弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年11月 3日

清代知識人が語る官僚人生

中国


(霧山昴)
著者 山本 英史 、 出版 東方書店

 中国には「陞官発財(しょうかんはつざい)」という言葉がある。役人になって金を儲けることを意味する。
 警察を含めて官庁に裏金があり、大問題になったことがあります。ところが、自民党の国会議員が何千万円、いえ何億円もの裏金を手にしていたことが暴露されても、それを恥じて辞めた議員はいませんし、自民党の総裁選の9人の候補者は全員が裏金問題は済んだことと知らん顔をしています。まさしく無恥厚顔の党です。こんな政党に票を入れてはいけません。そして、投票所に行かないのは、自民党に投票するのと同じです。
子どもは、勉強を始めると、儒教の基本教典を丸暗記させられる。
 童試という試験は三段階。県試、府試、院試。県試の最初の試験は、夜明けに試験場に入り、日が暮れる前に答案を提出する、丸一日の試験。
 試験の不正もあった。カンニングペーパーの持ち込み。そのため、世界最小の印刷物が生まれた。替え玉受験もあった。本人確認が難しい時代なので、案外簡単だった可能性がある。童試に合格すると、生員になれる。庶民と違った扱いを受ける。
 清朝は中国支配のため、科挙を復活させた。試験本番は2泊3日、独房のような、窓も何もない小さな部屋にこもって答案を作成する。この2泊3日を3度も繰り返すので、6泊9日を過ごすことになる。ほとんどの受験生が徹夜の状態。そして、丸々3日間、試験官以外は誰とも話してはいけなかった。
 科挙を受験するのは14万人ほどで、そのうち全国で1400人前後の挙人が誕生した。会試に合格すると、1ヶ月後に殿試がある。そして、最優秀者は「状元」という称号が与えられた。清朝268年間に、状元は114人が誕生した。
中国の知識人は、身なりを整えた者が酒に酔い潰れている姿を見るのを昔も今も嫌がる。
 中国の県は、現代日本の感覚では「市」に近い。役所の置かれた場所は県城と呼ばれ、城壁で囲まれた町の中心にある。知県は、地元を直接に統治するので、地方官とも呼ばれた。知県の二大業務は、銭殻と刑名。銭殻とは、住民税を中心とする財務行政。刑名とは、裁判を中心に紛争を解決し、治安を維持する司法行政のこと。
 知県は、硬軟両方の措置を講じて租税を確保しなければならない。思うように徴税できない知県の責任は重大で、厳しい処分が待っている。
 裁判のときは、入れ知恵し、訴訟をそそのかす訟師(しょうし)という生員崩れの専門家が背後にいることが多い。裁定(判決)を下すのが、月に40件、年に300件くらいあった。知県の午後は、訴訟の審理に当てられる。知県の俸禄(給料)は70万円ほど。
 中国では、伝統的に官僚の給料は著しく低い額に抑えられていた。
 知県は実質的な収入が莫大なものになった。年に2~3万両の給料をもらえた。官僚の世界での上司対処のコツは、敬意と忠謹にあると考えている。
 官僚は全員、3年ごとに勤務評定を受けた。不謹(不真面目)、罷軟無為(無気力)、浮躁(軽率)力不足、年老、有疾の6ランクがある。清朝の官僚には定年退職の規定がなかった。
 清朝時代の官僚の実際を知ることのできる本でした。
(2024年4月刊。2400円+税)

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