弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2025年1月 4日

山田洋次が見てきた日本

社会


(霧山昴)
著者 クロード・ルブラン 、 出版 大月書店

 寅さん映画(『男はつらいよ』)の第1作は私が大学3年生のとき上映されました。大学祭のとき、無料(タダ)でみることが出来ました。それ以来年に1回から2回、ずっとみてきました。盆と正月の恒例行事でした。子どもたちが少し大きくなってからは、正月に家族でみる映画でした。弁護団合宿で飯塚の安い旅館に泊まっていると、ちょうど寅さんが沖縄で同じような安宿に泊まっている光景が出てきて、みんなで大笑いしたこともなつかしい思い出です。
 この本は、フランス人のジャーナリストが書いたもので、日本語訳はなんと770頁もある超大作です。当然、値段も高く9900円もします。まあ、しかし、寅さん映画、そして山田洋次監督の映画のほとんどをみてきた身として、読まないわけにはいきません。
 この本によると、寅さん映画は、そのときどきの日本の社会状況を正確に反映している記録映画の面もあるとのこと。なるほど、たしかにそうですね。その典型例が汽車(列車)です。今では廃線になっているところがいくつもあります。映画のなかでも、駅舎で寅さんとポンシュウが待っていると、いつまでも列車が来ないという場面(シーン)があります。もう廃線になってレールも取り払われているのに二人は気が付かなかったというのです。
 山田洋次監督は満州育ちです(生まれは大阪)。小学2年生のころの新京(現・長春)での写真が紹介されています。金持ちの、いかにも賢そうなお坊ちゃんです。ちなみに、祖父は柳川藩の武士の息子でした。
 この祖父は満州に渡って旅館業を営み、その稼ぎのおかげで息子を九州帝大の工学部に進学させることができました。そして息子である父親は満鉄に勤め、鉄道技師として働くのです。
 日本敗戦のとき、山田洋次は中学生で、学校でロシア語が必修になったので、ロシア語を勉強させられた。ところが、まもなくソ連軍は撤退し、八路軍がやって来た。
 そして、日本に引き揚げてきて、山口に住むようになった。苦学生として働きながら、東大を受験し、一浪して東大に入学します。法学部を卒業するのですが、学生のときには自由映画研究会に入っていて、松竹に入社するのでした。初任給は6000円。
 山田洋次は最下位の助監督として働くうちに、監督として大切なのは、その場のバランスを保つために十分な力を示すことができるかどうかだと理解した。
 野村芳太郎監督は、「映画なんてスタッフに任せておけば出来ちゃうんだよ。キミがつくるわけじゃない」と言った。周囲の人々の個性を尊重すると同時に、コンセンサスをつくりあげるように尽力すべきだ。そうしなければ、満足のいく作品はほぼ期待できない、ということ。山田組と呼ばれる親密なチームがあることで有名ですよね。スタッフの全員を山田洋次監督は知っていて、あだ名で呼んでいるそうです。
 山田洋次は30歳近くになって、ようやく監督に昇進した。ハナ肇を主役とする『馬鹿まるだし』を上映したところ、客が大笑いしているという知らせがあり、山田洋次も映画館に足を運んだ。すると、客がたしかに、予想もしなかったところで、わいわい笑っていた。これによって、山田洋次は松竹のなかで認められた。
観客を惹きつけるには、ユーモアとヒューマニズムが決め手になる。
 「現実が砂漠ならば、おれはオアシスを作るのだ」
 葛飾柴又は2018年に東京で最初の重要文化的景観に指定された。
 私は柴又には少なくとも3回は行っています。帝釈寺にも行きましたし、矢切りの渡しも見ています。
 近くに江戸川があり、寅さんはダンゴ屋に帰る途中、江戸川の土手を歩くのですが、実際には、これはありえないコースです。まあ、映画の見所(みどころ)をつくる場所として必要だったんでしょうね。
 柴又は狭い参道の両側に店が並んでいて、本当に草だんごを売っている店もあります。私も入って食べました。少し離れたところに寅さん映画の資料館があり、なつかしい情景が再現されています。
寅さんの叔父は、森川信、松村達雄そして下條正巳がつとめました。いずれも適役でした。叔母を演じた三崎千恵子は、私もNHKテレビで一緒に出演したことがあります。
 商品先物取引に騙されないようにという啓蒙番組です。九州・福岡で若い弁護士(私のことです)が取り組んでいるというので、東京から声がかかったのでした。1回目は全国生(ナマ)放送で、2回目は、ミニ・コントつきで録画でした。このミニ・コントに三崎千恵子が出ていて、私が弁護士としてコメントしたのです。いい思い出です。
 『男はつらいよ』は、第5作が最終作になる予定でした。ところが、1970年の「望郷扁」が70万人の観客動員だったので、松竹がもうけられると思って続扁がつくられることになったのです。
 渥美清の父親は小さな新聞社の政治記者、母親は代用教員で、裁縫の内職もしていた。
 チャップリンとチャーリーという有名な例を除いて、渥美清と寅さんという、役と俳優がこれほど一体化したことはない。
 『男はつらいよ』は、幾度となく200万人以上の観客動員を達成しました。信じられませんが本当です。映画館は満員、そして爆笑に次ぐ爆笑なんですが、ついしんみり、ホロリともさせられて...。
 『男はつらいよ』には、まさに日本の庶民が描かれている。人を愛し、自由を愛する寅さんの信条が、日本人の心をわしづかみにした。
 『男はつらいよ』は日本人にしか分からない。ガイジンになんか、その良さが分かるはずはない。そんな思い込みを完全にノックアウトしてしまう大作でした。
 毎週日曜日の午後、行きつけの静かな喫茶店で読みふけりました。楽しく充実した、濃密な、至福の時間を与えてもらったことを著者に感謝するばかりです。
(2024年9月刊。9900円)

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