弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2025年1月 6日
戦場の人事係
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 七尾 和晃 、 出版 草思社
凄惨な沖縄の戦場を生きのびた軍曹(准尉)が、戦時名簿をもとに亡くなった兵士の遺族たちに、その最期の状況を伝えるべく全国を歩いたという実話です。
この元軍曹(石井耕一)は、新潟県で1913年に生まれ、1944年7月、3度目の召集で沖縄に配属されたのでした。野戦高射砲大隊の人事担当として勤務し、1945年6月、米軍の捕虜となり生きのびることができました。戦後は町の助役を6期24年つとめたあと、豊栄市長も4期16年つとめました。2012年2月、享年98歳で永眠。
著者は95歳の石井から話を聞き、戦時中に石井が作成し、本土に持ち帰った戦時名簿の現物を見せてもらいました。
捕虜収容所にいるとき、米兵と親しくなり日本刀が欲しいという米兵からジープに乗せてもらって、戦時名簿を埋めていたガマ(洞窟)に行き、掘り出したのです。缶に入れて防水の布でくるんでいたので、名簿や行動・死亡記録は無事でした。奇跡的な発見です。
遺族に手紙を出すと、届かない人もいたけれど、届いた遺族から最期の様子を聞きたいという申し出があったりした。
あるとき、遺族は、帰り際にこう言った。
「そこまで家族のことを思っていてくれたのなら、なんで、何としてでも生きのびてくれなかったのでしょうか...」
いやあ、遺族の言いたいことは分かりますよね、でも、沖縄の戦場はそれを許さない厳しさだったのです。石井が生きのびたのは、ただ運が良かっただけでした。沖縄戦で、日本兵は米軍の本土攻勢を少しでも遅らせるよう死守せよと厳命されていたのですから...。
沖縄に上陸した米軍は18万3000人で、艦船1500隻が一気に押し寄せた。
この沖縄戦では、指揮していたバックナー中将も1945年6月18日に日本軍の砲弾があたって戦死しています。それほどの激戦だったのです。
貴重な記録がよくぞ残ったものです。そして、それを掘り起こした著者にも敬意を表します。
(2024年8月刊。1870円)