弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年12月20日

法廷弁護士

アメリカ


(霧山昴)
著者 リチャード・ズィトリン 、 出版 現代人文社

 サンフランシスコに住み、40年以上活動している弁護士が自らの活動を振り返っている本です。
 アメリカでは裁判官は弁護士のなかから指名または選挙によって選任される。カリフォルニア州では、裁判官の候補者は、弁護士会および知事所轄の委員会の審査を受けたあと、知事によって指名される。
 アメリカの実態は、その司法制度は、全体として、社会を性格づけている不平等にみちあふれている。大多数の被告人は貧乏であり、かつ、圧倒的に有色人種である。黒人が白人よりも重い刑罰を受けていることは疑問の余地がない。
貧困であるほど保釈される可能性は少なく、事件が係属中、身柄は拘束されたままで、身体の自由を求めるあまり、有罪の答弁をする圧力にさらされる。
 有罪の答弁は、しばしば有罪後の保護観察や仮釈放制度へとつながることを意味する。
法廷弁護士はストレスに満ちた仕事である。
 陪審裁判はまったくの重労働であり、休日なしで16時間労働ということもよくある。
弁護士の自信過剰な傾向にもかかわらず、多くの法廷弁護士は、勝利の喜びのために長時間働いているのではない。そうではなく、敗訴の恐怖から逃れるために働いている。
 この本のなかに、「17ヶ月間を事実審理に要し、陪審員の評議は100日を超えた」(67頁)という記述があります。事実審理が1年半かかるのは、日本人の弁護士にとって何ら驚くことでもありませんが、陪審員の評議が3ヶ月以上もかかったというのはまったく想像できません。評議の秘密、そして生活・仕事の補償はどうなるのでしょうか...。
 日本とアメリカの法廷の違いの最大は、日本で被告人尋問は当然ありますが、アメリカではほとんどないらしいことです。この本でも次のように記述されています。
 多くの被告人は証言台に立つことを望む。しかし、被告人が証言台に立つのは例外に属する。著者の場合は、わずか2件のみとのこと。陪審員は、常に被告人から直接話を聞きたいと願っている。しかし、被告人が自らを弁護するため証言台に立つことは、自己に都合のよい弁明とみなされ、いろんな意味で、本人の証言は簡単に瓦壊してしまう。
 多くの場合、依頼者の側から見た「真実」は、結局のところ、「警察官が書いた報告書ほどには重要ではない」というのは紛れもない事実である。弁護人は手持ちの道具で弁護する。その道具が警察官の書いた報告だけであることは珍しくない。
 もっとも重要な教訓の一つは、良い弁護士というのは強さにもとづいて裁判をするのではなく、弱さにもとづいて裁判をするというもの。とくに刑事事件ではそうだ。
 アメリカでは、冒頭陳述は、最終弁論とは異なって、事実にもとづくこととされている。
この本には、ひどい裁判官にあたったとき、どう対処したかも紹介されています。それは日本もアメリカも同じようです。原則にしたがい、法律的に筋の通った主張なら、恐れることなく行動すべきだということです。
この本の訳者は刑事法分野で有名な村岡啓一弁護士です。
(2024年11月刊。5500円)

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