弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年11月24日

医療過誤弁護士・銀子

司法


(霧山昴)
著者 富永 愛 、 出版 経営書院

 元外科医で、今は弁護士。しかも、珍しいことに医療側ではなく、患者側で事件を扱う弁護士だそうです。
 久留米にも、現役の医師であり、弁護士でもあるという人がいます。週末は病院の勤務医として働きながら、平日は弁護士をしています。すごいですね...。
 この小説の主人公・銀子は、45歳のバツイチ子持ちの元外科医、今は、ほぼ弁護士、という設定です。患者側に立つと、かつての医師仲間からは「裏切者」のような白い眼で見られるのだそうです。やはり、どこでも同業者という眼はありますからね...。
 一般的に、病院やクリニックでは医療関係者の患者は喜ばれない。医療に詳しいだけに、一歩間違えばクレーマーになるモンスター予備軍だから...。
患者が医療ミスだと騒ぎだすと、医師たちは、たいてい慌てふためく。日ごろ、ありがとうと言われ慣れている医者たちは、責められることに免疫がなく、冷静に落ち着いた対処ができなくなる。たいていの医者は、逃げるか、キレる。トラブルになったときこそ、その医者の人間性があぶり出される。
患者(遺族)側からのカルテ開示も証拠保全も、予想していれば恐れることはない。日ごろから記録を整理し、開示してもよいように備えておくことが基本だ。
手術の状況などは、さすがに元外科医だけあって、とても臨場感があります。
 そして、医療過程裁判の証人尋問です。手術に立会した看護師が証人として法廷で証言することになりました。もちろん病院側です。弁護士から、このとおりに回答するようにと言って問答が記載されたペーパーを渡されます。予行演習を繰り返し、ペーパーを見ないで答える練習を3時間かけて何度も繰り返した。
 これは現実にやられていることだと思います。しかし、案外、「鉄壁の守り」のはずが、ちょっとしたことからボロボロ崩れることもあります。それが反対尋問の妙味です。ところが、肝心の裁判官が、その逆転本塁打をまるで見逃してしまうところがあるのです。それが裁判の怖いところです。
 「遺族のかわりに医師を法廷でやっつけてあげるのも、私ら(患者側弁護士)の仕事やんか。命をかけてやらんと伝わらんこともあるからね」
 同じような気持ちで証人尋問にのぞんだことは何度もあります。聴いている依頼者から、「おかげで気持ちがすっきりしました」とお礼を言われます。それが勝訴に結びつかなくても、それで良しとすることがあるのも裁判なのです。
 裁判では、敵は相手方というより裁判官だ。彼らが判決を書けるところまで証拠をそろえてやり、根気よく説得するしかない。
 これまで何度も裁判官から、ひどい煮え湯を飲まされました。あっという奇想天外な負け判決をもらったことは決して1回なんてものではありません。裁判官を軽々と信用してはいけないのです。
保険会社に医師を守ろうという視点はない。病院側の代理人は、実際には保険会社の代弁者。できるだけ、1円でもお金を支払わない方向での主張をするのが仕事だ。いやまったく、そのとおりです。1円でも支払い額を減らす。その精神が貫かれているからこそ、駅(ターミナル)周辺のビルを損保、生保の保険会社が占めているのです。
 とてもよく出来た医療裁判小説だと思いました。ところが、高裁での控訴審の判決言い渡しの場面なのに、「ひこくは...」と書いてあったのに腰を抜かしてしまいました。とんでもない間違いです。校正もれです。ぜひ訂正してください。
(2024年10月刊。1760円)

 つい先日、熊本の裁判所でひどい裁判官(道場康介、62期)にあたりました。証人尋問が終わったとたん、道場判事は「弁論を終結します」と宣言したのです。ええっ、もう一人、証人申請しているのに、却下することもなく弁論終結するって、どういうことなの...。前回の裁判期日のとき、この道場判事は、別の証人の採否は証人尋問を聞いてから決めますと言っていたのです(それは証人採用なんか考えていないというニュアンスではありましたが...)。
 証人尋問申請を却下したら、私はその理由を裁判官に問いただすつもりでした。それで証人を採用しない理由は何かと訊くと、それは判決のなかで明らかにすると道場判事は言うだけでした。
 そこで次に、本日の証人尋問を踏まえて最終準備書面を提出したいと言うと、審理は終結しましたと繰り返し、とりあいません。ひどいものです。
 そこで、私は翌日、異議申立書を提出しました。
 当事者双方の主張に十分耳を傾け、書証も人証も踏まえて判決するのが裁判官のつとめです。それなのに、この道場判事は人証を調べる前から請求棄却の結論を早々に出し、当事者の主張をまったく聴く耳をもたず、判決を急いだのです。それなのに、判決の言い渡しは、2週間後ではなく、なんと2ヶ月後なのでした。これにも驚きました。
 道場判事の偏った心証にもとづいて判決を書くのなら2週間もかかるはずがありません。
 私が、こんなひどい裁判官にあたったと憤懣(ふんまん)を訴えると、聞いた弁護士の多くは、いるんだよね、そんなひどい裁判官が...と、あまり驚きません。
 こんなことで、国民の司法に対する信頼がますます遠ざかってしまうことを、私は本気で心配しています。

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