を過させられたのです。想像するだけでも恐ろしい状況です。
そして移送列車に乗せられます。母は無理矢理子どもと離されたのでした。ひどい話です。ひどすぎます。ナチスはユダヤ人を人間と考えていませんでした。
一斉検挙のとき、幼い子どもは泣きださないように、口にアメ玉を押し込まれ、母親と同じベッドで息を潜めていた。それが生きのびた戦後、大人になって突然に思い出されたりする。思い出したくない過去だけど、つい現れてしまう過去の記憶というものがあるようです。
映画にもなっているようですが、そちらは観ていません。パリの一区画に住んでいた人々を追跡した貴重な労作です。
(2024年8月刊。3600円+税)