弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2024年12月26日
もう一度!近現代史
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 関口 宏 ・ 保阪 正康 、 出版 講談社
戦前の日本は三つの大きな過(あやま)ちをおかした。その一は、統帥(とうすい)権の名のもとに軍事が政治の上に立ったこと。その二は人間の命を戦争の道具として使ったこと。特攻隊や「玉砕」がその大きな例。その三は、戦争を国家の事業と考えたこと。
私も、この三つの指摘に同感しています。今、日本は戦争に備えるという口実で、大々的に軍事予算を増やしています。5年間で43兆円という気の遠くなる莫大な軍事費です。これまで5兆円をこえるというのに大騒ぎしていたのがウソのように、今では年8兆円といってもまあ、そんなものか、仕方ないなという雰囲気です。これでは福祉や教育予算が削られるのは必然です。でも、戦争にならないようにするのが政治家の最大の任務のはずです。
軍部と軍需産業が癒(ゆ)着し、大威張りだった戦前の状況に戻ったら大変です。そんな日本にならないよう、戦前の日本にたどった道を振り返って、そこから大いに学ぶ必要があると思います。
日本の陸軍は、中国軍なんて弱いもの、いくらか日本兵を派遣したら一撃で屈服させられるものと錯覚していた。上海事変が、その典型ですよね。実際には、中国軍はドイツ軍人の顧問団によって訓練され、最新兵器も備え、しかも士気旺盛だったのです。日本軍が慣れないクリーク戦で大苦戦したのも当然でした。
東条英機は関東軍の参謀長だったことがあります。そして、東条と反目していた石原莞爾が、その下に参謀副長になったのでした。
二人は互いにまったく口をきかなかった。 その後、東条英機は陸軍大臣になって「戦陣訓」を発表した。石原莞爾は、「こんなものは読む必要がない」といって、開封もせずに倉庫に収納させた。いやはや、すごい反目ですね。結局、石原莞爾のほうが予備役に追いやられてしまいました。
日本軍は中国大陸での泥沼の戦争にひきずり込まれ、総数129万人のうち、90万人をこえる将兵を中国大陸に置いていた。満州からは精鋭の師団が沖縄をふくめ南方に送られ、次々に敗北の道をたどりました...。
名門中の名門である近衛文麿は優柔不断で決めきれない男だった。
松岡洋右は諸突猛進で、また言うことがくるくる変わる男だった。
アメリカの暗号解読の能力は大変なものがあったようです。山本五十六元帥の撃墜もミッドウェー海戦の失敗も暗号で内情を知られていたことで起きた悲劇でした。
天皇の弟宮で陸軍にいた秩父宮、海軍にいた高松宮も東条英機に強い反感をもっていた。秩父宮は、東条英機に対して、3度も詰問状を送っている。
日本がなぜ戦争に敗れたのか、きちんと知ることは大切なことだと私は思います。それは自虐史観なんていうものでは決してありません。
(2022年4月刊。1980円)