弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2024年12月12日
吾妻鏡
日本史(鎌倉)
(霧山昴)
著者 藪本 勝治 、 出版 中公新書
「吾妻鏡(あずまかがみ)」は鎌倉幕府の歴史を詳細かつ生き生きと記録している。しかし、実は、これはすべてフィクションであることが今では判明している。
ええっ、そ、そうなんですか・・・。誰が、いったい、何のために、虚構のストーリーを考えたというのでしょうか。それを解明している本書の著者は、なんとかの有名な灘(なだ)中、高校の教員なのです。さすが灘の教員のレベルの高さに恐れ入ります。
徳川家康も「吾妻鏡」の愛読者の一人だった。
「吾妻鏡」は、一見すると正式な記録のようだが、実は意外に杜撰(ずさん)である。有名な以仁王(もちひとおう)の令旨や義経の腰越状も偽文書の可能性が高い。
「吾妻鏡」は、北条貞時による得宗(とくそう)政権がいかに正当なものであるか、いかに絶対的なものであるかを、歴史的に裏付けるための過去像を創出した物語である。
そもそも貴族と武士とは対立関係でとらえられるものではなく、幕府のアイデンティティは、貴族社会の中心たる王権を守護することにあった。
「吾妻鏡」の主眼は、京都に対する東国の主張というところにはなく、あくまで得宗家の歴史的正当性を裏付けるところにある。
頼朝が以仁王の命により挙兵したというのは虚構である。頼朝の挙兵は、清盛に幽閉されていた後白河院の密命によるもの。そして、義経が頼朝の同意を得ずに任官したというのも「吾妻鏡」の創作で、実際には頼朝の合意があったと考えられる。
頼朝の妻・北条政子が嫡男・頼家を産むと、北条時政にとって義経は鎌倉殿の外戚になるうえで邪魔な存在となっていた。
頼家が頼朝を継いで鎌倉殿になったが、この二代目将軍の評価は低い。しかし、実のところ頼家は有能で意欲的な政治家だった。訴訟も論理的かつ公平に裁許していた。
そして、梶原景時は頼家政権にとって不可欠の有能な幕臣だった。
これを此企能員(よしかず)と北条時政が危惧し、協力して追い落としたと考えられる。
「北企(ひき)氏の乱」と呼ばれる事件の実態は、むしろ「北条氏の乱」というべきもの。自家のため、北条時政が此企能員を謀殺し、北条政子が我が子・頼家を押し込め、北条義時が一幡・頼家を暗殺したというもの。
このとき、一幡が廃され、実朝が将軍に就いたことこそが、その外戚の北条氏の立場を確立させ、執権政治そして得宗専制の時代を導いた転換点であった。
和田義盛が挙兵し、結局、討たれてしまった「和田合戦」は、侍所と政所の別当を兼ね幕府最高職としての「執権」という地位を誕生させた事件である。
三浦氏は北条氏に匹敵しうる強大な御家人であった。
すごいです。鎌倉幕府の内実をことこまかく分析し、認識していなければ、とても書けない詳細な記述に圧倒されてしまいました。
(2024年8月刊。1100円)