弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年12月 1日

筆の音

社会


(霧山昴)
著者 中山 伸 、 出版 大田文化の会

 東京都大田区で活動している民主的な人々が創立46周年を記念して発行した本です。私が大学生のころ川崎セツルメントに所属して活動していたときの先輩(太田政男さん)から贈呈されました。
 今は亡くなられた人を含め、有名人がずらり並んでいて壮観です。
 まずは、マルセ太郎(2001年1月22日没、67歳)。私は直接、その劇を見聞きしたことはありませんが、映画「泥の河」をひとり舞台で演じたのは圧巻でした(と聞いています)。50歳すぎまで売れなかったそうです。でも、最後は華々しい活躍でした。
 そして、井上ひさし(2010年4月9日没、75歳)。私のもっとも敬愛する作家です。「知の巨人」、「稀有(けう)の文豪」という評価に、まったく偽(いつわ)りはありません。
 井上ひさしの人生は、「言葉」で時代や世の中と真剣勝負をしつづけた生涯だった。日本語の素晴らしさを身をもって示した人間だった。何事も笑いに変える能力にたけた人間だった。これは畑田重夫の井上ひさしの評言ですが、ずばりそのとおりです。
 そして永井智雄(1991年6月17日没、77歳)の名前に久しぶりに接しました。NHKテレビ「事件記者」の相沢キャップ役が大当たりでした。私が小学生のころに観ていた、なつかしい番組です。いかにも知的で、いつだって物事を深く考えようとする表情・姿勢がとても印象深く残っています。この本を読んで、戦前から劇団員として活躍していて、召集されて兵隊にもとられていたことを知りました。戦後は、劇団員、俳優として活動しながら、革新懇話会などでも活躍していたのですね...。
 そして、映画「ドレイ工場」です。大学生のころに観た映画です。「男はつらいよ」では倍賞千恵子の夫役の前田吟が主役を演じました。志村喬が社長を演じています。
 この映画の苦労話として、ギャラが日給制だったということが紹介されています。すべてのスタッフ・キャストが1日3500円から2000円までの日給制だったなんて、信じられません。
 そして、撮影はすべてオールロケ。12ヶ所でロケした。エキストラも、のべ2700人。1968年に始まった上映運動は150万人の観客動員を成功させた。いやあ、すごい映画でしたし、迫力がありました。いまの日本でも、労働組合は労働者の生活を守り、権利を伸ばすために不可欠なものだということを広めるため、ぜひ見てほしい映画です。
 いま、アメリカでもヨーロッパでも、労働組合運動が盛り上がっていて、どんどんストライキをやっていて、成果を勝ちとっています。今どきストライキをやっていないのは日本くらいです。委員長に人を得て(連合の芳野女史のような自民党べったりのダラ幹部ではなく、資本家と対等にわたりあえる人)、若者を広く結集して活動しているのです。
日本だって、出来ないわけがありません。投票率53%という低すぎる壁を打ち破る力が労働組合にはあると確信しています。
(2024年9月刊。2000円)

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2024年12月 2日

体内時計の科学

人間


(霧山昴)
著者 ラッセル・フォスター 、 出版 青土社

 私たちの身体は、しかるべき時間と場所において、適量の最適な資源を確保する必要がある。体内時計は、このニーズを予期することができる。体内時計は、単に時間を知らせるだけでなく、時間の予測や、少なくとも環境内の規則的な出来事の予測を可能にする。
 睡眠中に記憶のほとんどが確立され、問題が解決され、情動が処理される。さらに、日中の活動で蓄積された有害物質が除去され、代謝経路が再構築されてエネルギー貯蔵庫のバランスがとられる。逆に、十分な睡眠がとられなければ、脳の機能、情動、身体の健康はすべて、すぐに混乱をきたす。
 異常な睡眠は、心臓疾患、2型糖尿病、感染症、がんを引き起こしやすくする。
 睡眠は、目覚めているときの生活能力を規定し、睡眠不足や睡眠における概日リズムの混乱は、健康全般に甚大な悪影響を及ぼす。
 平均的な人間の脳には、86億本のニューロンがある。そのうちの5万本のみが、24時間周期の概日リズムを調整する「マスター生物時計」として、連携しあいながら機能している。
 この「マスター時計」は、視交叉上核(SCN)」と呼ばれる脳の部位に存在する。SCNには5万本のニューロンが含まれており、注目すべきことに、それらのおのおのが独自の時計を備えている。SCNは哺乳類における「マスター時計」ではあるが、唯一の時計ではない。おそらくあらゆる身体器官や身体組織の内部に時計が存在している。
 人間はノンレム睡眠中も、レム睡眠中のどちらにも夢を見る。しかし、レム睡眠中の夢は鮮明で、長く続き、複雑怪奇である。目が覚めても、しばらくは最後の夢を覚えていることがある。
 人間は、全人生の36%を睡眠に費やしている。睡眠とは、個体がうまく適応できていない環境内で活動することを避ける、身体的な不活動の時期を指す。この時期に、活動期に最適な結果が得られるようにする一連の基本的な生物学的活動が実行される。
 人間を含むほとんどの動植物において自己の概日リズムを昼夜のサイクルにあわせる、つまり「引き込む」ときのもっとも重要なシグナルは、光、とりわけ日の出時と日没時の光である。
 時差ボケは、睡眠と概日リズムの混乱をSCRDという。SCRDは、コルチゾールが関与する、さまざまな健康リスクを高める。
 不適切な睡眠はSCRDの重要な特徴である。交替勤務の年数、交替の頻度、1週間あたりの夜間勤務時間が増えれば増えるほど、がん発症のリスクは高まる。夜勤とがんの相関関係は非常に強い。
 年長者はコルチゾールのレベルが高く、そのためSCRDの影響を受けやすい。そして、それがストレスの増大、認知能力の低下、さらには記憶を司(つかさど)る脳領域の縮小につながっていく。
 天才として高名なアインシュタインは、夜の睡眠時間は10時間、そして日中は規則正しい生活を送っていました。天才の脳を動かすのには、夜の10時間の睡眠が必要だったというんですが、とてもマネできません。私は、7時間の睡眠と、ちょっとした「昼寝」を大切にしています。睡眠はとても大切にしています。ともかく睡眠不足では頭がまわらなくなるからです。
でも、アインシュタインのように10時間を確保しようとは考えていません。もちろん、天才ではありませんし...。
(2024年8月刊。2800円+税)

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2024年12月 3日

ドキュメント・民営刑務所

アメリカ


(霧山昴)
著者 シェーン・バウアー 、 出版 創元ライブラリー

 2020年に発刊された「アメリカン・プリズン」が改題し、文庫本になりました。
 アメリカのジャーナリストが刑務官として民営刑務所で働いた4ヶ月間の体験が生々しく語られています。刑務所内に隠しカメラとマイクを持ち込んだのです。
 アメリカの刑務所や拘置所に入れられている人は220万人(2017年)、過去40年間で500%の増加率。アメリカの人口は世界の総人口の5%しかないのに、囚人数では全世界の25%を占めている。そして、150万人の受刑者(拘置所の収容者70万人を除く)のうち、民営刑務所に13万人が収容されている。
 アメリカでは、8万人が独房に入れられている。そのなかには10年以上、20年以上も独房で生活させられている囚人がいる。
 アメリカの歴史の大半を通じて人種差別と人の自由を奪うことと、利益の追求とは常に結びついている。奴隷制が廃止されたあとは刑務所の囚人がそれに代わった。
潜入取材をしたのは、ウィン矯正センター。警備が中程度の刑務所のなかではアメリカ最古の民営刑務所。経営する会社、CCAのCEOの年収は400万ドル(2018年)。
 潜入取材の用具として、録音機付きのペン、そして蓋の部分に小型カメラが仕込まれたステンレスの保温マグを持ち込んだ。結局、4ヶ月間、バレることはなかった。
刑務官の心得。囚人としゃべりすぎないこと。囚人は、刑務官の性格や反応を探っている。
 刑務官には精神力が大切。
CCAは受刑者ひとりにつき、1日34ドルをもらっている。州の運営する刑務所では受刑者ひとりにつき52ドルの費用がかかっている。
CCAは売上高18億ドルで、2億2100万ドルの純利益を計上した(2014年)。
州にとっては民営刑務所にすれば15%もコストが低い。ところが、逆に公営刑務所のほうが14%だけ安上がりだという調査結果もある。結局、民営刑務所は、実は、それほどの費用節約にはならない。
働いている刑務官の大多数はアフリカ系黒人で、その半分以上が女性、そして多くがシングルマザー。
 監獄はジェイルで、刑務所はプリズン。
刑務所内では自殺未遂は処罰できない。しかし、自傷行為と認定すれば処罰は可能となり、CCAは受刑者に損害の回復を求めることができる。
 刑務所は白人の優越性を脅かすものではなく、むしろそれを後押しするものだ。
民営刑務所では囚人の更生よりも収益性が重視される。これは、どこでも同じこと。
 平均で3分の1の刑務官がPTSDに悩まされる。刑務官の自殺率は一般市民より2.5倍も高い。刑務官の寿命は短い。
一般的な刑務所では、医療費が人件費に次いで多い。ルイジアナ州の刑務所は予算の31%を医療費に充てている。カリフォルニア州の刑務所では、予算の31%を医療費が占めている。というのも、ウィンの受刑者の40%が糖尿病・心臓病そしてぜん息などの慢性疾患をわずらっている。
 全米で、男性受刑者の9%で、獄中で性的暴行被害を受けている。実際には、もっと多いとみられている。ゲイの受刑者の3分の1以上、トランスジェンダーの受刑者の3分の2が刑務所で性的暴行を受けた。刑務所での性的被害の訴えの半分近くに職員が関与している。
民営刑務所は、公営刑務所より受刑者どうしの傷害事件が28%も多い。また、民営刑務所の受刑者は、公営刑務所の受刑者の2倍近く武器を持っていた。
 奴隷と同じく囚人も金もうけの手段になっているのですね。大きく目を見開かされる本でした。
(2024年8月刊。1300円+税)

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2024年12月 4日

奪還

日本史(戦後)


(霧山昴)
著者 城内 康伸 、 出版 新潮社

 日本が敗戦した1945年夏、朝鮮半島には70万人の日本人がいた。そのうち北朝鮮には25人、それに満州からの7万人の避難民が加わった。南朝鮮に進駐した米軍は日本人を早朝返還方針をとり、日本人45万人の引き揚げ作業は1946年春までにほぼ完了した。
 ところが、北朝鮮では違った。進駐したソ連軍は、38度線を封鎖し、南朝鮮への移動を許さなかった。北朝鮮での栄養失調と劣悪な環境下に置かれた日本人は発疹チフスなどのため次々に死亡し、地域によっては6人に1人が死ぬ惨状となった。その苦境に置かれた日本人を北朝鮮から大量脱出させるのに活躍した日本人がいた。それが松村芳士男(ぎしお)だ。この本は、松村の経歴と苦難にみちた活動状況を刻明に追跡し、復元しています。貴重な記録です。
松村は、当時34歳、日本では労働運動していて、治安維持法違反で2度も検挙された、元左翼活動家だった。
松村が直接・間接に脱出を援助した日本人は6万人に達するとみられている。
 日本敗戦時、日本政府は食料不足の状況にあるから、海外からの引揚者が急増するのは避けたい気持ちが先に立ち、できる限り現地にとどまり、引き揚げを遅らせようとした。しかし、南朝鮮に進駐した米軍は日本人全員を早期送還する方針だった。それには朝鮮人にある激しい反日感情を踏まえていた。
 松村義士男は、1911(明治44)年12月に熊本市で生まれた。私の亡父は明治42年の生まれですから、ほとんど同世代です。亡父は一度、応召したものの、中国大陸で病人となって本土に送還されて命拾いしたのでした。
 松村は大阪そして北九州で労働運動をしていて、1936年12月に特高警察に検挙された。そして、1940年に朝鮮に渡り、北朝鮮(咸興)に住んだ。戦後、松村は咸興市に「朝鮮共産党咸興市党部日本人部」の看板を掲げて活動を始めた。
 北朝鮮にいた日本人は次々に倒れていき、死亡者は1946年春までに2万5千人に達した。うひゃあ、これは多いですよね...。
 日本人の置かれている窮状を目の当たりにして、松村たちは動いた。集団脱出の方法・経路を考えた。在留邦人(日本人)の惨状に接していた朝鮮当局は日本人が南下するのはやむをえないと黙認した。
 当初は、試験的な鉄道輸送であり、1日30人だった。それが、50人、100人と増やしていった。そして、ソ連軍に陳情し、日本人4000人の疎開命令を出させた。
 しかし、鉄道輸送だけでなく、徒歩で38度線を越えて南下しなくてはいけない。それがまた大変だった。次に、海路での脱出が試みられた。
 コレラが流行しはじめたことから、日本人の移動、南下に再び制限がかかった。
 なーるほど、ですね。アメリカ軍が日本人の南下を防止しようとしたのでした。
 日本のなかにも、北朝鮮の要請にこたえて残留し、産業振興に力を貸そうという技術者もいた。
 「このまま冬を迎えたとき、日本人の命を保証することができるのか?」
 松村たちは、ソ連や朝鮮の関係機関に詰め寄り、日本人の一斉帰還を強く訴えた。
 ソ連軍や朝鮮当局のなかに、技術者を除いた一般の日本人は帰国させて良しとする認識が広まっていた。
 いやあ、こんな取り組みがあったのですね、そして、松村という人物が仲間と一緒に取組を成功させたのです。すごい活躍ぶりです。
 松村は戦後の日本ではあまり恵まれなかったようです。朝鮮では「引き上げの神様」とまで言われたのに、戦後しばらく宮崎県延岡市で工務店を経営していたものの、突如、姿を消し、大阪で病死したようです。
 まあ、それはともかくとして、朝鮮半島の北半分から日本へ帰国するときの苦労がよく掘り起こされていました。
(2024年10月刊。1900円+税)

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2024年12月 5日

大阪・関西万博「失敗」の本質

社会


(霧山昴)
著者 松本 創 、 出版 ちくま新書

 維新の会の「目玉商品」だった関西万博の「失敗」は今から目に見えていますよね。多くのマスコミが万博盛り上げに必死になっていますが、国民のほとんどは冷ややかです。
 この本は、どうして万博が「失敗」必至なのかを具体的な事実をあげて論証しています。
この「失敗」で泥をかぶるのは維新の会ではありません。私たちの納めた税金がその穴埋めに使われるのです。維新の会が国からもらっている巨額の政党交付金をそっくり充ててもらいものです。
 イメージ・キャラクター「ミャクミャク」って、本当に奇怪な姿と形をしています。万博自体がつかみどころがないのを体現しています。
維新の会の新しい代表になった吉村知事は、万博とIRによって大阪成長の起爆剤とすると豪語してきました。でも、このIRって、要はカジノを主体とする大型の公営ギャンブル場です。そんなのでもうけようなんていうのは愚策の最たるものです。そして、たくさんのギャンブル依存症の人々を生み出し、社会不安を増大させることになります。ひどい話です。
 万博がはじまったら、ピーク時には夢洲には1日22万人もの来場者が見込まれている。ところが、夢洲へのルートは2つだけしかない。夢舞大橋と、夢咲トンネル。大地震が起きたら、夢洲に取り残された15万人もの人をこの2本(橋と海中トンネル)だけで避難・脱出させることになっている。本当に、そんなことが出来るのだろうか。
 夢洲の地盤は、粘土層と呼ばれる弱い地層が20数メートル堆積しているので、40~50メートルという長い杭を打つ必要がある。杭の長さだけで、15階建てのビルの高さぐらいある。その上、地上部分には3階程度の建物しか建てられないので、非常にバランスが悪い。掘削制限があるので、地下室はつくれない。
 夢洲には埋立にヘドロが使われているので、そこからメタンガスが発生してくる。それが爆発してしまう危険がある。
 関西万博には電通が関わっていない。というのは、オリンピック汚職に電通OBが関わり、逮捕・起訴されたから。同じく吉本興業も関西万博にそれほど深く肩入れはしていない。
 関西万博には「哲学」がなく、素人集団が動かしている。これでは失敗しないほうが不思議です。
関西万博の会場設計予算は1250億円だったのが、今や2倍の2350億円にふくれ上がっている。そして、来場者を「2800万人から3000万人」と見込んでいた。
 しかし、現実には、これまでの世界の万博の入場者は2000万人ほど。3000万人近くになることには無理がある。
今どき、高いお金を払ってまで万博を見覚してこようという奇特な人や家族がどれだけいるものでしょうか...。
 メタンガスがぶくぶく吹き出し、爆発するかもしれないという旧埋め立て地の会場。大地震が発生したら、2本のルートでしか逃げることが出来ず、大勢の取り残される人々が出てきてしまう夢洲...。本当に怖い話ばかりです。
 身を削る改革と言いながら、税金からなる巨額の政党交付金を削減しようともせず、今なお「都構想」にしがみついて、自分たちの野望の実現に狂奔する維新の会...。もういいかげん万博なんてムダづかいは止めてください。そんな叫び声を上げたい気分です。またまた維新の会の正体を見てしまった思いのする本です。
(2024年8月刊。990円)

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2024年12月 6日

ハマスの実像

中近東


(霧山昴)
著者 川上 泰徳 、 出版 集英社新書

 2023年10月7日、イスラム組織「ハマス」の武装メンバーがイスラエル南部で開かれていた音楽イベントを襲撃した。260人が殺害されたという。
 これに対するイスラエルの反撃がガザ侵攻です。すでにガザ地区では4万4千人が死亡、その半数は戦闘員ではない女性と子どもたちです。本当にむごいことです。
 私はハマスのこの襲撃を絶対に許すことはできません。と同時に、イスラエルの大々的な軍事作戦も許せません。イスラエル軍は直ちにガザ地区から撤退すべきです。
 この新書はハマスの実体に迫っています。
 ハマスには政治部門と軍事部門があり、政治部門にはガザや西岸のパレスチナにいる政治リーダーと、パレスチナの外にいる政治リーダーがいる。ハマスの政治部門と軍事部門は出自が異なる。
ハマスの創設は1987年12月。ハマスとは、「イスラム抵抗運動」の単語の頭文字の3文字であり、アラビア語で「熱情」を意味する。
 最高指導者だったヤシーンは2004年3月、イスラエル軍のミサイル攻撃で殺害された。パレスチナ自治政府を占めていたファタハ指導部は腐敗していて、住民の支持を喪っていた。それに比して、イスラムの理念を掲げるハマスの堅固さ、経済的な清廉さ、行動の純粋さに住民の信頼があつかった。
パレスチナのムスリム同胞団は、非政治的な社会活動をしていたが、インティファーダを境として「ハマス」として政治闘争に参加するようになった。
 ファタハもパレスチナのムスリム同胞団から出ているので、ハマスとは同根になる。
イスラム大学はハマスの人材供給の機関となった。
戦闘員は自分たちのメンバーしか知らず、組織については何も知らないし、知らされない。
ガザの中で日常的に目にするハマスは、イスラム的な社会慈善組織。ガザには、イスラム協会、イスラムセンター、サラーハ協会という3つの社会慈善組織がある。この3つとも公的に承認され、ガザ全域に支部をもつなど、組織化され、サービスも充実している。これら慈善組織はハマスの政治・軍事部門の統制下にあるわけではない。
ハマスは潤沢な資金をもつ闘争組織。
ハマスの最初の自爆テロは1994年4月に起きた。
コーランは殺人も自殺も禁じている。なので、自爆は殺人ではなく聖戦、自殺ではなく殉教という。コーランは、「この世の生活は偽りの快楽に過ぎない」という。また、「現世の生活の楽しみは、来世に比べれば微少なものに過ぎない」とする。
宗教心の強い若者が自分で「殉教」を選ぶ。自爆者は、次第に高学歴化する傾向にある。今や半分近くが大学生。殉教者は神に選ばれた存在だと親たちは語る。
ガザ地区に入ってくる物資の9割は、エジプトから密輸のトンネルで入ってくる。南部のトンネルは全長1キロに達する。トンネルから入ってくる物資には、ハマスが独自に税金をかけ、ガザ自治政府の収入になっている。
もちろん、ガザ地区には、軍事用地下トンネルもある。
ガザ地区の若者たちは、物心ついたときから封鎖があり、働こうと思っても失業率が高く、そのうえ戦争が続いていて千人単位で人が死に、万単位で建物が破壊される。そのなかで何ら希望のない生活を送ってきた。そんなガザの若者たちの絶望を吸収したのがハマス。
希望を失っている若者に「殉教」という希望を与えているのは、ハマス軍事部門のカッサーム軍団だ。
重ねて、イスラエル軍がガザ地区から即時撤退するのを求めます。なにより停戦です。とても考えさせられる新書でした。軍事に軍事で対抗してもダメなんです。日本が軍備を大拡張しても日本人の安全と生活は守ることが出来るはずはありません。
(2024年8月刊。1050円+税)

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2024年12月 7日

住吉物語

日本史(平安)


(霧山昴)
著者 吉海 直人 、 出版 角川ソフィア文庫

 「平安貴族が夢中になったシンデレラストーリー」「紫式部、清少納言も愛読」
 こんなキャッチフレーズがオビについた本です。ええっ、何、なに、平安時代にシンデレラ物語があっただなんて嘘でしょ、信じられなーい。
 「住吉物語」と「落窪(おちくの)物語」は、どちらも10世紀に書かれたもので、「継子(ままこ)」いじめの物語というのが共通している。
 「住吉物語」は「源氏物語」に引用され、「落窪物語」は枕草子に引用されている。
「落窪物語」のほうは男性作家、「住吉物語」は女性作家が書いたとみられている。
 同じ継子いじめといっても、「落窪物語」は、あとで復讐しているのに対して、「住吉物語」では目立った復讐はされていない。
 継子いじめのストーリーでは、前提として母親が死んで、継母と同居するようになり、その継母には娘がいるけれど、継子(ヒロイン)のほうが美人で才能にも恵まれているので、それが継母は気に入らないという流れです。なるほど、そうすると、シンデレラ物語と確かに共通するとことがありますね・・・。
 御前(ごぜん)は、武士階級の妻に用いるもので、「女房」は中世、とくに近世以降に使われることになった呼び名。正妻は、北の方、本妻、嫡妻(ちゃくさい)と呼んだ。
 平安朝の貴族の子女には、必ず複数の乳母が付けられる。授乳期間が終わっても養君が成人しても、乳母は側についている。乳母と養君の結びつきは単なる雇用関係(主従)を超える強固なもの。ときに乳母は結婚相手の選定にまで関与している。つまり、貴族には、実母と乳母という複数の母がいた。
 「時の鐘」とは午前3時を告げる除夜の鐘のこと。この鐘は、夜をともに過ごした男女の「後朝(きぬぎぬ)の別れ」の時を告げるもの。乳母は養君に忠実に仕えるもの、そして、フツーの女房は、主人を裏切る心配がある。
 平安時代にラブストーリーそして復讐の話(ストーリー)があったとは、驚きです。
 まあ、騙されたと思って、あなたも読んでみてください。驚くほど似た展開なのです。
(2023年4月刊。1040円+税)

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2024年12月 8日

佐賀戦争、130年目の真実

日本史(明治)


(霧山昴)
著者 毛利 敏彦 、 出版 明治維新史研究会

 佐賀に行って出会った冊子です。いま、佐賀では江藤新平の見直しがすすんでいるそうです。そして、江藤新平が刑死することになった「佐賀の乱」も「佐賀戦争」と呼び名が変わりました。
 佐賀戦争は明治7(1874)年2月に起きた。5300人が出動した政府軍側の戦死者184人、負傷者174人。これに対して、佐賀士族の戦死者も173人、負傷者170人です。双方、同じくらいの死傷者が出ました。
そのきっかけとなったのは、佐賀士族が小野組を襲って官金20万円を略奪したとされている件です。-実は、県と小野組とのあいだでお金が動いたことはあっても、略奪されていないというのです。2月11日の電信で、「金みなある。安心すべし」と東京に知らされています。
 ところが、大久保利通は、土佐出身の岩村高俊を佐賀県の県令に抜擢(ばってき)して、熊本鎮台に兵を出させ、この兵を率いて佐賀県庁に乗り込み、江藤新平たちを呼び出したのです。いわば挑発したのでした。それに対抗して江藤新平たちは急に戦争準備を始め、ついに戦争が始まりました。
 要するに、大久保利通は岩村を鉄砲玉として利用して、江藤新平の抹殺を狙ったのです。なぜか...。
 大久保利通は、江藤新平のすぐれた能力・頭脳に対して異常な嫉妬心をもち、憎んでいた。三条実美・太政大臣も岩倉俱視右大臣も江藤新平に対して絶大な信頼を寄せていた。江藤新平が政府に復活したら、明治政府のトップは江藤がなり、薩摩閥はその下に扱われる心配がある。そこで、江藤新平は抹殺された。
また、このころ、民戦議院建白が動いていた。江藤新平は地元の佐賀に戻って、自由民権運動の組織をつくろうとしていた。大久保利通は、民選議院が設立されることを大いに恐れていた。うむむ、そうだったのですか...。
(2005年3月刊。非売品)

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2024年12月 9日

動物のひみつ

生物


(霧山昴)
著者 アシュリー・ウォード 、 出版 ダイヤモンド社

 人間は万物の霊長なんかでは決してない。そりゃあ、そうですよね。いつまでたっても人間が人間を殺す、しかも大量に殺す戦争が果てしなく続いていますし、むしろ拡大しています。そのうえ、地球の温暖化がすすんでいて、南極・北極の氷がどんどん溶けていって、ホッキョクグマの生息域を狭くしているのですから...。
 700頁もの分厚い本なので、昼寝の枕にするのにも、ちょっと高すぎかな...と、ついためらってしまいます。ところが、滅法面白くて、ついつい頁をめくる手が止まりません。といっても読み終えるのに、4日間もかかってしまいました。毎日曜日午後の楽しみにていたのです。そんな前口上はほどほどにして、ちょっとばかり内容を紹介します。
 同じネグラを共有するコウモリは、食事ができなかった者がいると、満腹になったコウモリが自分の飲んだ血の一部を吐き戻して、空腹のコウモリに与える。
 オキアミは1匹は人間の小指ほどの大きさしかないが、とてつもなく大量に生存していて、その全部をあわせた重量は、全世界の人間の全体重より重い。そして、このオキアミを、魚もイカも、ペンギンもアホウドリも、アザラシも巨大なクジラも、みな重要な食料としている。
 クジラの糞は、濃い雲のようなもの。鉄・リン・窒素などの栄養分が多く含まれ、植物プランクトンは、この栄養分を利用する。オキアミは、この植物プランクトンを食べている。
 ゴキブリは学習する。ゴキブリの種の数は5000にもなる。ゴキブリの集団には明確な階層がなく、リータンもいない。
アリとシロアリは、何百万年と戦い続けている。
 グンタイアリの女王は、わずか4日か5日のうちに、なんと30万個もの卵を産む。コロニーが50万匹を超えるころ、3年周期で、コロニーが二つに分裂する。
 地球には、100兆匹ものアリがいる。南極を除く、すべての陸地にアリはいる。
 魚は、身体に占める筋肉の割合がもっとも多い動物である。全体重の80%が筋肉。
ムクドリは大集団になって空を飛んでいるが、どの個も自分のそばの7羽ほどの個体の動きに反応しているだけ。それによって仲間同士が衝突しないように予防する。
 鳥たちにとって、上昇気流は、踏石、あるいは燃料補給基地のようになっている。
ニワトリの間には序列がある。ニワトリの序列は、一度決まったら、数ヶ月いや年数も続くことが多い。
 ニワトリを大集団で飼うこと自体が、ニワトリの自然な習性に反すること。
 ネズミは賢く、さまざまな環境に適応できる。ネズミの嗅覚は非常に鋭い。ネズミは用心深い動物でもあり、巧みに毒餌(エサ)を避ける。
 ネズミは、仲間が飢えていると、気前よく食べ物を分け与える。あれれ、これってコウモリもやっていましたよね。
 母親に大切に育てられた子どもたちは、穏やかな、精神のバランスの取れた大人になる。これは、50年も弁護士をしている私の実感でもあります。逆に言うと、親から見捨てられていると感じた子どもは大きくなってから、親と大人社会に復讐しようとする傾向にあります。
 ハダカデバネズミは、30年以上も生きるのが珍しくない、というように長生きする。
ハダカデバネズミは、ガンにならないし、皮膚には痛覚がない。ハダカデバネズミは糞をよく食べる。ワーカーが女王の糞を食べると、女性ホルモンによって、多くのエストロゲンが入ったとき、子ネズミたちにとっての良き代理母となる。なーるほど、ですね。
 全世界に10億頭以上もいるウシ(牛)の血流は、肥沃(ひよく)な三日月地帯にいた80頭のオーロックスにまでさかのぼれる。
 牛は個体の違いを見極めることが出来る。牛は、群れの仲間の顔を少なくとも50頭、識別できる。写真であっても見事に個体を識別できる。これは人間についても同じ。自分への態度の悪かった人間、美味しい食べ物をくれるなど良くしてくれた人も、きちんと覚えていて、区分できる。
 象の嗅覚は、とてつもなく鋭い。数十キロメートル先に水たまりがあると察知できる。象は10キロメートル離れた仲間の発する可聴可音を察知できる。象には驚異的な記憶力がある。
 シンガポールというのはライオンの街という意味。シンはライオンのこと。雄ライオンの全盛期は、わずか2年か3年。ライオンの雄も狩りをする。ただ、雌とは方法が違う。
 ハイエナの社会ではメスのほうがオスより攻撃的で、全体として優勢。最下位のメスですら、最高位のオスよりも地位が上。ハイエナが笑い声をあげるのは、恐怖を感じていたり、緊張しているという合図。
 ハイエナは標的とした動物集団をよく観察し、「こいつは弱い」と判断した標的をしぼる。
 クジラの子どもは、母クジラの乳を吸うのではなく、食べる。カッテージチーズのようになっているから。
 バンドウイルカには、高度で複雑な言語があり、絶えず近況を伝えあっている。
 著者はシドニー大学の動物行動学の教授。対象とする動物の幅広さ、そして、その認識の深さには驚嘆するばかりです。
(2024年4月刊。2200円)

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2024年12月10日

半導体有事

社会


(霧山昴)
著者 湯之上 隆 、 出版 文春新書

 熊本にTSMCが進出して、巨大な工場をつくりあげました。日本政府は1兆円でしたか、莫大な税金を投入しました。外国の営利企業にそんなに巨額の税金を投入していいものなんでしょうか...。著者は、それに批判的です。
 営利企業であるTSMCのために、日本の税金を使うのは、はっきり言って間違っている。TSMCの工場を熊本に誘致しても、日本の経済安保はまったく担保されないし、サプライチェーンも強靭(きょうじん)化されない。このように、土地、インフラ、助成金など、日本の税金を使うことは許されないと断言しています。
TSMCの熊本の工場でロジック半導体を生産する前工程は日本国内で行うとしても、マスク設計、製造と後工程は今までと同じく台湾で行われ、中国本土で最終製品に組み込まれることに変わりはない。中国の工場というのは、ホンハイという本社は台湾の会社がもっている工場のことで、そこでアイフォンなどのスマートフォンに組み込まれる。
 そもそも、半導体とは、演算するロジック半導体、データを保存するメモリ半導体、電気、音、光、温度、圧力などを処理するアナログ半導体に分かれる。このなかで、とくにロジック半導体の不足が深刻となり、今やTSMCが9割を占めている。
半導体は一国や一地域で閉じて生産できるものではない。TSMCの最先端技術なくして、最新のアイフォンも、高性能コンピューターも、AI半導体も、製造することはできない。
人類の文明の進歩は、TSMCの微細加工技術に大きく依存している。
 TSMCは、世界中のファブレスが設計しやすい世界標準の仕組みを構築した。つまり、TSMCは、受託生産専門だが、設計を制しているのだ。
TSMCの売上高の成長はすさまじいし、その営業利益率は50%に近い。売上高の半分が利益だ。
 EUVは、オランダの露光装置メーカーASMLLしか製造できない。
中国の半導体産業は、市場規模で世界最大だが、自給率が低い。
 日本は、この分野で、韓国に、技術でもビジネスでも負けている。日本は、過剰技術で、過剰品質をつくってしまう。
 昨年(2023年)4月に刊行された新書なので、事態はさらに変化しているとは思いますが、半導体をめぐる動向を少しばかり理解することができました。
(2023年12月刊。950円+税)

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2024年12月11日

日本のデジタル社会と法規制

社会


(霧山昴)
著者 日本弁護士連合会 、 出版 花伝社

 2022年9月、旭川市で開かれた人権擁護大会のシンポジウムの内容が本になりました。私もシンポジウムに参加していましたが、今や日本のデジタル化はすさまじいものがあります。SNSの活用(乱用)によって選挙のやり方まで大きく変わってしまいました。活字人間の私にはなかなかついていけませんが、黙って指をくわえて見守るだけではいけないと考えています。
大手IT企業が収集するスマートフォン(スマホ)の履歴から、個人情報が収集され、私たちは丸裸にされてしまっている。たとえば、グーグルテイクアウトの利用履歴から、自宅マンションの居住フロア、家族構成、年収、職歴、性別、年齢まで判断し、さらには仕事を転職し、体調を悪化させるという近い将来まで予測する。
 いやあ、これは恐ろしいことです。私は自分を誰かが管理するというのが本能的に嫌いですので、スマホは持たず、ポイントカードも使いません。どこで、いつ、何を買ったなんて知られたくないし、私の趣味・性向なども第三者に教えたくなんかありません。
 フェイスブック(FB)には、月間20億人のユーザーが1日あたり3億5000万枚の写真をアップロードした。これも実は2017年のデータですので、今はもっとすごい数字になっていることでしょう。
 同じことは電子マネーについても言えます。キャッシュレスは、個人情報の集積を促進するものでもあります。
 今では、外部から自動車のエンジンを切ったり、ワイパーを動かすことも出来る。
 そして、データを活用したら、選挙での投票行動に影響を与えることが出来る。この本でも、SNSによるフェイクニュースの拡散の恐ろしさが指摘されていますが、東京都知事選の石丸、衆院選の玉木、そして兵庫県知事選の立花と斉藤。恐るべきペテン師の横行に、身が震える思いです。
 中国ではAIによる信用スコアリングが普及している。中国ではキャッシュレス決済比率は8割近い(2018年)。そのほとんどがアリババグループのアリペイとテンセントのウィーチャットペイ。この2つでモバイル決済の9割を占める。社会信用システムは、顔認証技術と信用スコアから成っている。信用スコアによる評価を回避するのは、きわめて困難。この信用スコアは、第二の身分証のようなものになっている。信用スコアが低い人は、社会の下層で固定されてしまう。
世界には7億7000万台(2019年)の監視カメラがあり、うち54%が中国にある。2021年末には10億台をこえた。
顔認証システム搭載の監視カメラは、旧来型の監視カメラと情報の精度やボリュームの次元がまったく異なる。顔認証システムは、顔に着目した外形による生体認証の一種である。
 ジュンク堂書店は、万引き防止のため、顔認証システムで入店を検知している。顔認証システムも人がつくるシステムである以上、完全ではなく誤りを含む。
台湾では、故意・危害・虚偽の3要素がそろったときは、各省庁に設置された即応対策チームが60分以内に対策として正しい情報を発信することになっている。
 デジタル庁に対する国家予算は4720億円(2022年度)です。これは司法予算3222億円よりはるかに大きいのです。そして、いずれ8000億円の予算になるとのこと。うひゃあ...、です。
 マイナンバーカードの普及・宣伝のため国は1兆8000億円も使いましたが、笛吹けど、踊らず、でした。いつものように、一部の広告会社などに巨額の税金が流れこんだことでしょう。そんなお金があるのなら、大学の学費の無料化が実現できたはずです。
 SNSを規制することが簡単にできるはずもありませんが、現状のような野放しは、さすがにまずいと思います。それと同時に、選挙を金もうけビジネスにしている立花某については、やはりきちんと取締の対象とすべきと私は考えます。だって、「他人を当選させるために立候補しました。私には投票しないで下さい」と候補者が呼びかけるなんて、どうしてもおかしいでしょう。明らかに公選法の趣旨に反しています。
 このシンポジウムの実行委員長をつとめた武藤紗明弁護士(大牟田市出身)から贈呈していただきました。ありがとうございます。大変勉強になりました。
(2023年10月刊。2500円+税)

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2024年12月12日

吾妻鏡

日本史(鎌倉)


(霧山昴)
著者 藪本 勝治 、 出版 中公新書

 「吾妻鏡(あずまかがみ)」は鎌倉幕府の歴史を詳細かつ生き生きと記録している。しかし、実は、これはすべてフィクションであることが今では判明している。
 ええっ、そ、そうなんですか・・・。誰が、いったい、何のために、虚構のストーリーを考えたというのでしょうか。それを解明している本書の著者は、なんとかの有名な灘(なだ)中、高校の教員なのです。さすが灘の教員のレベルの高さに恐れ入ります。
徳川家康も「吾妻鏡」の愛読者の一人だった。
「吾妻鏡」は、一見すると正式な記録のようだが、実は意外に杜撰(ずさん)である。有名な以仁王(もちひとおう)の令旨や義経の腰越状も偽文書の可能性が高い。
 「吾妻鏡」は、北条貞時による得宗(とくそう)政権がいかに正当なものであるか、いかに絶対的なものであるかを、歴史的に裏付けるための過去像を創出した物語である。
 そもそも貴族と武士とは対立関係でとらえられるものではなく、幕府のアイデンティティは、貴族社会の中心たる王権を守護することにあった。
 「吾妻鏡」の主眼は、京都に対する東国の主張というところにはなく、あくまで得宗家の歴史的正当性を裏付けるところにある。
 頼朝が以仁王の命により挙兵したというのは虚構である。頼朝の挙兵は、清盛に幽閉されていた後白河院の密命によるもの。そして、義経が頼朝の同意を得ずに任官したというのも「吾妻鏡」の創作で、実際には頼朝の合意があったと考えられる。
 頼朝の妻・北条政子が嫡男・頼家を産むと、北条時政にとって義経は鎌倉殿の外戚になるうえで邪魔な存在となっていた。
 頼家が頼朝を継いで鎌倉殿になったが、この二代目将軍の評価は低い。しかし、実のところ頼家は有能で意欲的な政治家だった。訴訟も論理的かつ公平に裁許していた。
 そして、梶原景時は頼家政権にとって不可欠の有能な幕臣だった。
 これを此企能員(よしかず)と北条時政が危惧し、協力して追い落としたと考えられる。
 「北企(ひき)氏の乱」と呼ばれる事件の実態は、むしろ「北条氏の乱」というべきもの。自家のため、北条時政が此企能員を謀殺し、北条政子が我が子・頼家を押し込め、北条義時が一幡・頼家を暗殺したというもの。
 このとき、一幡が廃され、実朝が将軍に就いたことこそが、その外戚の北条氏の立場を確立させ、執権政治そして得宗専制の時代を導いた転換点であった。
 和田義盛が挙兵し、結局、討たれてしまった「和田合戦」は、侍所と政所の別当を兼ね幕府最高職としての「執権」という地位を誕生させた事件である。
 三浦氏は北条氏に匹敵しうる強大な御家人であった。
 すごいです。鎌倉幕府の内実をことこまかく分析し、認識していなければ、とても書けない詳細な記述に圧倒されてしまいました。
(2024年8月刊。1100円)

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2024年12月13日

ナチスに抗った教育者

ドイツ


(霧山昴)
著者 對馬 達雄 、 出版 岩波ブックレット

 ヒトラー・ナチスと戦い、刑死した教育者がいたのですね。私は知りませんでした。
 名前は、アドルフ・ライヒヴァイン。反ヒトラー市民グループの主要メンバーであり、ヒトラー暗殺が成功したあと、ナチス後のドイツの文部大臣に予定されていた。
 1944年7月20日、ヒトラー暗殺を企画した事件が起き、失敗した。同年10月20日、ライヒヴァインは国家反逆者として処刑された。遺体は焼却され、遺灰はばらまかれた。遺族に死亡を公にすることも禁じられた。享年46歳。
 ドイツの大学教師の3分の1がナチスによって職を奪われ、2000人以上が国外に亡命した。しかし、ライヒヴァインは国内にあえてとどまった。
ヒトラーは学校の教員が大嫌いだった。
 「教師になろうとする者は、独立した職業では成功がおぼつかないタイプの人間。他人の助けを借りず、自分の努力だけで成功をつかめると思う者は、まず教師になろうとはしない」
 これって、いかにも浅はかな考えですね...。
 ライヒヴァインは大学の教授職を奪われ、ベルリンから40キロ離れたところの小さな村(ティーフェンガー村)の農村学校の校長として赴任し、6年間つとめた。学童は40人前後。
学校は、毎朝、歌を歌いながらの体操から始まる。時間割はないけれど、数ヶ月間、一貫しておこなわれる総合的な「計画学習」が設定された。この「計画学習」には、村の祭りも組み込まれた。夏季の野外中心の自然学習。植物の内的循環の観察、動物世界の生態の観察、郷土の地形図作成もある。人形劇の制作と上演。そして、午後は、工作の時間。温室を大人(大工)の手伝いを受けながら、つくりあげた。その温室で植物栽培をし、観察したのです。
 もっとも注目すべきは、夏休み中の2週間もの大旅行です。これはすごいですね。自転車を使った旅行です。学童12人に大人が3人、付き添っての旅行です。
 貧しい家庭には、村役場が補助し、みな小遣い銭なしの旅行です。
 いやあ、これは、子どもたちにとって最高の思い出になったことでしょうね。
 干し草置き場で眠り、星空のもと徹夜でたき火をしながらの生活です。子どもたちは、それまで海を見たことがなかった。初めて見る海。そして、船に乗るのです。
 「地球は丸いことがよく分かります」と、感想文に書かれました。
 子どもたちに、開かれた世界への視野を育てようとした旅行でもありました。
 子どもたちは、興味の火花を点火されることで、学びを喜ぶ存在だとライヒヴァインは確信していた。いやあ、すばらしい教育実践をしていますね。
86頁の薄いブックレットですが、ライヒヴァインの子どもたちへの熱い思いがひしひしと伝わってきました。
(2024年9月刊。680円+税)

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2024年12月14日

きょう、ゴリラをうえたよ

人間


(霧山昴)
著者 水野 太貴(文) 、 吉本ユータヌキ(絵) 、 出版 KADOKAWA

 いやあ面白い、子どもって、ホント、天才です。
 私が一番気に入ったのは次のコトバ。お葬式で、お坊さんがお経をあげているのを見て...。
 「あのおハゲ、なんでわけわからないことを言ってるの?」
 「お坊さん」というコトバを知らない。でも、失礼のないように「お」をつけた。思わず笑ってしまいますよね、悪気のないことがアリアリですから...。
この質問に対して、「魂が天国に行けるようにしてるんだよ」と笑えると、「魂には足が何本ついてるの?」と子どもはさらに尋ねたとのこと。いやあ、鋭い質問ですよね。
 さて、この本のタイトル。何を植えたかというと...。パンジーです。なんでパンジーがゴリラになったのか。パンジーがチンパンジーになり、それを思い出せなかったので、サルに近いゴリラになったというわけ。連想ゲームもここまで来ると、たいしたものです。
 子どものころ、トウモロコシを「とうもころし」というのはよくある間違い。私の子どもは「ヘリコプター」を「へーくりっぱ」と言っていました。まあ、なんとか分かりますよね。
 「ひいばあちゃん、しんぱくないー!」
寒いの否定は寒くない。眠いの否定は眠くない。だったら、心配の否定は「しんぱくない」。「心拍ない」ではありません。
 「みず、いりたいです」
これは、水がほしいということ。「水がいる」と言ったので、ちゃんとお願いしなさいと言われて、「いる」に「~したい」がくっついて、「いりたい」になりました。なるほど、そうきたか...。
 「セミが鳴いているね」「セミさん痛いの?」
 鳴いているを泣いてると受けとめたのですね。
 「パパ、いらなかったよ!」
 これは家の中でかくれんぼをしていたとき、なかなかお父さんが見つからないので言ったコトバ。「いる」の否定なら、「いらない」。
 「また、よごれたラーメン、食べにこようね」
 このラーメンは、ドロドロしたこってり系のスープです。それを「汚れた」と表現しただけで、なんの悪気もありません。
子どもの言いまちがいには、コトバの本質が詰まっている。記憶のメカニズムのような認知能力も映し出している。
 思わず吹き出しながら一気に読んでしまいました。おかげで、ほっこりした気分に浸ったひとときになりました。おすすめの本です。
 
(2024年10月刊。1650円)

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2024年12月15日

ウォークマン、かく戦えり

社会


(霧山昴)
著者 黒木 靖夫 、 出版 ちくま文庫

 今ではソニーって、あまりパッとしない会社になってしまいました(今もありますかね...)が、かつてのソニーは、それこそ飛ぶ鳥を落とすほどの勢いがありました。そんなソニーの商品の一つが世界の話題を集めたウォークマンです。それまでのカセット・レコーダーと違い、録音できず、再生するだけの小型・ポケットタイプのものです。爆発的な人気を集めました。
 ウォークマンの原型ができたのは1978(昭和53)年11月のこと。売り出すとき、事業部は5万円にするというのを盛田昭夫会長は3万3千円にしろと注文した。ところが、今度は販売部門から反対の声が上がった。「録音もできない機械が売れるはずはない」という。
 そこで、売れるかどうか、中学・高校そして大学生を100人集めて視聴させた。すると、いける反応が出た。それで、2万台を売り出して市場の様子をみてみようということになった。
 さて、名前をどうするか...。はじめウォーキィ・ウォッチという案があったけれど、すでに登録されていてダメ。そこで、ウォークマンになった。しかし、これは英語ではない。ウォーキングマンにしたらどうか。いや、それは名前として長すぎる。
 そして、ついに1979年6月、ウォークマンが発売された。すると、人々は争って買い求めた。全国一斉といっても、実は、東京、大阪、名古屋だけで、7月1日から売りに出したが、反応が鈍い。ところが、8月に入ると急に売れだした。口コミと雑誌が紹介記事を書いたことによる。
小柳ルミ子そして西城秀樹が「明星」などでウォークマンとともにグラビアで紹介されると、品切れ店が続出した。そうすると、品切れ店続出が話題になって、みんなが買いたいという気になる。
ソニーは増産に次ぐ増産。そして、二代目のウォークマンが売り出されたのは1981(昭和56)年2月。ヘッドフォンが28グラムという驚異的軽さのものになった。
 1986年9月、ソニー・アメリカはアメリカで1000万台のウォークマンが売れたと発表した。1986年11月、ソニー本社は、2500万台のウォークマンが売れたと発表。1日1万台も売れたという、とんでもないヒット商品になった。
 1987年の1年間で、ソニーは850万台のウォークマンを生産、月産70万台になる。
 私ももちろんウォークマンを購入し、聴いていました。といっても、あまり音楽を聴く習慣はありませんので、フランス語の勉強を兼ねてシャンソンを聴いていました。私のお気に入りはパトリシア・カースです。フランス語の先生にそう言ったら、おっ、渋い趣味だなと驚かれてしまいました。今は、もちろんスマホ全盛時代です。スマホでは日本は遅れをとっているようですね、残念です。日本の技術力は、今のように大企業のなかも非正規社員ばかりだと伸びないということでもあるのでしょうね。同じ課で懇親会をしようとしても、非正規(パート、派遣など)がいろいろいて、出来ずに、結局、意思疎通が難しくなっていると聞きます。大企業の経営者が近視眼症状になっているようです。もっと若者を大切にしないと、日本の明日はありません。
(1990年2月刊。500円)

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2024年12月16日

あした出会える昆虫

生物


(霧山昴)
著者 森上 信夫 、 出版 山と渓谷社

 庭に来る昆虫が少なくなった気がします。なにより残念なのは、フジバカマの群生をつくって、アサギマダラ(蝶)を迎えようとしているのに、今年も来てくれなかったことです。それでも、いつかきっと来てくれるはず、来年こそはと思ってフジバカマをせっせと育て、増やしています。
 ときどきクロアゲハやアゲハチョウがやってきてくれます。キアゲハやアオスジアゲハも見かけたことはありますが、ジャコウアゲハは見たことがありません。クロアゲハは地面で吸水するのは、すべてオスだそうです。不思議ですね。メスはどこで水を飲んでいるのでしょうか...。
 アオスジアゲハはクスノキと花壇があれば、都市のなかでも育つそうです。同じく、ツマグロヒョウモンも花壇を利用して増えているそうです。
モンシロチョウは、日本の春の公式アンバサダーとされています。幼虫はキャベツの害虫です。昔、私も庭でキャベツを育てたことがあります。春になると、毎朝、割りバシをもってキャベツの葉、裏側まで青虫を探してつまみ出していましたが、ついにかないませんでした。毎朝とっても、必ず翌朝は青虫がいて、どんどんキャベツがかじられてしまうのです。いやあ、キャベツは農薬をふんだんに使うことがよく分かりました。
テントウムシは、わが家の庭にはなぜかあまり見かけません。日本には190種のテントウムシがいるそうです。肉食、草食、菌食など、いろんなものを食べています。ナミテントウは、アブラムシを食べます。驚いたのはその色彩の多様性です。赤地に黒い斑紋、黒地に赤い斑紋という基本ルールの中で、あらゆるパターンがあるのです。同一種だとは思えないほど色とりどりです。
 子どものころ、オニヤンマやギンヤンマを捕まえるのは夢でしたね。ほとんど捕まらないのです。ギンヤンマは、腰のあたりに白い部分があり、そこがほんのり光って銀色に見える。
 オニヤンマは日本最大のトンボで、体長10センチをこえるものがいる。育ち切るまでに3~4年かかる。トンボって、長生きするんですね。
わが家の庭には、モグラ、ヘビ、ダンゴムシそしてアリがいます。小さいアリが台所にまで侵入してきたことが何度もあります。
 大きくて黒いクロオオアリも見かけます。それより少し小さくてグレーなのはクロヤマアリ。サムライアリは見かけません。
空を見上げると、とんでもないところにクモの巣がかかっています。5メートルほども離れた木を結んでクモが巣をつくっているのには驚かされます。コガネグモ、ジョロウグモがいます。でも、クモは昆虫ではないそうです。昆虫は6本脚。クモは8本脚。この違いは大きいようです。
今年の夏はあまりの暑さに、セミがあまり鳴きませんでした。我が家にいるのはアブラゼミがほとんどで、お盆過ぎたら、パッタリ鳴かなくなりました。ニイニイゼミ、そしてヒグラシやツクツクボウシにも鳴いてほしいのですが、クマゼミもふくめて来てくれません。
今年は、アメリカ・シカゴで11年ゼミと17年ゼミが同時発生して、街中セミだらけになったようですね。テレビの『ダーウィンが来た』で紹介していました。
写真がたくさんあって、楽しい小型の昆虫図鑑になっています。
(2024年8月刊。1760円+税)

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2024年12月17日

それでも、私は憎まない

中近東


(霧山昴)
著者 イゼルディン・アブエライシュ 、 出版 亜紀書房

 イスラエル軍の砲撃で自宅に一緒にいた3人の娘を失ったガザの医師は、こう言った。
 「私の娘たちが、最後の犠牲者になりますように...」
 イゼルディン・アブエライシュはパレスチナ人で、ガザ地区の難民キャンプで生まれ育ち、エジプトの大学を出て医師になった。
ガザに住みながら、産婦人科医としてイスラエルの病院で働いていた。
2009年1月16日、イスラエル軍のガザへの砲撃のとき、自宅も狙われ、3人の娘と姪を失った。
 今は、カナダのトロント大学の准教授として働いている。
 砲撃を受けるときは、家族全員が一度に死ぬことがないように、子どものうち何人かはこっちの壁に、残りはあっちの壁に分かれて、全員ガーフの部屋で寝る。そして、一つの壁が砲撃された。
人には怒る能力が必要だ。しかし、イゼルディンは、常に焦点を絞った形で怒り、決して怒りを広げたり、怒りで我を忘れたり、怒りのせいで目指すべき方向からそれたりしない。
ガザ地区360平方キロメートルの土地に人口150万人がぎゅうぎゅうに押し込められている。ここでは、食べていけない。普通の生活が送れない。その結果、過激思想が台頭する。絶え間ない苦しみに直面したとき、報復を求めるのは人の常だ。
 ガザでは人口の半数以上が18歳以下。
 テロにテロで、暴力に暴力で対抗しても何も解決しない。
パレスチナ人の子どもの大半にとって、本当の意味での子ども時代はなかったし、ない。
イスラエル人とパレスチナ人との間に大きな分断がある。この分断に橋を架ける作業で重要なことは、今日のパレスチナ人の生活の実情、真実を認めること。
現状を打破する一つの方法は女性の力を借りること。健康的な社会は教育を受けた聡明な女性を必要とする。
ガザ地区で見られる住民の怒りと暴力は、まったく予想不可能だ。このような状況では、暴力や怒りは、ないほうが異常だ。
 読み進めるのが気が重くなるほどですが、勇気ある医師の告発書として読み通しました。
(2024年11月刊。1900円+税)

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2024年12月18日

沖縄県知事・島田叡と沖縄戦

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 川満 彰 ・ 林 博史 、 出版 沖縄タイムス社

 1945年、日本敗戦の直前、沖縄では本土の捨て石とされて、日本軍がアメリカ軍と死闘を展開していました。そのとき、沖縄県知事と警察部長は沖縄県民を必死で守ろうとしていたという「美談」がほぼ定着しています。でも果たして、「美談」は本当に成り立つものなのか、冷静に分析した本です。これまで、つくられた「美談」に乗せられていた私は大いに反省させられました。
 沖縄戦当時の県知事・島田叡と県の警察部長・荒井退造は、2人とも内務省から任命された官選の知事であり、警察部長だった。
この本では、2人とも特高警察の幹部だったという経歴も明らかにしています。昭和の特高は小林多喜二をはじめとして、多くの罪なき人々を拷問にかけ殺し、また精神的に追い詰め変調をきたした人々を数多く生み出した官許の犯罪者集団でもあります。
 島田叡と荒井退造が沖縄の苛酷な戦場において、人間味を失わず、勇猛果敢に住民を保護したとして英雄視される「物語」は、沖縄戦の実相を知らない人々に誤った沖縄戦後を植え付けるものだ。人々が戦争の本質を見えなくなったとき、再び戦争は歩みよる。著者たちは、このように警告しています。
沖縄戦で亡くなった人は少なくとも20万人。沖縄県民が13万人近くいる。
 沖縄戦は日本軍(第32軍)が地上戦で持久戦を遂行したことから、住民はさまざまな戦場で、さまざまな戦没のありようで犠牲となった。
「集団自決」は、日本軍による強制された集団死だった。
 当時の沖縄の人口は60万人。食糧は3ヶ月分しかなかった。住民の一般疎開は、軍隊のための食糧確保が目的だった。8月22日、学童や一般人を九州に疎開するため航行中の対馬丸がアメリカ軍の潜水艦に撃沈され、1484人が亡くなった。
 日本政府は沖縄県民10万人を県外へ疎開させるという方針を立てた。これに対して、当時の県知事らは反対していた。
大阪府内政部長だった島田叡が沖縄県知事として着任したのは1945年1月末のこと。
 このころ沖縄県民を北部へ疎開させようとしていたが、これは戦えない住民の棄民政策(北部に十分な食糧は確保されていなかった)、また戦場に残された「可動力ある」住民は、「根こそぎ動員」の対象者だった。
 荒井警察部長は、アメリカ軍が沖縄に上陸したあと、沖縄の人々がアメリカ軍の捕虜となって日本軍の動向をスパイすることを恐れていた。島田知事も荒井警察部長も二人とも、住民が捕虜となってアメリカ軍に機密情報を漏らすことを恐れていた。そのため、島田知事は、アメリカ軍に対する敵意と恐怖心をあおった。そして、国民義勇隊なるものを創設して、アメリカ軍と戦わせようとした。これは、男女を問わず、50歳以下の人は全員招集させられ、前線での弾薬運びなどに使役させられるものであった。
 島田県知事と荒井警察部長は日本軍の要請に応じて県民(この時点では避難民)を戦場に駆り出し続けていた。島田県知事も荒井警察部長も、捕虜になって生きのびることは認めず、アメリカ軍への恐怖心を煽り、竹槍でも鎌でも、何でも武器にして最後まで戦うことを求めた。この二人は、「恥ずかしくない死に方」を一般県民に指導した。その責任を不問に付してはならない。
島田叡の経歴は、1925年から1945年までの20年間のうち15年間は警察官僚だった。
 荒井退造は、東京の警察署長を歴任したあと、満州でも警察の幹部となって、日本に戻ってからは特高警察の幹部であった。この経歴から、当然、二人とも、見図史観、「団体護持」思想を受け入れていたと思われる。
 島田知事の人柄は良かったようだが、そこからは沖縄戦の実相は見えてこない。
 沖縄戦において、アメリカ軍が上陸したあと、県民の生命を本気で守る気があったのなら、戦場への県民駆り出しなどやるべきではなかったし、アメリカ軍への恐怖心を煽って、最後まで戦えと指示することなんてするべきではなかった。そうではなく、アメリカ軍は民間人を殺さないから安心して捕まるべきで、それは恥ではないと、もっと早くから呼びかけるべきだったとしています。
 なるほど、まったくもって、ごもっともです。いやあ、目の覚める思いのする大変刺激的な本でした。
(2024年4月刊。1650円)

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2024年12月19日

韓国は日本をどう見ているか

韓国


(霧山昴)
著者 金 暻和 、 出版 平凡社新書

 韓国の尹(ユン)大統領が突如として戒厳令を発布したのには驚かされました。
 国民の支持率が20%以下と人気が低迷し、国会は野党が多数を占めているなかでの戒厳令です。国会の多数派(野党)を北朝鮮と同視しても、そんなことを韓国民が同調するはずもありませんよね。
 私が韓国民は偉いと前から思っていることは、韓国の人々は怒りを行動に表わすことです。前に占い女の言うままだった朴クネ大統領を引きずりおろしたのもロウソク革命と呼ばれるほどの民衆の大衆行動でした。日本人は、どうして怒りを行動にあらわさないのでしょうか。いつもヤキモキさせられます。兵庫県知事選挙では多くの県民がデマ宣伝に乗せられて街頭行動していましたが、そんなことじゃダメでしょ、と叫びたい気分です。
日本社会は全般的に右傾化している。まあ、そう言われても仕方ありませんよね。立憲民主党は、今、維新の会と一緒になろうとしています。とんでもありませんよね。維新の会って、「第二自民党」だと自ら公言している党なのに...。
 日本の若者は、権威に服従し、治安を重視する性向が顕著に現れている。
 なぜ、日本人は、無能で傲慢な権力を黙認するのか...。いやまさしく、私にも不思議でなりません。
 韓国では、学生運動の主人公たちが大挙して政界に進出したが、日本では、ごく少数にとどまっている。日本では、菅直人とかいましたが、ホント、少ないですね。あまり思いつきません。私の同世代では、誰かいたっけかな...。
日本の政治家の3分の1は世襲政治家。
 韓国と日本は、どちらもDECD加盟国のなかで、男女の賃金格差が非常に大きい国。
 日本の若者は消費に消極的。車離れ、アルコール離れ、海外旅行離れ...。実用的で、あっさりした消費を好んでいる。
ひきこもりの中高年が120万人以上存在している。日本社会が長期不況のなかで、ひきこもり問題が大きくなった。
 「9060問題」とは、90代の親が60代のひきこもりの我が子の面倒をみなくてはいけない状況にあること。
日本の地下鉄やバスなどの中は、図書館のように静か。たしかに、アナウンス放送が最大の騒音ですよね。これは、他人に迷惑をかけてはならないという意識による。
 韓国では買い物の支払いの9割はカード。日本は、電子マネーが増えているけれど、現金で支払う人のほうが、まだまだ多い。まあ、若い人の多くはカード決済になっていますけどね...。私は現金支払い派です。いつ、どこで、何を買ったか、なんて情報を誰にも知られたくはありませんからね。いつ、どこにいたなんてことも知られるのは嫌です。
 ただ、選挙のとき、候補者の名前を手で書くという投票方法はやめたほうがいいと私も思います。電子投票に切り換えるべきでしょう。
日本は65歳以上の高齢者の割合が3分の1以上に迫っている。
 社会全体に、年齢や専門性を高く評価する雰囲気がある。ええっ、韓国にもあるでしょ...?
 韓国の大御所たちは、早々に前線から退いて「老害」「不用品」になってしまう。ええっ、ホントですか...?
 韓国の氏姓は、300個。日本だと1万個以上の名字が実際に使われている。
 日本では毎年8万人が養子縁組で名字を変えている。そのほとんどが成人男性。
 似ているようで似ていない日本と韓国の違いを改めて知りました。大変興味深い内容の新書です。
(2024年9月刊。1100円+税)

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2024年12月20日

法廷弁護士

アメリカ


(霧山昴)
著者 リチャード・ズィトリン 、 出版 現代人文社

 サンフランシスコに住み、40年以上活動している弁護士が自らの活動を振り返っている本です。
 アメリカでは裁判官は弁護士のなかから指名または選挙によって選任される。カリフォルニア州では、裁判官の候補者は、弁護士会および知事所轄の委員会の審査を受けたあと、知事によって指名される。
 アメリカの実態は、その司法制度は、全体として、社会を性格づけている不平等にみちあふれている。大多数の被告人は貧乏であり、かつ、圧倒的に有色人種である。黒人が白人よりも重い刑罰を受けていることは疑問の余地がない。
貧困であるほど保釈される可能性は少なく、事件が係属中、身柄は拘束されたままで、身体の自由を求めるあまり、有罪の答弁をする圧力にさらされる。
 有罪の答弁は、しばしば有罪後の保護観察や仮釈放制度へとつながることを意味する。
法廷弁護士はストレスに満ちた仕事である。
 陪審裁判はまったくの重労働であり、休日なしで16時間労働ということもよくある。
弁護士の自信過剰な傾向にもかかわらず、多くの法廷弁護士は、勝利の喜びのために長時間働いているのではない。そうではなく、敗訴の恐怖から逃れるために働いている。
 この本のなかに、「17ヶ月間を事実審理に要し、陪審員の評議は100日を超えた」(67頁)という記述があります。事実審理が1年半かかるのは、日本人の弁護士にとって何ら驚くことでもありませんが、陪審員の評議が3ヶ月以上もかかったというのはまったく想像できません。評議の秘密、そして生活・仕事の補償はどうなるのでしょうか...。
 日本とアメリカの法廷の違いの最大は、日本で被告人尋問は当然ありますが、アメリカではほとんどないらしいことです。この本でも次のように記述されています。
 多くの被告人は証言台に立つことを望む。しかし、被告人が証言台に立つのは例外に属する。著者の場合は、わずか2件のみとのこと。陪審員は、常に被告人から直接話を聞きたいと願っている。しかし、被告人が自らを弁護するため証言台に立つことは、自己に都合のよい弁明とみなされ、いろんな意味で、本人の証言は簡単に瓦壊してしまう。
 多くの場合、依頼者の側から見た「真実」は、結局のところ、「警察官が書いた報告書ほどには重要ではない」というのは紛れもない事実である。弁護人は手持ちの道具で弁護する。その道具が警察官の書いた報告だけであることは珍しくない。
 もっとも重要な教訓の一つは、良い弁護士というのは強さにもとづいて裁判をするのではなく、弱さにもとづいて裁判をするというもの。とくに刑事事件ではそうだ。
 アメリカでは、冒頭陳述は、最終弁論とは異なって、事実にもとづくこととされている。
この本には、ひどい裁判官にあたったとき、どう対処したかも紹介されています。それは日本もアメリカも同じようです。原則にしたがい、法律的に筋の通った主張なら、恐れることなく行動すべきだということです。
この本の訳者は刑事法分野で有名な村岡啓一弁護士です。
(2024年11月刊。5500円)

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2024年12月21日

羊は安らかに草を食み

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 宇佐美 まこと 、 出版 祥伝社文庫

 いやあ、よく出来ています。満州開拓民の戦後の苛酷すぎる逃避行を現代によみがえらせるストーリー展開で、思わずのめり込んでしまいました。
 私も、叔父(父の弟)が応召して関東軍の兵士となり、日本の敗戦後は八路軍(パーロ)と一緒に各地を転々としながら紡績工場の技術者として戦後9年ほど働いた状況を本にまとめ(『八路軍とともに』花伝社)たので、日本敗戦後の満州の状況は調べましたが、この本は、11歳の少女2人が親兄弟を失いながら助けあって日本に引き揚げてきた状況をストーリー展開の核としながら、その苦難の状況と、それが戦後の生活といかに結びついたのか、少しずつ解き明かされていきます。その手法は見事というほかありません。
その苦難の逃避行をした女性の一人は、今や認知症になっていて、自ら語ることは出来ません。でも、人間らしさは喪っておらず、また、昔の知人と会えば反応はするのです。認知症だからといって、完全に人格が崩壊しているのではありません。
 俳句を通じて仲良くなった80歳台の女性3人が、四国そして長崎の島まで認知症となった女性ゆかりの地へ旅行するのです。
人間の尊厳を見つめた、至高のミステリー、とオビに書かれています。11歳の少女のときの苛酷すぎる状況の記憶が現代にいかにつながるのか、しかも、それが認知症だとどうなるのか、人間とは何かをも考えさせられる文庫本でした。  
東京からの帰りの飛行機で一心に読みふけりました。初版は3年前に刊行されていて、今回、著者が加筆修正して文庫として刊行されたものです。
 参考文献のいくつかは私も読んでいましたが、未読のものも多々ありました。
(2024年3月刊。990円)

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2024年12月22日

鍋島閑叟と江藤新平

日本史(明治)


(霧山昴)
著者 毛利 敏彦 、 出版 明治維新史研究会

 幕末のころ、佐賀藩は鉄製大砲の鋳造に成功し、長崎砲台に備え付けた。
 江戸幕府も品川の沖合に砲台をつくって大砲を並べることにした。それで、佐賀藩に200門を至急つくるよう注文した。一度に200門は無理なので、佐賀藩はまず50門を納入した。つまり、江戸湾品川台場に備え付けられた大砲は佐賀藩が製造した鉄製の大砲(アームストロング砲)だったのです。
 そして、明治維新を迎え、鍋島閑叟は岩倉具視とともに大納言になった。つまり、明治新政府は、岩倉・鍋島連立政権だった。
 この鍋島は岩倉と個人的にも親しく、岩倉は二人の子を鍋島に預けて教育してもらった。鍋島は長崎に宣教師のフルベッキに英語学校で教えてもらっていたので、岩倉の長男・次男も、そこで勉強している。
 ところが、鍋島閑叟は病気のため明治4(1871)年に58歳で亡くなった。
 このとき、葬儀委員長になったのは江藤新平。候補者のなかで身分は一番下だったのに、閑叟がもっとも信任していたことから選ばれたのでした。
 そして、岩倉も閑叟を通じて江藤新平を深く信頼していたのです。
 明治新政府で江藤新平は学校制度について、国民皆教育を打ち出し、また、初代司法卿として、行政と司法の分離、裁判所の設置、検事と弁護士制度の新設、さらには日本人の人権のための司法を目ざした。このような流れを大久保利通は江藤新平を抹殺することによっておし止めようとした。
 なーるほど、まったく知らない話のオンパレードでした。
(2005年9月刊。非売品)

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2024年12月23日

私はヤギになりたい

生物


(霧山昴)
著者 内澤 旬子 、 出版 山と渓谷社

 著者には3匹の豚を飼って育て、そして仲間と一緒に食べたという過程を迫った本があります。豚はとても賢い動物だということが、その本を読んでよく分かりました。そして今回はヤギです。瀬戸内海の小豆島に住む著者は5頭のヤギと1頭のイノシシを飼っています。
 もちろん、みんな名前がついています。その中心にいるのはメスヤギのカヨ。残り4頭の母親でもあります。
ヤギは孤独に耐えるとみられていますが、実は仲間がほしくて、ひとり(1頭)では寂しがります。ヤギ舎内では単独行動するけれど、基本は団体行動。
ヤギの食べる草にもヤギによって好き嫌いがあり、違っている。つまり、ヤギにも個性がある。ヤギたちの大好物はクズ。マメ科。露草(ツユクサ)は、まるで食べない。ニレの木の葉もアカメガシワやエノキと同じくヤギの大好物。ヤギは地面に落ちた葉っぱは食べたがらない。なので、なるべく枝付きの葉を差し出して食べさせる。ヤギは草よりも実は木の葉を好む。果樹のせん定時に出る枝葉は、どれもヤギの大好物だ。
 ヤギの乳しぼりを手でやるのは大変。乳搾り器を使うとおとなしく乳しぼりが出来てヨーグルトそしてチーズが出来た。ヤギミルクは脂肪の粒子が小さくて消化が容易なので、母乳の代わりになる。
 メスのヤギは21日ごとに発情期が来る。春と秋には、特別強く発情する。
 ヤギたちはみんな人間にされたことを忘れずに憶えている。
 ヤギは、同腹の兄弟の絆はとても強い。兄弟の1頭が事故で亡くなったあと、残る1頭は半年以上もうつ状態で自閉してしまった。
 ヤギたちは、赤ちゃんヤギをとても可愛いがる。
 ヤギのクールな瞳も毎日よく見ていると、実はさまざまに変化する。顔の表情の変化や耳の動きなど、こまやかな感情、そして要求などが読みとれる。
 ヤギは著者の日本語も聞きとり、理解している。
 ヤギはヤブ(藪)が好きではない。見通しの良い平なところにいるのを好む。天敵から早く逃げるため。
 ヤギの糞便と歩き方は毎日チェックする。歩き方がおかしいときは、腰麻痺を疑う。毎日のエサの心配と体調チェックが8割を占める。
ヤギは意思がはっきりしていて、好奇心が強い。おとなしいヤギもいるけれど、人間に対して強く出るヤギもいる。ヤギはかなり気性が荒い。
 そうか、前に『カヨと私』という本も読んだことを思い出しました。その続編になるのですね。ヤギの多頭飼いは大変ですが、面白くもあるようです。
(2024年9月刊。1980円)

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2024年12月24日

いのち輝け、二度とない人生だから

人間


(霧山昴)
著者 蓼沼 紘明 、 出版 東京図書出版

 著者は満州開拓団の子として生まれ、父が兵隊にとられたため、日本敗戦より前に母と一緒に内地に帰ってきて命が助かったのでした。敗戦時まで満州にいたら、無事に日本へ戻れたとは限りません。
 そして、父親は兵隊にとられて乗り込んだ船が沈められるなか、海上を2時間も泳いで奇跡的に陸地にはい上がって助かったのです。すごい生命運です。
 満州では著者が赤ちゃんのとき、夜中にネズミに頭をかじられ、朝起きたら布団が真っ赤に染まっていたというのです。よくぞ助かったものです。
弟を戦争で亡くした母親はテレビに昭和天皇が登場すると、いつも怒りを爆発させた。
 日本を戦争に導いた責任が天皇にあるのは間違いありません。なのに、昭和天皇はアメリカ(マッカーサー)に守られ、自ら退位することもなく、むしろ戦争を止めた、平和主義者であるかのような顔をして、日本中を駆け巡り、手を大きく振って歓呼の声を浴びていたのです。許せません。
 伊丹万作(伊丹十三の父)は、「だまされた者の責任」を厳しく問いかけたとのこと。なるほど、よくよく考えもせず、批判力も思考力も信念も失って、家畜のように盲従していった国民にも責任の一端はあるでしょう。
 同じことが、先日の兵庫県知事選挙でも起きました。パワハラ知事を正義の味方かのように信じ込んで、それを助けようと投票所に駆け込んだ県民がなんと多かったことでしょう。ヒトラーばりに、嘘も百回繰り返すと「真実」になるというのを証明してみせたのです。おお、怖い世の中です。
 著者は東大に入って駒場寮では聖書研究会に入ります。私は「教行信証」など仏教系の本は読んだことがありますが、キリスト教系は昔から縁がありません。カトリックとプロテスタントの、血で血を争う戦争を繰り返してきたキリスト教は生理的に受けつけません。
 大学生のとき肺結核となり、療養所に入ります。そして退院してくると、学友から無理なアルバイトをしないですむように毎月カンパしてくれたというのです。これはとてもいい話ですね。たしかに、昔はそんな雰囲気がありました。
 東大闘争が始まると、全共闘の暴力に抗して著者はノンセクト・ラジカルとして民青と共同戦線をはってたたかったとのこと。そのころは、多くの学生がヘルメットをかぶり、ゲバ棒を持ちました。私も何回もそんな場面にいました。暴力には身を守る暴力が必要だと考えたのです。まったく、非暴力・無抵抗でいいとは思えませんでした。今も昔も、暴力は嫌なんですけど...。
 それから、著者は東京都庁に入り、裁判所に入り、司法試験も受験します。合格できず、伊藤塾の手伝いをするようになりました。ご承知のとおり、平和と人権を守る憲法の伝導師として大活躍している伊藤真弁護士の下で支えてきたのです。
 著者の思いのたけがぎっしり詰め込まれた460頁もの大作です。
 福岡で元裁判官の西理(おさむ)弁護士より贈呈を受けました。ありがとうございます。著者の今後引き続きの活躍を祈念します。
(2024年6月刊。1980円)

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2024年12月25日

近現代日本の警察と国家・地域

司法


(霧山昴)
著者 大日方 純夫 、 出版 日本評論社

 今も被疑者弁護人として毎日のように警察署に行く身なので、警察の歴史とその実情については昔から強い関心があります。
 江戸時代の町には番人小屋がありました。その番人は、大坂では非人があたっていたが、江戸の番人は非人ではなかった。
 明治になって首都ポリスが誕生した。1871年10月、東京に邏卒(らそつ)という名称で「ポリス」が設置された。それは3千人で、うち2千人は鹿児島から連れてきた。
 1973年10月、征韓派の参議が辞職するという政変があり、大久保利通が警察の実権を握った。11月10日に内務省が設置された。
 川路利良はヨーロッパ視察のあと、日本では「予防」を課題とする行政警察を中心に警察力を形成していった。しかし、実際には、反乱・一揆の続発という時期にあって、不安定な社会情勢に規定されて、「軍事的」な性格を強めざるをえなかった。1877年1月には西南戦争に警察力を投入した。
 日本の近代警察は、川路のもと、フランスをモデルとして成立していった。1874年末の警察官の35%が東京に集中していた。
 1884年2月、山県有朋が内務卿としてドイツから警察官を招聘(しょうへい)して、フランス式からプロシア式へ転換した。
 1920年、ヨーロッパでは警察は民衆のサーバントになっているところもあるが、日本の警察官はサーバントではなく、国家の官吏である。なので、警察官がストライキするなど、もってのほかのこと。
 東京に警視庁が設置されたのは1874年1月。戸口調査(戸口審査)は重要なものとして活用された。戸口査察は警察実務の基礎である。
 特高警察は選ばれたエリートへの道だった。内務省の若い役人は特高になりたがった。優秀だとされている人は、非常に特高になりたがった。一般警察官の多くは、特高係に抜擢(ばってき)されることを希望した。特高係は、あこがれの的だった。
 日本敗戦後、特高警察だった者は、その経歴を隠して戦後を生きのびていった。
 特高は、戦後の公安警察にそのまま横すべりした。ある県では、14人の警察署長のうち半分の7人が戦時中は特高関係者だった。
 警察官だった人が重要な内部書類を焼却しないで個人宅に持ち帰って保存していたものもあり、それをもとにして警察官のナマの姿が紹介されている本でもあります。
(2024年9月刊。2800円+税)

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2024年12月26日

もう一度!近現代史

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 関口 宏 ・ 保阪 正康 、 出版 講談社

 戦前の日本は三つの大きな過(あやま)ちをおかした。その一は、統帥(とうすい)権の名のもとに軍事が政治の上に立ったこと。その二は人間の命を戦争の道具として使ったこと。特攻隊や「玉砕」がその大きな例。その三は、戦争を国家の事業と考えたこと。
 私も、この三つの指摘に同感しています。今、日本は戦争に備えるという口実で、大々的に軍事予算を増やしています。5年間で43兆円という気の遠くなる莫大な軍事費です。これまで5兆円をこえるというのに大騒ぎしていたのがウソのように、今では年8兆円といってもまあ、そんなものか、仕方ないなという雰囲気です。これでは福祉や教育予算が削られるのは必然です。でも、戦争にならないようにするのが政治家の最大の任務のはずです。
 軍部と軍需産業が癒(ゆ)着し、大威張りだった戦前の状況に戻ったら大変です。そんな日本にならないよう、戦前の日本にたどった道を振り返って、そこから大いに学ぶ必要があると思います。
 日本の陸軍は、中国軍なんて弱いもの、いくらか日本兵を派遣したら一撃で屈服させられるものと錯覚していた。上海事変が、その典型ですよね。実際には、中国軍はドイツ軍人の顧問団によって訓練され、最新兵器も備え、しかも士気旺盛だったのです。日本軍が慣れないクリーク戦で大苦戦したのも当然でした。
 東条英機は関東軍の参謀長だったことがあります。そして、東条と反目していた石原莞爾が、その下に参謀副長になったのでした。
 二人は互いにまったく口をきかなかった。 その後、東条英機は陸軍大臣になって「戦陣訓」を発表した。石原莞爾は、「こんなものは読む必要がない」といって、開封もせずに倉庫に収納させた。いやはや、すごい反目ですね。結局、石原莞爾のほうが予備役に追いやられてしまいました。
日本軍は中国大陸での泥沼の戦争にひきずり込まれ、総数129万人のうち、90万人をこえる将兵を中国大陸に置いていた。満州からは精鋭の師団が沖縄をふくめ南方に送られ、次々に敗北の道をたどりました...。
 名門中の名門である近衛文麿は優柔不断で決めきれない男だった。
松岡洋右は諸突猛進で、また言うことがくるくる変わる男だった。
アメリカの暗号解読の能力は大変なものがあったようです。山本五十六元帥の撃墜もミッドウェー海戦の失敗も暗号で内情を知られていたことで起きた悲劇でした。
天皇の弟宮で陸軍にいた秩父宮、海軍にいた高松宮も東条英機に強い反感をもっていた。秩父宮は、東条英機に対して、3度も詰問状を送っている。
 日本がなぜ戦争に敗れたのか、きちんと知ることは大切なことだと私は思います。それは自虐史観なんていうものでは決してありません。
(2022年4月刊。1980円)

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2024年12月27日

朝鮮植民地戦争

朝鮮・韓国


(霧山昴)
著者 愼 蒼宇 、 出版 有志舎

 近代日本の曲がり角には必ず朝鮮がある。そうなんでしょうね。
 帝国日本は朝鮮半島を植民地として支配していた。これに抗して朝鮮の人々が戦闘を挑んだ。1875年の江華島事件、1882年の壬午軍乱後における公使館守備隊名目の日本軍駐屯、1894~95年の甲午農民戦争、1904~05年の日露戦争、1906~15年の義兵戦争、1919年の三・一独立運動、1918~25年のシベリア戦争と間島虐殺、1931~39年の満州抗日戦争。これらを朝鮮植民地戦争と総称する。
 火賊とは、朝鮮の盗賊団のこと。火賊は、一般人扱いされなかった。
日本の東北地方を歩いたイギリス人女性イザベラ・バードは、1895年1月に東学農民軍の梟首(きょうしゅ)を見ている。
 甲午改革は単なる内政改革ではなく、日本の朝鮮膨張と深く関連したため、その改革の正統性が根本的な秩序・法意識への求心力を強化することにつながった。
朝鮮王朝末期に起きた最大の民衆反乱が1894年の甲午農民戦争。東学農民戦争ともいう。日清戦争が起きた年です。農民軍は行動網領を定め、厳格な規律を維持した。参加したのは半プロ・貧農下層民などが中心。
 11月20日、日本軍と朝鮮政府軍の連合軍と4万人の農民軍とのあいだで、最大の激戦となった(公州の戦い)。当初は数に優る農民軍が優勢だったが、その後は近代的兵器をもつ日本軍による大虐殺となった。
 日露戦争(1904年)のころ、朝鮮半島に日本は鉄道を敷設していった。この苛酷な労働に対して朝鮮の民衆は激しく抵抗した。サボタージュ、逃亡、そして運行の妨害。
 1895年、日本軍の三浦梧楼は閔妃を虐殺した。
 1907年7月、ハーグ密使事件をきっかけに朝鮮王朝高宗が退位に追い込まれ、韓国軍が突如として解散させられた。当時の韓国軍は中央・地方あわせて8480人。そのうち、745人だけが残された。92%の軍人が失業した。これらの失業軍人が各地で義兵となった。
 1919年3月、三・一独立運動が始まった。朝鮮全土で200万人以上が「独立万歳」を唱えて参加した。この三・一独立運動における朝鮮人の被害はわずか2ヶ月間に934人の死者を出した(7500人が殺害されたという学者もいる)。
 日本は、「五家作統」という連座制によって、共同体をコントロールしようとした。
 また、村落を植民地戦争の最前線にし、抗日運動の根拠地のせん滅を図ろうとした。
 ただ、苛烈なせん滅作戦は、他方で逆効果でもあった。
豊臣秀吉による朝鮮出兵(壬申倭乱)のときも、朝鮮半島の各地で義兵が抵抗しましたが、日本の植民地支配に対しても何波となく義兵が決起しています。近代的兵器を装備した日本軍に圧殺されてしまうわけですが、朝鮮の人々の反抗ぶりもすさまじいものがあったようです。日本側の資料に残っています。
 関東大震災直後の朝鮮人虐殺に日本軍部が手を下したことは事実ですが、その軍人たちは、朝鮮の農民戦争を戦った経験があったという指摘がなされています。なるほど、そうだったのか...と思いました。
 いま多くの日本人に読まれるべき大変貴重な労作だと思いました。
(2024年7月刊。3500円+税)

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2024年12月28日

たゆたえども沈まず

フランス


(霧山昴)
著者 原田 マハ 、 出版 幻冬舎文庫

 ゴッホが日本の浮世絵を大変気に入っていて、その絵にも浮世絵が背景画として描かれていることは私も知っていました。パリで画商をしていてゴッホを経済的に支えていた弟が、日本人画商とつきあいがあり、その線でゴッホも日本人画商たちと濃密な交際があった。なるほど、そうだったのか...。そう思って読み終えて、巻末の解説を読むと、ゴッホと弟テオが日本人画商と接触があったという証拠は何もないとのこと。ただ、同じころにパリにいたことは間違いないが、ゴッホとテオの手紙にも日本人画商はまったく登場しない。うむむ...、そうなのか。
 そして、最後に、本書は史実をもとにしたフィクションであって、特定のモデルはいないと注記されているのです。なあんだ、騙されたのか...、そう思いました。
 それでも、あまりに情景そして心情描写が見事なものですから、ついついモデルのいる小説だと思って読んでしまったわけです。作者のストーリー力には脱帽せざるをえません。
 この本の主人公は日本からパリに行って日本の芸術をヨーロッパに売り込もうと活躍している日本人画正(林忠正)です。その弟子は、まったく架空の人物だというのに驚かされました。著者の想像力のすごさには、まいります。
 ゴッホとテオは離れて住んでいたので、2人がかわしたたくさんの手紙が残っています。私もいくつかは日本語で、そしてフランス語の勉強として読みました。
 本のタイトルの、たゆたえども沈まずとは、パリについてのラテン語による格言です。パリは何回も洪水被害にあっていますが、そのたびごとに見事に復興して、今日があるわけです。
 パリの中心地にあるノートルダム大聖堂も火災の修復を終えて、一般見学が出来るようになったようですね。同じように沖縄の首里城も一刻も早く修理を終えてほしいものです。
ゴッホは、印象派の画家として活躍しましたが、その生前は、今日のように崇拝の対象ではなく、作品(絵)はほとんど売れませんでした。宮澤賢治の小説も、その生前はまったく知られていませんでしたよね。世の中には、ときどき、そういうことが起きますね。
 それにしても、ヨーロッパの人々は浮世絵を見たときには驚いたでしょうね。極端なまでに顔の特徴を誇張する絵画手法に、恐らく呆気(あっけ)にとられ、のけぞったに違いありません。
(2024年2月刊。750円+税)

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2024年12月29日

ドイツ人のすごい働き方

ヨーロッパ


(霧山昴)
著者 西村 栄基 、 出版 すばる社

 日本人の働き方は異常だと、私も思います。ともかく働きすぎです。でも、賃金も年金もあまりに安いので、仕方がないのです。そして、パート、アルバイトはもっと異常です。
 「103万円の壁」といいますが、大学生がアルバイトをしなければやっていけないなんて、明らかに間違っています。学費が高すぎますし、生活費の補助がまったくありません。軍事予算というムダな出費をほんの少し削れば、大学の学費なんて無料(タダ)にできるのです。
 ドイツは労働時間が日本より年に266時間も短いのに、平均賃金は日本より4割も多いのです。それでいて、労働生産性は日本の1.5倍も高く、GDPは日本を抜いて世界3位です。なぜ、どうして...。その秘密に迫っている本です。
 ドイツ人は、基本的に残業は一切しない。
 午前中は集中して各自の仕事をこなす時間だから、社内で会議はしない。
会議は短くて目的が明確で、余計な時間をさかない。発言する人だけが参加する。発言しない人は、会議に必要ないとみなされる。会議は準備がすべて。終了と同時に議事録がつくられる。
各自の机の上には、必要最低限のものしか置かれていない。帰宅するときは、すべて所定の場所に戻され、机上には何もない。
 ドイツでは片付けが重要視されている。整理整頓は生活の基本。探しものをするムダな時間を削減する。
 有休休暇は労働者の当然の権利であり、とらなければならないもの。長期休暇によって「空っぽ」になる。この間は、仕事に関する連絡を断つ。
 ドイツ人のビジネスパーソンは、帰宅直前と出社直後にメモをとる。これで、朝にスタートダッシュをかけ、生産性が上がる。「明日やること」「今日やること」を明らかにしておく。
 ドイツ人は日本人のように完璧さを求めることはしない。8割の完成度でよいところには、あまり時間をかけない。
 病欠は有給休暇に含まれず、3日までの休暇は、医師の診断書の必要がない。
 バックアップシステムが完備している。
 日本人はドイツ流の仕事の仕方・すすめ方を大いに学び、取り入れたほうがよいと思いました。
(2024年11月刊。1650円)

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2024年12月30日

神聖ローマ帝国

ヨーロッパ


(霧山昴)
著者 山本 文彦 、 出版 中公新書

 神聖ローマ帝国と言われても、すぐにはピンときません。かのローマ帝国とは違うもののようだけど、どう違うのか、いったい、いつの時代に存在したのか...。
神聖ローマ帝国は962年から1806年まで、850年間にわたって存在した。日本史でいうと、平安時代(村上天皇)から江戸時代(11代の徳川家斉)までになる。
 ドイツを中心として、スイスやオランダも含むヨーロッパの中央の広大な帝国だった。
 神聖ローマ帝国が滅亡したころ、ドイツの文豪ゲーテが生きていて、目撃したようです。
この本を読んで、有名な「カノッサの屈辱」の真相を初めて知りました。
 1077年1月25日、雪が降りしきるなか、イタリア北部のカノッサ城の城門の前で、悔悟と恭順の意を示すため、王のあらゆる権標を取り去り、贖罪(しょくざい)服に裸足(はだし)の姿で門前にたたずみ、頭を垂れて大きな声で教皇のゴレゴリウス7世の慈悲と赦(ゆる)しを乞うた。降り続く雪に膝まで埋まりながら、贖罪は3時間に及んだ。
 そのため、教皇はハインリヒ4世の破門を解いた。このあと、ハインリヒ4世は対立国王ルードルフと戦い、敗れはしたものの、ルードルフが右手を失って死んだことから、ハインリヒが優勢となり、ローマで皇帝となった。そして、あのグリゴリウス7世を追いやった。
 だから、「カノッサの屈辱」をもって、単純に教皇が皇帝に勝利した事件とは評価できないというわけです。むしろ、逆に皇帝権の確立に至る一事件だとみることもできるでしょう。
 著者は、本書で、実は、これは単なる「和解のための儀式」だったというのです。演出された儀式にすぎなかった。この「演出」は仲裁者が求めたもので、暫定的な妥協が成立しただけなのだというわけです。
 そして、このハインリヒ4世の皇帝在位期間はなんと50年間。神聖ローマ帝国のなかでは2番目の長さです。
ハインリヒ4世の次のハインリヒ5世のとき、皇帝と教皇の争いは決着をみた。皇帝は教会の支配者としての地位を失い、皇帝は教会の外の世俗的支配者として生きていくことになった。
 この本を読んで、もう一つの驚きは、中世前期のドイツ王が、その一生を旅をして過ごしていたということです。
 それは、通信手段が赤発達だったので、広い地域を支配するのには、王自らが移動するのか、もっとも効率的だったからとされています。宮廷がそっくり移動していくなんて、とても信じられません。大変な苦労があったと思います。
 道路は舗装されていないので、馬車で移動するにしても、激しく揺れたことでしょう。道中に安楽な場はなかったことでしょう。なので、厳しい移動に耐えられる肉体と精神力が王には求められた。いやあ、これは大変なことですね...。
 ドイツ国内で郵便事業が始まったのは1490年のこと。郵便配達夫と馬は宿駅で交替するリレー方式で、24時間体制で配送した。そのため、宿駅は、一定数の馬を常に用意し、郵便配達夫に食事と寝床を提供した。
 いったい郵便料金はいくらだったのでしょうね...。高額だったとは思いますが、路線を維持するのは大変だったことでしょう。そして、17世紀後半からは、郵便馬車が走りはじめています。運賃さえ払えば誰でもこの郵便馬車に乗ることができたとのこと。
 18世紀になると、旅行革命の世紀と言われ、人々が徒歩ではなく馬車で旅行するようになり、ヨーロッパが近くなったようです。大変興味深い内容が満載の新書でした。
(2024年5月刊。1100円)

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2024年12月31日

ことばの番人

社会


(霧山昴)
著者 髙橋 秀実 、 出版 集英社

 いま、ちょうど私の最新刊(昭和のはじめ東京にいた父の話です)の最終校正をしている最中に届いた本です。何度見直しても校正洩れを発見しています。まさしく、「校正、恐るべし」です。目が慣れてしまうと、誤字を見逃しがちになります。なので、2日間ほど空けて、まっさらな目で一行一行、目を皿のようにして眺めていきます。それでも見落としがあるので、油断なりません。
 古事記を撰録した太安万呂は校正者だった。日本では、「はじめに校正があった」。
 ところが、今はネットの普及により、書いた人が読み返さないので、目を覆うばかりの誤字脱字の氾濫だ。
 たとえば、「にも関わらず」と書いている人が、有名な大学者にまでいます。正しくは「不拘」、「関」ではなく「拘」なのです。
法律まで誤字だらけだというのには驚かされました。いったい、どうして、そうなった(ている)のでしょうか...。
 校正する人は、心の中に音声を残し、それと照合する。
面白い原稿は内容を読んでしまうので、要注意。誤りを拾い損ねてしまう。校正者は読むのを楽しんではいけない。
文章を読みやすくするには3つの改善策がある。句読点をひとつ入れる。言葉の順番を変える。修飾語と修飾される語を近くにする。
 今は。ジャパンナレッジという便利な有料サイトがある。これは70以上の辞書・辞典などが入っていて、横断検索できる。
校正者は根拠がないと指摘できない。
 校正者が内容を理解しようとすると、かえって誤植を見落としてしまう。
 心を空っぽにしないと、必ず見誤る。
 読者は内容を読むが、校正者は活字を見る。
校正者は、すべてを疑うべし。相手を疑う前に、自分を疑う。疑いを晴らすために辞書を引く。
日本語は正書法のない、極めて珍しい言葉。なので、英語やフランス語そして中国語であるディクテーション(ディクテ)がない。日本語だと正解はひとつではないから。なーるほど、そう言えば、そうですね...。
 私たちは生きているから間違える。間違えることは生きている証拠。だから、校正するとキリがない。うむむ、なんだか校正者の開き直りのような...。
 AIに校正を全部まかせるわけにはいかない。本当にそうなんですよね。AIは適当な嘘を平気でつくのです。面白い本でした。
(2024年11月刊。1980円)

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